塔アーカイブ

2018年4月号

特集 歌集の作り方
 
座談会「歌集をまとめる」
花山多佳子・北島邦夫・沼尻つた子・小川和恵(司会)
 
於 ルノワール マイスペース 銀座マロニエ通り店
記録:炭陽子
録音反訳:干田智子
構成:小川和恵
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小川 今日は、最近第一歌集を出版された北島邦夫さん(『ミントブルー』二〇一五年)、沼尻つた子さん(『ウォータープルーフ』二〇一六年)、そしてこれまでに一〇冊の歌集を出版され、また様々な方の歌集出版に際して助言等を行ってきた花山多佳子さんにお集まりいただきました。
 私小川がまだ歌集を出版したことのない立場から、疑問点、知りたいことをみなさんにぶつけます。よろしくお願いします。
 
◆歌集を出版する動機、きっかけ
小川 早速ですが、歌集を出版しようと思った、その動機、きっかけをお伺いします。
 まず花山さん、一九七八年に第一歌集『樹の下の椅子』を出版されています。
花山 あれは私の主体的なきっかけではなかったんです。私の状況が悪いときに夫が「歌集でも作ったら」と言ったというね。出版社からも出さなかったし。夫が勤めていた会社に持っていって、そこで使っている印刷所に頼んで持っていったという感じなんですよね。その辺の経緯は『NHK短歌』に書いています。
小川 去年発売された『続々花山多佳子歌集』の後ろの方にも「私の第一歌集『樹の下の椅子』」というタイトルで採録されていますね。
花山 そう、装幀も特になくて真っ白な装幀。私家版だけど「橘書房」って勝手につけて。
 あんまり作る気もなかったし。そういうときに出さない方がいいけどね。本当は自分が継続して勢いがあるときに出した方がいいと私は思っています。
小川 第一歌集だからもちろん初めてなんですが、誰か歌人の方で相談したりした方は?
花山 ながらみ書房の及川(隆彦)さんに相談したんです、作り方とかを。
小川 及川さんに歌の選び方などのアドバイスをいただいたんですか。
花山 そういうことはなかったけどね。何を教わったのか今は覚えてないんです。ただもう自分が勝手に選んで、すごく歌数を削り過ぎちゃったのね。その頃の一連の中から二首、三首だけみたいな格好で取ってきた。
 それは未だにすごく後悔ね。つまり膨らみがないわけ。自分では「こんなのだめだ」という感じで削って、採れるのだけを載せようみたいな感覚だった。削りすぎないようにということをまず言いたいですね。
沼尻 そのときはよかれと思ったけれども。
花山 一連からいいのだけ引いてくるみたいな作りをしちゃうと、すごく痩せちゃう。歌集がつまらない感じになるんですよ。結局二度と載せられないんだからね、そこで落としたのは。他の人から見れば、「こっちだっていいじゃないか」というのはあるわけでしょ。だから、やっぱり人に相談すべきというところはありますね。
小川 北島さんのきっかけ、動機はどういうものでしたか。
北島 私は、歌を始めたのが六十歳で、歌集作りにとりかかったのは六十五歳のとき。だから歌のストックはあまりなかったんですが、歌をやっている人に「あんたの歌面白いから歌集にしなさいよ」と言われて、その気になって。年齢も年齢でね、お金があるうちに、体力のあるうちに、気力のあるうちにまとめて出した方がいいかなという気持ちもあったんです。せっかく人が勧めてくださるなら思い切って出してみようかと、それが動機できっかけです。
小川 短歌を始めて五年ぐらいで。
北島 そうです。歌集をまとめようかと思ったときは千首ぐらいありましたかね。
小川 歌集を出そうと決心されたとき、どなたかに助言をいただいたりということは?
北島 助言というか「出したらどうですか」と二人の方に言われたんです。そのときに言われたのは「これはあなたの歌集なんですから、人がどう言おうとあなたが好きな歌をまず選びなさい」いうようなこと。そういう歌集です。
小川 沼尻さんはどうだったんですか。
沼尻 私は短歌を始めたのが二〇〇五年です。三十代半ばでインターネットでの投稿から始め、「塔」に入ってからまとまった作品を作るようになりました。数年経ち、総合誌の賞などにもある程度の成績が出せるようになった頃から「歌集を出さないか」とあちこちから言われて。でもその気にはあまりなれなかったんです。自分で決めていたのは、六十歳になったら還暦記念で出そうと。それが二〇一六年になったのは、当時、実生活が少し落ち着いてきたから。ずっと忙しかったのですが、たまたま数か月、ぽこっと穴が空くように時間ができました。そのとき自分の来し方を考えて、いろいろ思うところがありまして。ちょうどその頃に青磁社の永田淳さんから「もうそろそろいかがですか」とお声がかかりました。
 あとは、私の中で、やはり東日本大震災というのがとても大きい出来事でした。いくつかの連作でテーマにしましたが、どうしても時間がたつと風化してしまう、捉え方が少し違ってきてしまうと感じたのです。もう一つ、地下鉄サリン事件の菊地直子も同い年で、私の中では大きな存在でした。でもそれも、既に素材としては古びつつあって。時事詠を作っても時間がどんどん経ってしまう、今のこの気持ちをなんとか留めておきたいという意識が大きくなってきて、出版を決めました。
小川 そのときはどなたかに歌集の作り方などに関して相談したりとかは。
沼尻 まず淳さんに手取り足取り教えて頂きました。花山さんにも相談しましたね、いつも歌会でお世話になっていますし、ずっと私の歌を読んで下さっているので。でも花山さんは「好きにやっていいのよ」って。
花山 特に沼尻さんに関してはそれほどアドバイスしてないですね。まあ一人でやるだろうという感じで。
沼尻 見抜かれていた。
 
