青蟬通信

「結社」ということ / 吉川 宏志

2018年4月号

 今年の一月、花山多佳子さんと「結社の現在」というタイトルで対談をした。「結社」という言葉は、今ではやや古めかしい語感を持っている。しかし元々は「アソシエーション」の訳語なのだった。「短歌アソシエーション」と言い換えると、ずいぶん新しい印象になる。
 「結社」という語が使われ始めたのは、明治初期らしい。福沢諭吉の『文明論之概略』(明治八年)などにその用例を見ることができる。
 「そもそも方今にて結社の商売を企(くわだつ)る者は大抵皆(みな)世間の才子にて、かの古風なる頑物が祖先の遺法を守(まもり)て爪に火を燈(とも)す者に比すれば、その智力の相違固(もと)より同日の論にあらず。」
 福沢諭吉はアメリカやヨーロッパの社会を視察し、人々が自由に論議して物事を決めていることに、大きな衝撃を受ける。当時の日本には、「祖先の遺法」を頑迷に守るばかりで、新しい知識を活用できない風潮があった。それでは時代の進歩に取り残されてしまう。結社を作ることが、「智力」を高めるためにどうしても必要なのだと、諭吉は考えたのである。
 「西洋諸国の人民、必ずしも智者のみにあらず。然るにその仲間を結(むすび)事を行い、世間の実跡に顕(あら)わるる所を見れば、智者の所為(しょい)に似たるもの多し。」
 西洋人は個人として優れているわけではない。しかし、集団として活動する能力に長けているので、日本人は圧倒されてしまう。諭吉の悔しさや焦りがよく出ている一文であろう。
 「仲間を結ぶ」という言葉には、現在の感覚以上に、切実なものがあったのである。当時の日本には厳しい身分制度が残っていて、平等な関係を結ぶことは難しかったのだ。
 結社は、自由に平等に論議することができる関係性を基盤としていたはずなのである。
 しかし、結社が長く続いていくと、どうしても力関係のようなものが生じてくる。先輩・後輩という関係もあるだろうし、活躍しているかどうか、といった評価の差も出てくる。あるいは結社が男性社会化した場合に、女性が抑圧されるということも起こりやすい。組織である以上、政治性が生まれてくるのは避けられないが、それが暗鬱な空気を作り出してしまうこともある。
 これは非常に難しい問題で、短歌のように伝統的な詩型の場合、古くから存在する価値観を、新しい世代に継承する機能も、結社は担うことになる。ただ、それが強制的になってしまうと、新しい芽をつぶすことにつながりかねない。
 さまざまな価値観が、あやういバランスの中で、せめぎあうこと。そのスリリングさが、結社の活力を、最も引き出すのだろう。そして、迷ったときには「仲間を結ぶ」という原点に立ち戻ることが大切であると思う。
  集団は嫌ひわけても結社の人混みは眼の玉撫でて黙しゐるのみ
                       河野裕子『体力』(一九九七年)
 対談の中で取り上げた歌だが、この時期の河野裕子さんは必ずしも結社に対して、好印象を持っていなかったように思う。
  選歌してまた選歌してことごとく他人(ひと)の歌なるを指が分けゆく
 同時期の歌だが、他人の歌ばかりを読むことへの違和感がにじむ。
  おほかたは名と書体のみ知る人ら歌選びゆく一夜をかけて
                        河野裕子『庭』(二〇〇四年)
 ところが七年後のこの歌になると、選歌への思いはかなり変わってきている。歌だけしか知らない他人であっても、力を尽くして選ぼうとしている。手術してまもない身体だったはずだが、一晩中選歌をしたこともあったようだ。
 河野さんは、重病になってからも選歌はやめなかった。選歌は大変な仕事なので、体に悪いのではないか、と心配することもあった。しかし、今にして思えば、選歌をすることで、気力を支えていた面もあったのかもしれない。他人のエネルギーに触れることで、自らを燃え立たせていたように感じるのである。
 読むことで、他人の生命に触れる場所。結社にはそんな側面もある。

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