テスト問題の歌 / 吉川 宏志
2019年1月号
評論はどのように書けばいいのですか、と質問されることがある。最も簡単なのは、自分が関心を持っているテーマや素材を詠んだ短歌を集めることだ。このとき、最近の歌だけでなく、古い時代からも探すことが望ましい。それを並べてみると、歴史や思想の変遷がおのずと見えてくるはずである。それを、一首一首の読みも大切にしつつ書いていくといい。
たとえば、テストなどの問題を題材にした歌に、私はちょっと関心を持っている。
まづ脛より青年となる少年の眞夏、流水算ひややかに
塚本邦雄『緑色研究』
一九六五年の歌集の歌。「鶴亀算」「旅人算」のような算数の問題名があって、その面白さや懐かしさを取り入れた一首と言えよう。大人びてきた少年が夏休みの宿題をしている場面か。「まなつ、りゅうすい/ざんひややかに」と句またがりでこの語を際立たせているのも鮮やか。
〈虫くい算〉さわやかにわが脳葉に展がりゆける火の秋の空
永田和宏『メビウスの地平』
その十年後に出た歌集から。このように、影響がどのように広がったかを調べるのも楽しいものだ。
なにゆゑかひとりで池を五周する人あり算数の入試問題に
大松達知『アスタリスク』
二〇〇九年の歌集。算数の問題の現実にはありえないような不思議な状況を捉えている。誰でもこんな問題を見たことがあるので、同じようにハッとさせられる。つまり、驚きの共有性が高い。
じつは私もこんな歌を作っている。
ア 蜂が鯨を刺すから イ 僕は人麻呂だから ウ 眠いから
『青蟬』(一九九五年)
シュールな歌を作りたかったのだが、ただ無茶苦茶に作っても、多くの場合、無視され、読み飛ばされてしまう。どこかに共通の土台みたいなものが必要なのだ。試験問題は、共有できる〈型〉であって、その中では、どんな異常なことも起こり得る。そんなことをぼんやりと考えながら作ったように思う。五・七・五・七・七のリズムに、一応合わせているのも工夫したところだった。
輪になってみんな仲良くせよただし円周率は約3とする
四百字以内で述べよ世界標準と八紘一宇の差異を
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』(二〇〇五年)
この歌集にも、こうした問題形式の歌が含まれていて、刺激的であった。問いの暴力性みたいなものを感じる。無理に答えさせようとする何者かの不気味さが伝わってくるのである。ちなみに一首目は、いわゆる「ゆとり教育」で、円周率を3・14ではなく、3で計算してもいいとしたため、大きな批判が生じたことを踏まえている。二首目は、現代のグローバリズムにも、過去の植民地侵略の思想が含まれているのではないか、という問いかけと言えよう。
問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい
川北天華
これはインターネットで非常に話題になった歌(当時、作者は高校生だったという)。「○○を無視してもよい」は、物理などでよく使われるフレーズ。無機質な試験問題が、意外な美しさに転化するところに、この歌のエレガントな魅力がある。「問十二」で始まる唐突さもユニークだ。
昨年の『現代短歌』八月号では、沖縄の屋良健一郎の作品が目を引いた。
基地あるがゆえの 夜の雨のけぶれる中をネオン艶めく
① 犯罪 ② 繁栄
これも問題になっていて、①と②のどちらを選ぶかを迫る形になっている。基地問題について、つねに賛否を問われる沖縄の人々の苦しみを、可視化したものだと、私は受け取った。一見、遊びのようだが、いつも試されている精神的な疲労感も伝わってくるように思う。
試験問題形式には、誰にでも分かる親近感があり、それとともに一つの答えを迫る恐ろしさも潜んでいる。その両面性を、短歌の中で生かしているといえよう(というふうに、評論ではまとめるのだが、まとめすぎないほうがいいのかもしれない)。