◆出版前の「歌集」に対する考え
小川 歌集出版を決めた時点で、自分にとって歌集というのはどういうものというイメージがあったのか、北島さんいかがですか。
北島 もう六十五歳過ぎて、一つここで整理しておく必要もあるなと。歌だけじゃなくてね、これまでずっと生きてきた私の人生を振り返ることなんてなかったものですから、ここで何かけじめをつけておく必要があるんじゃないかという気持ちがありました。だから歌集が自分にとってどのような位置づけかと言われると、あのときは「ここで一つ決算を打ってみようか」という感じだったですね。
小川 沼尻さんはいかがでしたか。
沼尻 私は、このまま自分がはかなくなってしまったら、何も辿れなくなってしまうのでは、と考えました。娘と息子がいますので、いつか「うちの母親は何をやっていたんだろう」と思った時、歌集があれば私の姿を少しは残しておける。それから将来、誰かが何かのきっかけで、「この沼尻って人、どういう歌を作ったのかな」と探したときに図書館にあれば見てもらえる、という意識もありました。きちんと一冊にまとめておけば、何らかの形で残るだろう、そういう気持ちが強かったですね。
小川 「未来に残す」みたいな意識が。
沼尻 そうですね、やはり震災がきっかけだったのかな。明日の命があるかはわからないけれど、本人がいなくなっても、短歌の形で自分がいたことを残せて、それが後世の人の何かしらになれるかもしれないな、と。
 北島さんは過去の決算という意識があったと仰って、私も勿論それもありますが、どちらかというと「未来に向けて残しておきたい」という気持ちが強かったかもしれないですね。
小川 花山さんは三十歳で第一歌集出されたということでしたけれども、そのときの自分にとって歌集というのはどんなイメージだったんでしょうか。
花山 そのときはそういう作業をやることで割合に前向きになれたということで。
 歌をまとめて歌集を作ろうというときに、結構その時期の自分も見えてくるし、その作るまでのプロセスの方が大きいかな。出した後それがどうなるかというのは、イメージとしては全くなかった気がしますね。
 歌集を持ったということで、短歌を続けられたという感じはあります。あそこで出していなかったら続けていたかどうかわからない。そのままもう糸が切れた凧のようになってしまう可能性はすごくあったわけ。それをつなぎ留めたのと、その後からはやっぱりその時期その時期でまとめることの意味っていうのはちょっと感じるわね。できたときにすごくその時期を感じるのよ。
小川 その収められている時期をですか。
花山 こういう時期だったということが見えるというか、そういう感じがします、自分では。作っていたときの感覚と、そこでまとまって見た場合の感覚がすごく違うのね。こういう歌集になるとは思わなかったって感じがいつもするの。
 やはり文体とか言葉とか、結構偏りがあるんですよね、一冊ずつ何となくね。「そういう精神状態の時期だったのか」とか、時代としても、そういう感じがわかる。内側では見えなかったものが一冊にすると外から見える感じというのはあるね。
 
