八角堂便り

金子兜太氏の思い出 / 栗木 京子

2018年9月号

 今年の二月に俳人の金子兜太氏が亡くなった。九十八歳であった。
 平成二十一年(二〇〇九年)発行の『金子兜太の世界』(角川学芸出版)に私は氏の印象記を寄稿している。隣のページには河野裕子氏も文章を寄せており、二人とも平成五年(一九九三年)十一月十四日の第四回高安国世記念詩歌講演会に兜太氏を講師としてお招きしたときの思い出を記している。そして魅力的な講演の中でとりわけ興味深かったこととして、これまた二人揃って、
  古池や蛙(かはづ)飛び込む水のをと
                  松尾芭蕉
 
について、氏が「蛙は複数いて、古池じゃなくて隅田川に飛び込んだのだ」と語ったことをあげている。
 「古池や」の切れ字「や」を氏が重要視したこと(古池が隅田川へとワープするくらいに「や」の切れは強い、という解釈)に私は惹かれたのだが、河野氏は兜太氏が「発情期の蛙どもが、じゃぼん、じゃぼん、じゃぼんと隅田川に飛び込むのを詠んだんだ」と語ったことに注目している。「じゃぼん、じゃぼん」によって話が俄然生気を帯びて納得させられた、というのである。「じゃぼん、じゃぼん」に引き寄せられたところが、いかにもオノマトペの名手の河野氏らしい。
 兜太氏とは何度かパーティーなどでお目にかかっているが、最も心に残っているのは平成二十三年(二〇一一年)七月に国立能楽堂で馬場あき子氏の新作能「影媛(かげひめ)」が上演されたときのことである。兜太氏とたまたま隣同士の席で観賞したのだが、乗り出すようにして一心に舞台に見入っていた姿が今も目に浮かぶ。
 「影媛」は海石榴市(つばいち)の歌垣の前狂言から始まるのだが、歌垣の男女の掛け合いに現代短歌が用いられている。
  女二 (中略)なう。よくよく見れば。回れよ回れ思ひ出は。君には一日(ひとひ)
  われには一生(ひとよ)。名を呼ばれしものの如くにやはらかく朴(ほお)の大樹(たいじ
   ゆ)
も星も動きぬ。なういとしい人。こちへござれこちへござれ。

 例えば、この呼び掛けには、
  観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)
                             栗木京子『水惑星』
  名を呼ばれしもののごとくにやはらかく朴の大樹も星も動きぬ
                           米川千嘉子『夏空の櫂』
が取り入れられている。兜太氏から、
「あなたの短歌はどこに出てくる?」
と聞かれて、その箇所をお知らせすると「じつにいいねえ」と、わが事のように喜んで下さったのが忘れがたい。
 上演の当日、氏は美しいブーケを用意しており、終演後に馬場氏に「お祝いです」と手渡していた。はにかみながら花を捧げる氏は、少女に愛を告白する少年のようで、まことに素敵であった。
 心よりご冥福をお祈りいたします。

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