八角堂便り

七年の正しい速さ / 小林 幸子

2018年11月号

 『2566日目・東日本大震災から七年を詠む』が、七月三十一日に発行された。
 東日本大震災から九十九日目の二〇一一年六月十八日、塔短歌会・東北のメンバーが歌会を開き、その作品をもとにして『99日目』が編まれた。それから一年ごとに、震災後の日数を冠した冊子を発行してきた。七年という時間は、それぞれの上にどのように流れたのだろう。
  子どもの頃の写真貸してと頼まれぬ結婚をする幼なじみに
                             逢坂みずき

 宮城県女川町に育った作者、もうすぐ結婚する幼なじみから、子どもの頃の写真を貸してと頼まれる。披露宴で上映するスライドの写真だろう。友の家は津波で流され、アルバムも残っていない。
 東日本大震災が起こったとき、作者は高校一年生ぐらいだっただろうか。
「七年という年月の流れの、正しい速さはどれくらいだろう? 大人たちは急に年老いてしまったように思うし、子どもたちは一気に大きくなったように思う。」
 作品に添えられたエッセイの数行が胸に痛かった。「七年は速かった」という体感も「震災のせいかどうかは分からない」と感じてしまう心もとなさが「あの三月十一日の後を生きるしかない」という自覚につながっている。
  七年経て閖上小学校開かれて閖上の子九名入る
                        萩生 初江

 「日本歌人クラブ」主催の「第三十九回全日本短歌大会」に出詠された一首。
 東日本大震災の津波で大きく壊された閖上小学校は、同じく被害の大きかった閖上中学校とともに「閖上小・中学校」としてこの春開校した。
 歌は事実をそのまま詠んでいるにすぎない。「閖上小学校」の背景を知らなければ読みすごしてしまいそうだ。震災後七年を経てこの春再開した閖上小学校に、生徒たちが戻ってきた。そして九名の子どもが入学した。みな震災後に生れた子どもたちだ。震災を胎内で経験した子もいるだろう。避難先で生まれた子も、仮設住宅で育った子もいるかもしれない。どの子もみな大事な「閖上の子」なのだ。「七年」と「九名」という数字には見守る作者の特別な思いがこめられている。
 「閖上」という地名に興味をおぼえて、私がパソコンで検索してみたのは震災の半年前ぐらいだったろう。閖上小学校の子どもたちの大きな文字のサイトがあった。「閖」というめずらしい字は、殿さまが門の中から眺めると豊かな水がみえて命名したという伝説が紹介されていた。
 川と海の恵みのゆたかな閖上の町を紹介する児童たちの、誇らしさが伝わってくるサイトだった。閖上を訪ねたいと思っているうちに東日本大震災が起きた。
 先日、テレビで閖上小・中学校でピアノを演奏する番組があり、音楽を聴く一年生をカメラが映しだした。「閖上の子九名」はとてもよい表情をしていた。

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