◆収録する歌の選び方
小川 歌集を出版すると決めると、まず歌を選ぶという作業が誰でも第一に入ってくると思うんですが、その辺のことをお伺いします。
 北島さんは作ろうと思った時点で大体千首ぐらいあったということですが、そこからの選歌のやり方、基準をお話しいただけますか。
北島 まずは自分で好きな歌、嫌いな歌ですよね。でも、それほど好きではないけれどみんながいいと言っているという歌もあるので、それもちょっと入れてという感じです。
 歌集を作ろうかなと思ったときに、作りなさいよと言ってくださった方が「人にじっくり読んでもらいたいなら三百首ぐらいに抑えてください。それ以上多くなると読む人が飽きちゃうから」と。
小川 その辺のアドバイスもあったんですね。
北島 まあ三百首にするのはちょっと忍びない、こんなにたくさん作っているのにという、そんな貧乏根性が働いて、最初は五百首ぐらいに落とした。それから「これとこれダブってるな」「こういう歌書いておいて、またこんな歌入れていたら矛盾しているな」とか、そんなことを考えながら落としていった感じですね。
小川 落とすのって勇気要りましたか。
北島 要りますね。だけど、これはもう「えいやー」って。だけども出版までに期間があるわけで、一カ月、二カ月すると自分でまた作った歌の方がよくなってきてね。
小川 ああ、まとめている間に。
北島 そうすると、これ入れるためにはまた前のを削らなければ、そんな感じでした。
沼尻 出版までの間に新作ができるとそっちの方がいいかなってなっちゃいますよね。
北島 そうです。一度まとめたのにね。そうすると、章立ても変えないといけなくなったり。
小川 北島さんは基本的にご自分で選んだ?
北島 そうです。
小川 沼尻さんはいかがですか。
沼尻 私は多分三千首ぐらいありましたね。その中から結社誌や総合誌でそれなりの評価を頂いたり、読者から反響があったり、歌会に出して話題になった歌などを選んでいきました。先ほど北島さんが「飽きる」という言葉を使われた通り、ほんとに読むのに飽きてほしくなかったんです、正直。
小川 ああ、読者にね。
沼尻 そう、読ませる歌集にしたかったので章立てなどもすごく考えて編みました。でも今では、ちょっとやり過ぎたなと。歌数は相当削りましたし、最初に発表した形から、かなり改作しています。歌の並びも何度も入れ替え、未だに納得いってない点もある。でもその結果、花山さんが仰る「ふくらみに欠ける」ところがあったかも、という後悔は残っています。
小川 基本的に自分で選んだんですか
沼尻 そうですね。
花山 割と珍しいケースかもね。
沼尻 当初は花山さんに見ていただこうかと思いましたけれど、「沼尻さんはそうしない方がいい」って仰って下さいました。
小川 花山さんはいろいろな方から歌集出版の相談を受けていると思うんですけれども、たくさんある歌の中からどうやって選ぶか、どんな助言をされているんですか。
花山 助言というより、選を頼まれることが多い。ここのお二人のように全部自分でやるのが珍しいぐらい。ほとんどはもう自動的にこっちへ来ちゃうの。「選んでください」「自分ではとても見分けがつかない」と。でも、こちらに来るときに千首とか八百首が羅列して来たらもう大変でしょ。だから、ある程度自分でも落として、五百首か六百首、とにかく二倍ぐらいの感じにしておいてと言います。
 それと頼むのは、自分で章立てをしてほしということ。小タイトル、これは仮の名前でいいんだけどつけてほしい。数はかなり多くても構わないけど「これは一つのまとまり」という形で出してくれると、その中で落とす落とさないを決められるから、それだけはやってもらうようにしていますね。
 あと、本人にやっぱりどうしても入れたいのを印(しるし)してもらうこともありますね。つまらなくても落としてほしくないというのが作者にはあるので。その歌集としての出来ということと同時に、その人にとっては記録としてこのことだけは残しておきたいというのがね。誰かについて歌ったもの、例えば甥御さんが亡くなった一連は、私は削っていいと思っても、その人にとってはそれはその人の家族にも伝えたいということがありますよね。だから、それは残してほしいんだということは伝えておいてほしい。
小川 どんな基準で落としたり採ったり、花山さんはされるんですか。
花山 基本的には、やっぱり出来ですね。あとその章立てで考えた場合には要らない、ここまでくどく歌うことはないといった、一つのまとまりとして入るような形に構成するってことかな。だから、特に悪くない歌でも、そこにあると邪魔かなと思うものは落としていく。
 あと、事柄だけになっていくというのはちょっとやっぱりまずいなと。「病気した」「亡くなった」「娘の結婚式」…、それだけになるとやはりね。せっかく地の歌がいいのがあるのに。それは言うことありますね。
沼尻 読者がいるわけですからね。
小川 丸々一章落とすこともあるんですか。
花山 ありますね。全体で見ていった場合「この旅行詠は要らない」とかね、そういうことは結構多いかも。大抵の方は旅行詠が入っているんだけど、それが何カ所にもあって、その中身がいいものはまあ残してもいいけど、いくつも旅行詠があるという場合は、ばさっと切ってしまう。
小川 それは一冊全体として見たときのバランス、減り張りというものも考えるんですか。
花山 それはありますよね。ほかを落とせない場合に、数が膨大に多かったら、旅行詠あたりは、その歌集全体のことで言えば要らないかなみたいな。歌集として落とせない章というのはあるわけだから。
 
