八角堂便り

紅葉、落葉、そして / 山下 洋

2019年1月号

 二〇一八年塔十月号表紙裏「河野裕子の一首」は〈青年は背より老いゆくなだれ落つるうるしもみぢをきりぎしとして〉。この一首が引き金となって、短歌を作りはじめた頃に出会った何首かが次々に浮かんできた。(以下、西暦年は上二桁一九を略、また何月号はすべて塔誌)
  背を抱けば四肢かろうじて耐えているなだれおつるを紅葉と呼べり
 まず、永田さん。『メビウスの地平』の出版は七五年十二月だが初出は七一年一月号。河野さんの歌と〈なだれおつる〉が共通している。同じ頃の作なのだろうか。とすれば、この紅葉もやはりウルシだったのか、などと想像が漂ってゆく。
 紅葉といえばもう一首、七五年十二月号〈紅葉は世界を覆い汝をおおいふとも抱けば火は匂うかな〉。七〇年代後半に入会した同年代の女性の何人かが、塔を選んだ理由の一つに永田さんの紅葉二首を挙げたことなども思い出されるのである。
 次は落葉、しかも桜。荻野由紀子さん、
  桜落葉厚くたまりし夕映えを歩みぬ帰路というものあらず
 七八年二月号。四句途中に置かれた「切れ」、そこから結句までの「断定」。リズムと語彙とが相まって、詩を完成させていると思われた。私の最寄り駅は、東口を出ると桜並木。本稿を書いている十一月下旬、路肩にはまさに落葉が厚くたまっている。思わず〈帰路というものあらず〉と口ずさんでしまう夕暮れなのだった。自分の作品がはじめて活字になった七八年四月発行の「京大短歌」十一号。工藤大悟君が送ってくれたのだろうか。荻野さんが読んでおられた。小さな字でびっしり評の記されたお葉書を頂いたのだ。私の歌について、最初に評を書いてくださったのは荻野さんだったのである。
 さかのぼって若葉へ。七七年十一月号、
  秋へ葉を展(ひら)ける楓 選ばれてえらばれて道故郷へきざす
                               玖勢野博
 
 玖勢野は、当時編集の中心だった光田和伸さんの「歌人名」である。〈帰路あらず〉とは逆。楓若葉は秋へ、そして〈故郷へきざす〉。それも〈選ばれてえらばれて〉なのだ。故郷に対する複雑な心情が揺曳していて印象的な一首である。でも、さっき逆と書いたばかりだが、四十年後の今になって考えてみると、〈帰路あらず〉と〈故郷へきざす〉とは、一枚のコインの表裏なのかも知れない。そんなふうにも思えるのだった。七九年の二十五周年記念増刊の総目次・執筆者索引。まだPCのない時代、光田さん指揮の下、カードで整理する作業だった。編集委員は光田・工藤・山下、および岩村京子さん、竹田京子さん、武田すみさんの六名。みな二十代だったと思う。工藤君は亡くなったし、他の方々も塔を去られて久しい。何十年と会わない方の面影は、昔のままに若い。稿を閉じようとして、妙にしみじみとした気持ちになってしまった。

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