八角堂便り

結句言い差しの歌 / 三井 修

2018年12月号

 毎月の選歌をしながらいつも気になっていることの一つに、結句の言い差しがある。
  撓む枝(え)にかすかに羽搏く野の鳥よおのれの重さにたじろぎながら
 昨年五月号の自作である。これは結句「ながら」と言い差しているように見えるが、単に「撓む枝におのれの重さにたじろぎながら羽搏く野の鳥よ」という表現を倒置にしただけで、言い差しとは言わない。
  片目ずつ白内障の手術せり白だと思った白がまっ白に
 私のカルチャー教室に提出された作品である。「思った」は「思っていた」としたいし、文語口語が混じっているのも気になるが、内容的には面白いところを歌っていると思う。私も昨年別の病名で右目の手術をしたが、医師から「少し白内障の症状も出ているので、ついでにこちらの方も手術しておきましょう。」と言われて、思い切ってやってもらったが、術後に驚いたのは、手術した方の目だけで見る世界が実に白く明るく見えて、反対の目だけで見る世界が黄ばんでいることである。確かに、自分がそれまで白だと思って見ていた物が真っ白に見える。そんな驚きを歌っている作品である。
 ところで、これは上句で一旦切れていて、下句は独立した文体であり、言い差しというか、言葉足らずになっている。
 結局私は次の様に少し思い切った添削をした。
  片目ずつ白内障の手術して「白」が真白であると知りたり
 また、こんな作品もあった。
  チリリンと涼やかな音共なって霧の中よりヌッと山の人
 「共なって」は「伴って」の誤字であるが、それよりもがやはり結句の言い差しが気になる。何か着地しない印象が拭えないのである。結局、これはこんなふうに直した。
  チリリンと涼やかな音伴いて霧の中より人の現わる
 結句言い差しが気になる人は他にもいるようで、少し前の「現代短歌新聞」(三十年四月号)の「添削コーナー」で吉村睦人氏がやはりこの問題を取り上げて、次のように書いている。
  このように言いさすのは、ぞんざいな、投げ遣りの口調になり、折角の大事なこ
 とを粗略に扱っているようになってしまいます。
 吉村氏の気持ちはよく分かる。しかし、言い差しを全部機械的に終止形に直したらいいかというと、そう単純に断定出来ないところが難しい。時には言い差しで成功する作品があるのだ。ただ、最近の「塔」に例を探したが、残念ながら見つからなかった。言い差しで成功させるのはそれくらい難しい。

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