◆歌の並べ方
小川 歌集全体の並べ方で、よくあるのは第一歌集は編年体、つまり初期から最近までおおよその時系列に沿ってというのが多いと思うんですけど、たまに違うもの、逆編年体とか、部立みたいな感じとか、幾つかパターンがあると思うんですよ。その辺については花山さんはどのようにお考えですか、相談されたときはどのようにアドバイスを?
花山 時系列が多いですね。部立とか、抽象的に構成されたものは「塔」は少ないかな。
 大体が日常に沿って歌われている場合、順番を変えるというのは難しいんです。子どもの歳とか、誰かが病気になって亡くなるとか、その辺の順序を変えるというわけにはいかないので。それが原稿で時々逆になっていると、気になって直したりします。
沼尻 大学生だったのにまた小学生にとかね。
花山 そういうのは。読者も混乱するから。
 あと季節の並びがめちゃめちゃっていうの、これ困るのよね。一つの一連の中で春が入ったり冬が入ったりされると。やっぱり順繰りに来てほしいというのはあります。
 だから、しょっちゅう「これはこっちに移動」「これはどこかに移動できないか」「ここにあると変」とコメントすることは多いです。結局チェックしていると、全部細かに言うことになっちゃう。
小川 北島さんは、歌集を編むときにその辺はどんなお考えでしたか。
北島 まずは作った期間が短いというのがあって、ですからそんなに時間に幅があるわけではないんです。もう一つは、やっぱり作るからには全部自分で作りたいという気持ちが最初からあったんです。だから、表紙も全て全部自分でデザインしましたし。
 「これは私の歌集」という意識が強くて「これは私の一つの決算である」そういうつもりでやっていました。ですから、歌も編年体とか、そういうことはあまり意識しないで、好きなように組み替えたということですね。で、組み替える基準として四つ色を使った。全ての歌を四つの色に分類してそれぞれに歌をはめ込んでいったということですね。
 ですから、歌集を作るときに編年体でやるのが普通ですと言われたけれども、最初からそれは聞く耳を持たなかったですね。
沼尻 北島さんの歌集はこれ一冊読んでいて、中で時間が経過している感じはあんまり受けなかったので、今お話伺ってなるほどなと。
小川 沼尻さんは、歌の並べ順については?
沼尻 私は子どもの成長を追っていきたくて、編年体を意識しました。私生活にかなり密着した形で歌を作っていますが、それでも「私」そのものではないので、多少操作している部分があります。読者が読み進めやすく、さらに読んでいて平坦に感じないように構成して。章としてⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳと組み、それぞれの章の中で山を設定し、なだらかな箇所も作って…というように、リズムに乗って読めるように自分なりに考えました。
小川 編年体を基準としつつ、自分である程度減り張りを考えながら並べたという。
沼尻 なので、最近になって作った一首だけど、内容としては以前の連作に入れた方がすっきりするから、ではこっちへ持ってきちゃおう、みたいにしている歌も幾つかあります。
 
◆単発の歌をどう並べて構成する?
小川 歌集に収めるときには、章立てして連作というのが多くの形かと思うんです。それで、例えば「塔」に毎月六首なり七首なり載りますよね。それは連作的に作ることもあるけど、全然関係なくてばらばらに独立した感じで出すことも多い。あるいは、新聞や雑誌に投稿するときは基本一首単位なので、前後がどうのということもないですよね。
 そういう歌でも歌集に収めるときはある程度の連作として構成して載せるのがほとんどですよね。それはどのようにして構成したのか、その辺を教えていただきたいんです。
花山 私も聞きたいかな。ほとんどの人が「塔」で採られた歌とか、そういうものをだーっと並べちゃうことになる。「どこかで切って」と言うんだけど、それをどういうふうにやってくるのかなと。
北島 私の場合は、自分の頭の中で「歌集の中で展開する私の世界」というのを作ったんです。どこから私の世界に入ってもらって、どこで私の世界から卒業してもらうかという、そういうストーリーを描いて、それに沿って歌をはめ込んでいったという感じです。
小川 沼尻さんはどうですか。
沼尻 私は「塔」の月詠十首はほぼ連作で出します、その方が作りやすいので。だけど投稿作や題詠、歌会に出した詠草だと一首で立たせていますから、一章一首の歌にしました。
小川 巻頭歌「みずからにつけたる姓の沼の淵われはときどき覗きこむなり」は、もう全く一つ独立していて。
沼尻 これは最初に読んでほしかった歌なので、淳さんに「章へ入れず巻頭に置いてください」と伝えました。「これがイントロダクションですよ」という、言挙げみたいな形で。
単独の歌を連作に組み込んだ例は、離婚して娘と二人で暮らし出す連作の冒頭、六三頁の「借りたての部屋に横たえる 神様という大家にいつか返す体を」。これはネットの短歌コンテストで枡野浩一さんに選ばれた歌です。実際に賃貸に住む数年前の歌だけれど、この連作に入れると生きる、と思ったので。こういう創作・操作は、私自身ではするべきことだと考えています。しないと落ち着かないです。でもやり過ぎた感があるな、という自覚はあります。もっと混沌としてもよかったかなと。
 
