百葉箱2018年6月号 / 吉川 宏志
2018年6月号
水害で陶土失くせし小鹿田(をんた)焼大事にしまへと君が言ふなり
福井まゆみ
昨年の九州の豪雨で、陶土が採掘できなくなったという。災害が思わぬ形で、さまざまな人々の生に影響を及ぼすことを、改めて感じる。「小鹿田焼」という名前が印象的。「君」は陶器に詳しい人のようで、さりげない優しさも伝わってくる。
死ののちを死者は生者のものとなり平手打ちした夜も明かさる
山下裕実
上の句に納得する。人が亡くなった後、生き残ったほうが、どのようにも語ってしまうことへのおののき。「平手打ち」の状況は分からないが、強いインパクトがある。
石橋の下陰にならぶ鯉の尾が冬の光を流れにまぜる
谷本邦子
「石橋の下陰」に鯉がひそんでいる、という観察が丁寧で、静かな風景が目に見えてくる。そして結句の「まぜる」という動詞がよく効いている。鯉のひれのやわらかな動きがいきいきと感じられるのである。
鬼にやりすぎてしまいし子の枡に「福」用の豆をすこし足してやる
丸本ふみ
「鬼は外」とまきすぎて、「福は内」の分が足りなくなってしまった。不安そうな子の顔を見て、自分の分を分けてやったのだろう。簡潔な表現で描かれ、情感が深い。
臨月の娘がプールで泳いでる一息もぐって鯨の腹みる
宮本 華
「鯨の腹」は、妊娠した娘の大きな腹のことだろう。嬉しさとともに興味もあって、水に潜って、腹を眺めている。「一息」に躍動感があり、ほほえましい一首。
さっきまでスピカと歩いたほろ酔いのぼくの右手に麦の穂のこる
永野千尋
スピカは人名なのか、星の名前なのか分からないが、どちらでも良いのだろう。言葉の組み合わせが爽やかで、美しい一首である。なぜ右手に麦の穂があるのか、謎めいているが、そこに詩情があるのだ。