百葉箱2019年1月 / 吉川 宏志
2019年1月号
ウスバキトンボの群れに遭ひたり滅ぶるまで止まぬとふ渡りのどのあたりなる
竹下文子
字余りの多い歌だが、その粘るような感触が、独特の印象を生み出している。全滅するまで終わらないトンボの群れの飛行。自分が見ているのは、大量死の途中なのだ、というおののきが迫ってくる。
運転士のいない後部の車窓から遠のく黄花を見つめていたり
宗形 光
上の句から、前後両方に運転席のある電車なのだと想像できる。後部には今、運転士はいない。その空っぽの空間から遠ざかる風景を見ている。地味な一首だが、臨場感があり、どこか寂しい。
青鷺が啼きすぎてゆく湿原の夕映をひくその声の水脈
三上糸志
古風な作ではあるが、夕暮れの湿原の広がりが見えてくるような一首。青鷺の声にも、水脈(みお)がある、という幻視が美しい。
葉裏から蟻に引かれる自分の死見おろしている空蝉のあり
王生令子
発想が非常にユニーク。自分の死を自分で見る、というのは恐ろしい想像だが、それを明るい夏の風景の中に見いだしているのが凄い。
「先生の髪はどこにいったの?」と撫で来る子らの手がねちょねちょす
八木佐織
癌の治療をしながら小学校で働いているのだろう。幼くて事情が分からず、遠慮もなしに聞いてくる子どもたち。「ねちょねちょす」にさまざまな思いが含まれていて、胸を衝かれる一首である。
停車時もタイヤは車の重たさを ほんとの逃げ場なんてあるのか
笹嶋侑斗
停まっているときも、タイヤには車体の重量がかかっている。そのように、いつでも逃れられない生の重みがある。むしろ分かりやすい比喩の歌だが、下の句の口調が力強く、有無を言わせぬ説得力がある。