◆初出からの改作について
小川 初出から改作して載せることも結構ありますよね。あるいは、例えば沼尻さんだったら塔新人賞を受賞した「あたたかな灰」も、受賞作そのままの形じゃないですよね。
沼尻 大分変えましたね。
小川 北島さんの「ふぢいろスリッパ」もそのままの形ではなくて、歌を減らしたり、改作したり。初出と違う形で載せた理由、どのように構成し直したのかなどをお聞きしたいです。
北島 例えば一連の作品の中でも自分としてはあんまり気に入ってない歌っていうのはあるわけ。要するに、何首かまとめなければいけないから入れたけれども、自分としてはあんまり納得してないっていう歌。そういうのは歌集に入れるときにはまず最初に削ってしまったというのが一つ。
 それと、一連の流れの中で言葉遣いや文体がそこだけ妙に変になっていると感じたら、自分では気に入っていても直すんですね。
花山 歌集作るときに歌を直しながらということありますよね。それは一つのそのプロセスの目的でもあるかな。そこを直しながら入れていくみたいなことはしますね。
北島 そうです。一連の流れの中でつながり部分がどうだとか。この章とこの章のつながりがどうもうまくないなというときには、どこにも発表してない歌や、そのためだけに作った歌を入れることでつなげたり。
花山 それはありますよね。
北島 私の『ミントブルー』の中の「Ⅲ ミントグリーン」の最初のこの歌「春ならばミントグリーンの空がよい 黒い畑の上にひろがる」はそうです。あえてこのためだけに作った歌ですね。
小川 花山さんも最初に発表した形から改作したり、一連から落としたりというのは結構される方ですか。
花山 あんまりやらないけど、そこで直したくなることはありますよね。そのとき作って突っ込むということもないわけじゃない。
 例えば、森岡貞香さんはすごく直すんでびっくりする。普通は歌集だけ見るから気がつかないけど、その当時発表された雑誌と突き合わせると「こんなに直してるの?」っていうぐらい直している。
小川 人によって癖もあるんですね。
花山 全くさっと出しちゃう人もいるし、一方でこだわる人は、もう完全に満足がいくまでいろいろ直すということもある。歌集作るときに、それはやっぱりあるんじゃないかな。
小川 沼尻さんはその辺のこだわりは?
沼尻 私はもう単純に、「最初に発表したのが下手すぎる、耐えられない」という歌は直して。
それから一冊にまとまったとき「ここ体言止めが続いちゃってる」「似たような比喩がある」、「同じ語句が出てくる」などがわかって、自分で許せずに、必死で推敲したり。
花山 わかる。だからね、歌集にまとめてみるとそういうのに気がつくわけよ。並べたときに同じ表現が多いとか、妙に終止形だけとか。
沼尻 そう、自分の手癖みたいのが見えてきちゃう。そこは頑張って直しますね。
花山 同じ時期に同じ動詞がやたら出たり。例えばだけど「崩れる」というのが多いとかね。何か妙なその頃の精神状況があって、すぐに「崩れる」と言うとかね。
小川 それって歌集としてもう一回まとめようとして初めて気づくことですよね。
沼尻 歌集にしようとすると、意外と自分の歌を客観視できる。北島さんや私は自分でまとめたので、特にそうかなと。自分が読者の目を持とうと努力したときに見えてくるものがある。そうなると「直したい」と考えますね。
 
◆歌集のタイトルについて
小川 タイトルは、歌集の一つの顔だと思うし、こだわりもあると思うんです。北島さんの歌集は『ミントブルー』という印象的な名前ですが、どうやって決めたんですか。
北島 ある商品を売り込むときにね、パッケージはどうするかってみんな考えると思うんですよ。似たようなパッケージだったら目立たない、印象に残ってくれないといけない。表題とか表紙というのはパッケージの部分、それをどういうふうにするかというのは歌集を記憶してもらうための大事な要素だと思います。ですから、人に任せないで自分でやった。
 私なんて始めてたった五年で歌集を作ったわけですから、誰も私のことを知らないです。贈ったところで誰もこんな人知らないということで終わってしまう。それをどう記憶してもらうかということを考えたときに、似たようなカバーでは記憶に残らない。似たような名前では記憶に残らない。やはりどこか記憶に残ってもらうような名前でなければいけないということで片仮名で、しかもあまり使ってない色の名前を入れたということですね。
小川 沼尻さんの『ウォータープルーフ』というのは、中城ふみ子賞の次席に入ったときのタイトルですよね。
沼尻 はい。でもその連作を収録していないんです。それも色々な人に色々なことを言われたけど、もう、入れないと決めていたので。ただ、この『ウォータープルーフ』、耐水性、水を弾くというのが、自分に合うと思ったのです。湿っぽいのは嫌いだけど、どうしても私の周りには水が降っている、それを弾き飛ばすように生きていきたいと。言葉の響きも好きだったし。それから北島さんも仰ったように、印象に残る書名をつけたかった。あまりこういうタイトルの歌集は見当たらないかなと。
小川 ある種この『ウォータープルーフ』という単語が自分の象徴っぽい感じ?
沼尻 そうですね。
小川 花山さんは今まで十冊歌集を出されていますが、タイトルを選ぶ工夫はありますか。
花山 あんまりなくて。本当にいつも困る、タイトルには。中の歌を見ていって、そこから採れる言葉はないかみたいな感じですよ。
沼尻 監修を依頼されるとき、歌集のタイトルは作者の方が決めていらっしゃいますか。
花山 一応、作者が案を出すかな。だけどこれでいいかどうかというのはやはり聞かれる。大抵は迷っているので、幾つか書き出して、どれがいいと思いますか、と聞かれる。
小川 では、幾つか候補を見せてもらうということも多いんですか。
花山 多い、多い。で「これがいいんじゃない」というような感じ。でも「もうちょっといいのないの」「何かこれじゃあまりにも」というようなことも結構多くて。それで、こっちも考えたりね。やっぱり全体をざっと見て「これにしたら」ということもあります。
小川 それって一冊全体のトーンや流れはやはり意識してつけるものなのですか。
花山 いや、全体のテーマみたいなのでつけるという感じでもないですね。ただ、あまりにも違うということでもなく、さりげなくつけたり。
 
