八角堂便り

五月号の八角堂便りを巡って / 花山 多佳子

2018年8月号

 五月号の八角堂便り、永田淳の「のど赤き玄鳥の「て」 品田悦一『斎藤茂吉』を巡って」を興味深く読んだ。
  のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり
                                   『赤光』
 この有名な歌の読みについてである。品田悦一『斎藤茂吉―異形の短歌』での、この歌の読みに永田淳はちょっと引っかかったという。永田淳が要約した部分をそのまま引用すると、
「(略)上三句は、末尾の接続助詞「て」を介して述語「死にたまふなり」に係っていますから、(燕が梁にとまっていること)と(母が死ぬこと)は並列の関係で、相互に時間的な隔たりはないものと解さねばなりません。もちろん上下を同時に見るなどという芸当は現実には不可能ですから、一首の構造は空間的・時間的に歪んでいることになりますが、この歪みに表現の破綻しか見出さない人は、ゴッホの描いた教会の窓をも単に拙劣としか見ない人でしょう。」
 上下を同時に見ているわけではないから、歌の構造が歪んでいる、という捉え方に永田淳は驚いていて、一般に歌人はそうは解釈しない、と言う。そして、
 「われわれはどちらかといえば「燕がいることによって母が死んだ」というような、ある種の原因と結果を繋ぐ助詞としてこの「て」を捉えがちで、歌会などでは「この「て」はちょっと変だよね」といった批評を加えそうである」と書く。「いて……死にたまふなり」と読めるので、そうじゃないのに変だ、という批評が出そうだというのである。なるほど。因果関係とは読まないまでも「ゐて」がただ単に並列とは思えない繋がりを感じさせる、というのはわかる。
 塚本邦雄の『茂吉秀歌「赤光」百首』では「「屋梁(はり)にゐて=死にたまふなり」といふ情景設定と断定の二要素を繋ぐものは何もない。「て」の働きはそのくせ量り知れない。他の歌では、かういふ時、茂吉は三句切にすることもあつた。「て」ある限り、生は死に翳かげを落し、死は生を照らすことわりのあはれを掬すべきか」とある。生死を対比する「ことわり」が、ここに醸されると読んでいるわけだ。
 三句切にするとどうなのか。「屋梁にをり」「屋梁にゐたり」とか。そうすると上下の比重が同じになってしまう。
  たたかひは上海に起りゐたりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり
 というようには行かないのだ。「ゐて」は茂吉にも珍しい繋ぎで、ちょっと口語的で、繋ぐともなく繋いだ感じだ。
 永田淳が「われわれ」という形で歌会の批評などを持ち出したのは何故かと思う。永田は品田悦一の学者らしい読みに対してだけでなく、歌会での批評傾向にも複雑な気持ちを抱いているのかもしれない。

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