青蟬通信

読者に想像させる力 / 吉川 宏志

2018年8月号

  ぬばたまのソファに触れ合ふお互ひの決して細くはない骨と骨
 小佐野彈の『メタリック』は最近読んだ中で、特に印象に残った一冊なのだが、その良さを説明するのはなかなか難しい。
 帯文に、「オープンリーゲイとして生きる自分の等身大の言葉」とストレートに書かれている。作者の境遇を意識しすぎではないか、先入観を持ちつつ読んでいるのではないか、という疑問も湧き上がってくる。
 ただ、直接にゲイであることを表出している歌はほとんどない。
 たとえば冒頭に挙げた歌では、下の句で男性同士の性愛であることが暗示される。ゲイという情報がなくて、不注意でいたら、見過ごしてしまうかもしれないサインである。
 歌集の外側で「オープンリーゲイ」という強い文脈が作られ、それによって一首一首の歌が、複雑な陰影をまとってゆく。ライトで照らすことで、闇の中の物体が、独特の存在感を持ちはじめるのとよく似ている。具体的に述べすぎず、読者に想像させるのがとても巧みなのである。
  家族つてかういふものか ふるさとの桃や葡萄はみんなまあるい
  胸元に青いたしかな傷を持つあなたと父の墓石を洗ふ
 歌集の中で並んでいる二首である。一首目は歌会にこれだけで出されたとしたら、〈甘い〉という批評も出そうである。ただ、歌集の文脈によって、故郷(山梨県のようである)では、異性愛者が疑いもなく幸せそうな家族を営んでいるのに、ゲイである自分は疎外されている、という心情が浮かび上がってくる。
 二首目も、単独では詳しい状況は分からない。しかし、おそらく、胸に青いタトゥーを入れている同性の恋人とともに、父の墓参に来ているのだろう。保守的な故郷では、その関係は認められない。あまり人気のない墓地で、ひっそりと墓を洗っている二人の姿が見えてくる。
 そのように読むとき、作者の哀愁は、気配のように伝わってくる。そして、同性愛者に対する差別への抗議も、静かに響いてくるのである。
 ある意味で、読者の側がストーリーを作りながら読んでいるという面もあるだろう。それに対する批判が出てきてもおかしくはない。
  打ち明けるべきもろもろをてのひらにあたためながら診察を待つ
 一首だけだと抽象的すぎる感じがする。ただ、すぐ後に「自由が丘心療内科」と実在の病院の名が示され、ゲイであることを医師に打ち明けようとしている場面なのだろうと想像させられる。そのとき、「てのひらにあたためながら」という表現が、意外な実感を持って立ち上がってくる。歌集の構成の妙とも言える。むしろ、言葉で明示していないものを感じさせる技量を評価したいのである。
 『メタリック』というタイトルもおもしろく、光が当てられたときだけに浮かび上がる色彩ということで、この歌集の言葉の存在感をよく表しているように思われた。
 もう一つ指摘しておきたい。
  ぐちやぐちやに絡まつたまま溶けゐつつあらむ 始発を待つ藻屑たち
 新宿駅で徹夜明けの電車を待つ若者たちを詠んでいる歌だが、「溶けゐつつあらむ」という特異な文語からは、すぐに次の歌が連想される。
  海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も
                            塚本邦雄『水葬物語』
 深読みをすれば、現在の退廃した若者の姿に、戦死者の姿を重ねていると言える。小佐野彈の歌は口語中心だが、しばしば文語も混じる。文語を使うことで、過去の短歌とつながろうとする意志を感じることがある。『メタリック』には現代の風俗がきらびやかに描かれている側面もあるが、今だけの言葉を見るのではなく、歴史性を帯びた言葉を捉えようとする姿勢も貫かれていて、私は共感した。言葉には時間が刻まれている。たとえば次の歌にも、小佐野の志向はよく表れている。
  ジェスチャーがゼスチユアだつたあのころのふみ子の乳房のかたちを思ふ

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