◆章題のつけ方
小川 章ごとのタイトルはほとんどの歌集についていると思うんですが、それはどうやってつけたのか、教えていただけますか。
沼尻 私は章題にはとても拘ってつけました。通常はポイントになる歌のワンフレーズから引いてくるつけ方が多いと思います。私もそのパターンも勿論ありますが、章題と作品とが補完し合うような形にしたかったんですね。章題も一つの情報だと思うので。
 例えば娘がインフルエンザに罹った章の題は「リレンザ」です。インフルの薬の名前ですが、リレンザという語句を詠み込んだ歌は無い。でも、あえてそういうつけ方をしました。他にも娘と息子を詠んだ章「あねおとうと」と、私と兄を詠んだ章「あにいもうと」を並べたり、だいぶ凝って作りこみました。苦しい作業でしたけど、楽しくもありましたね。
 読者も読みながら、「こういうタイトルなのか」と考えてくれれば嬉しいなと思ったのですが、楽しんでくれた人と、あれ?と思った人と両方いたみたいですね。
小川 北島さんは、章題については?
北島 章題はやはり歌のグループでのそのイメージですよね。歌の中から拾っているのが多いですけれど、一応そのグループごとのイメージで決めています。そんなに凝ったのはつけなかったと思っています。
小川 花山さんは相談されたときに、章題に関してアドバイスさすることはあるんですか。
花山 こっちが変えちゃうことは結構ある。
小川 そうなんですか!
花山 章題見て、「つまらない章題かな」と感じたら。あと、ばっちりテーマ的なものをつけていたら、反対にさりげなく変えちゃうってことは多い。まともにそのコンセプトが出ちゃうみたいなのはね。
小川 読者の立場から、その章のタイトルと中身の歌との響き合いというのは感じますか。
沼尻 私は気にしちゃう方なんですけれど。
花山 読んでいてやっぱりつまんないって思うことはあるの?
沼尻 勿体ないと思うことはあります。連作を読めば十分わかることなのに、何故わざわざまたタイトルにこの言葉を持ってきたのかなとか。逆にいい章題がついていると、読者としてうれしくなります。
花山 目次見ただけも特徴はあって、こういう雰囲気の歌集だなというのは感じるわね。
沼尻 例えば書店でお客さんが買おうかな?どうしようかな?と悩んだとき、目次を見てこういう内容なのかと思われるだろうから、やっぱり興味は引きたいですよね。
花山 それだけで雰囲気のある目次ってあるからね。タイトル読んでいるだけで。何か素敵だなっていう。
 
◆歌集のビジュアル面~大きさ、歌の組み方、装幀など
小川 先ほど「タイトルも装幀もパッケージだ」「読者が最初に目にするところだから」という話もありましたが、装幀、大きさというのも様々ですよね。北島さんの『ミントブルー』、沼尻さんの『ウォータープルーフ』、花山さんの『晴れ・風あり』は大体同じ大きさ(四六判)。これと、あともう一回り大きい歌集(菊判)も割とポピュラーですよね。
 そういった歌集の大きさとか、装幀とか、ハードカバーかソフトカバーか。あと私が興味あるのが、二首組み、三首組みといった歌の組み方。それから、この花山さんの『晴れ・風あり』は基本的に二行書きですよね。でも、まだ一行書きの方が多いと思うんですよ。その辺はどうやって決めていったか、自分なりにここはこだわりがあった、そういうことをお聞きしたいです。
北島 要するに、二首組みだとページ数が増えてしまうので、まあここは三首組みか、でも四首組みだとちょっと細かくて見づらいかなという。その辺のバランスで決めました。
 あと大きさ、これは四六判ですが、あまり大きいと鞄の中へ入らないというのがありますしね。一応これだとレインコートのポケットに入るんですよ。
 ただ、ソフトカバー、ハードカバーということで言うと、何となくハードカバーの方が格好いいかなと。最初に作る人間としてはちょっと見栄を張ってみたというところでしょうかね。でも、結果的にソフトカバーの方がよかったかなという気もしないではない。つまり持ちやすいですものね、ソフトカバーの方が。
小川 一行書きで一ページ三首というのはわりとオーソドックスなスタイルですよね。
花山 二首組みなんかでやっていたら、歌数多い人は入らないからね。
沼尻 私は青磁社刊で、岡部史さんの『二つぶ重い疒』のサイズ感がとても好きで、あの本と同じようにお願いしますと。それとソフトカバーにして、読者が気軽に手にとれて、寝転がっても読めるようにと思ったんですね。あと、あまり読みにくくならないように三首組で。結果よかったかなと思っています。
花山 今すごく四六判が多くなっていますね。昔は大きいの(菊判)も多かった。かつてはあれが普通サイズだったのよ。
小川 花山さんの『晴れ・風あり』は二行書きですよね。これは何か理由があるんですか。
花山 あるときから全部二行書きなのね、私。なんとなくその方が好きになったということなんだけど。あまり多くないですかね、二行書きの歌集は。
小川 「塔」だと山下泉さんの歌集は二冊ともこういう二行書き。最近の歌集で言うと松村正直さんの『風のおとうと』も二行書きでしたよね。
花山 何となく二行の方がゆっくり読めるような感じがする。一行だと、上から下まで棒のように読んじゃうという感じがして。
小川 それは読者が歌を読むときのスピード感ということですか。
花山 そう、そういう感じ。人の歌集読むときにも、その方が何となくゆったりできる。
沼尻 私は二行書きになっていると、ちょっと「おお!」と思ってしまうときがある。
でも、それがじっくり歌に取り組むってことにはなるかもしれないです。確かにこの方がゆっくりできる。歌集ってすごいですね。
小川 今『晴れ・風あり』のぱっと開いてみたページにあるこの「黄葉(もみぢ)してばさり落ちくることもなし篠懸は疾(と)うに枝払はれて」という歌なんですけど(六二頁)、この「疾うに」というのが「疾」で改行して「うに」となっているので、一瞬、少し立ち止まる感があると思うんです。それが違和感あるという人もいれば、そこで立ち止まることでじっくり入ってくるという人もいるのかなという気はします。
沼尻 私は正直違和感の方が強いんですけど、でもゆっくりという話を今聞いて、ああ、なるほどと思いましたね。
小川 装幀の話ですが、これもぱっと見たときの第一印象ってあると思うんです。沼尻さんは花山周子さんに装幀していただいたということですが、どういう理由からですか。
沼尻 今まで周子さんが装幀をされてきた歌集の装幀が好きだったのと、率直に意見交換ができると考えて依頼しました。イメージを伝えたら、それ以上のものを返してくれたし、信頼できる方に頼めてよかったと思います。
小川 北島さんは装幀もご自分でされたということでしたけれど、この形におさまるまでの過程を教えて下さい。
北島 何度もパソコンの上で描いてみました。一番簡単なお絵描きソフトですけど。一番苦労したのは表紙の四角の大きさ。
花山 そういうのはわかるね。
小川 大分試行錯誤されたんですか、これに落ち着くまでに。
北島 一週間ぐらいはやっていましたけれど。
花山 楽しいでしょうね。
北島 楽しかったですね。
 
◆跋文、解説、帯について
小川 跋文、前文、解説。いろいろ呼び方ありますけれど、要は第三者の方に紹介的なものを書いてもらうというのは特に第一歌集だと多いと思います。あと、これは第一歌集に限らないですけど、帯文もあるのが多いですよね。
 それらを、誰に依頼する、どういう形にするというのをどう決めているのか、その辺の話をお聞きしたいです。
沼尻 花山さんは先ほどのお話だと、第一歌集はそういったものは一切なし?
花山 でも、跋文は高安(国世)先生にお願いしました。それで何となく歌集らしい体裁になった。書いていただいたので助かりましたけどね。それはもう単純に先生だからって感じ。
沼尻 花山さんが選をされて、そのまま跋文を執筆という歌集、とても多いですよね。
花山 多いですね。
沼尻 私も最初そんなイメージだったけど、でも沼尻はそうじゃない方がいいと。
花山 若い人に対しては、跋文じゃなくて、栞の方がいいと思って勧めています。
小川 栞の方がいいと思われる理由は?
花山 跋文とか解説という格好だと、ばっちりついちゃうから、本の中にね。だから、その本体から離した方がいいのかなと。複数の何人かが書いているという感じがちょっといいし。あと同じくらいの年齢の人とか、仲間が書く栞とか、そういう方がいいような気がして。
小川 沼尻さんの『ウォータープルーフ』はまさにその形ですよね。
沼尻 やはり花山さんのアドバイスがあって、一応若い世代だから「塔」以外の人からもお言葉を頂いた方がいいと。伊藤一彦さんは歌壇賞次席のときに推して下さったのでお願いし、吉川さんはずっと見守っていて下さった、「塔」を代表してお願いしたいと。服部真里子さんは、私より更に若い世代で親交があり、とても信頼していたので書いていただきました。
 帯は周子さんが栞から引いてくださって、引用の二首は自選です。初案では他選で違う歌でしたが、「これじゃない方がいいです」と、ここはわがままを通させて頂きました。
小川 逆に北島さんは跋とか解説一切なしですが、なぜそうされたんですか。
北島 自分で何かをやりたいという思いが強かったんですね。それともう一つは、私の歌をフォローしてくださっている方なんてそんなにいないだろうと。短歌を始めてから五年目ですからね。だから人にお願いをしても十分に読んでくれないんじゃないかなという思いもありました。
 まあ「前提条件なしに私の世界を見てください」という感じですね。余計な人の意見はなし、経歴も入れていませんけれども「そういうものは一切なしに歌の世界に入ってきてくださいませんか」というつもりで作った。だから、ある意味とても強引な作り方かもしれませんし、独りよがりだったかもしれません。だけど、自分としてはそれでよかったと思っています。
小川 帯もご自分で書かれたんですか。
北島 そうです。最初歌だけ並べておいたんです。そしたら、出版社の人に「推薦文か何か書いてないとちょっと格好つきませんね」と言われた。人に頼むよりは自分で自画自賛しようかなと思ったけど、それも格好悪いんでちょっと別のことを書いて「この歌集は一体何が書いてあるんだろう」というふうに逆に思わせてやろうと思った。そういう作戦です。
小川 でも、この帯文結構面白いですよね。「うん?何?読もう!」みたいな感じ。
 花山さんは、跋や解説を書いたり、帯文を書いたりということを、今までに何度もされていると思うんですが、気をつけていることはありますか。
花山 あまりその著者本人のことは書かない。歌だけについて解説するという感じかな。
沼尻 背景的なことを書かれる場合も多いですよね。作者とは一緒に歌会をしているとか、カルチャー教室の生徒さんで、とか。
花山 そういうのはちらっと言ったりはもちろんします。ただ「その人がどういう人」みたいな、よく「笑顔がいい」とか「すごく面白い人」とか、その人の印象を書いている跋もあるけど、それはやらないかな。
 あんまり長くは書きたくないと思っているんですよ。この頃だんだん長くなってきているでしょ、全体的に。長い方が喜ぶのかとも思ったりするけど、本当はもう少し短くていいんじゃないかと思ってるの。結構長く書いちゃうんだけどね。でも本当はそんなに書かなくていいんじゃないかとはいつも思いますね。小川 第一歌集に於ける跋や解説というものの意味づけ、どういう効果をもたらすのか、その辺はどのように考えておられますか。
花山 解説は昔から結構ありますね。明治からある。見ているといろんな書き方がある。自分の所の弟子を押し出そうとする気持ちとか、そういうのはすごくあります。そして、そんなに事細かに一首一首を云々しているっていう書き方じゃない。その人の位置づけ的なものを書いているのかな。
小川 これは私なりのこだわりなんですが、その解説なり跋なりは歌集全部を読むまでは読まないと決めているんです。というのは、最初に解説を読んでしまうことによって、変な先入観が入ったり、読み方を規定されてしまうのが嫌だから。
 まずは歌を全部読んで、それから「じゃあこの解説を書いている人はどんなふうに読んだのだろう」みたいに読むようにしているんです。だから一々細かな人物なり歌なりの解説をしてもらうのはあまり好きでないというのが個人的にあって。
花山 すごくよくわかるわね。この歌がどうたらこうたらってね、そういうのは。まあ書いているんだけどね、私も。だけど、それをやっちゃうと本当に書評書く人も困るし。
沼尻 「全部言われている」ってなっちゃいますものね。
花山 言われているような感じがしちゃうってことじゃない?ほかに言うべきこといっぱいあるんだけど、そう書かれちゃった以上は、みたいなことがあるし、やっぱり歌の選びも何となくそこに引きずられたり。
沼尻 解説や栞に引かれていると、それがこの歌集の中の秀歌なのかなとか思ってしまう。でも、そうじゃないですよね。北島さんは、それを避けたかったというのもあるのでしょうか。
北島 そうですね。無色の目で見てくださいということですね。
花山 素直な人は引きずられるんだけど、でも案外みんなタフだから、もう「自分は全然違う歌選ぶよ」というのはあるみたい。そこの枠組みが言われることで、反対に違う見方ができるよ、みたいなこともあるでしょうね。
沼尻 言われたことによって視点が変わるというのはあるかも。
花山 「そういう見方じゃない読み方しよう」と。そういう感じはやっぱりありますね。あえてこっちが選んでいるのではないものを見つけてきてくれるというか、そういう感じはある。
北島 そういうことやっていただけるとありがたいですね。
小川 解説を書くときに、その辺も意識されているということですか。
花山 アウトラインをちょっと引くところはあるんです。やっぱりその人の背景みたいなこととか、流れみたいなことはちょっと言っておこうかなと。でも、それがあると反対に違うことが自由に書けるかも。
小川 それは読む方が逆に自由に受け取れるということですか。
花山 書かれたことは書く必要がないので、もっと自由にやる、それはある気がする。
沼尻 自分がこの歌を見出したんだなっていう、それが歌集を読む喜びの一つでもありますよね。普遍的な面というのも勿論あると思うのですけど、そうじゃなくて「これは自分が光を当てた歌集の良さだ」みたいのは。
小川 解説などはそれを見出すための一つのステップみたいな位置づけもあるんですね。いろんな読み方を生み出すための。
花山 そういうことを思って書いてるけどね。
 

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