八角堂便り

歌はあを雲にむかひて案ぜよ / 前田 康子

2018年3月号

 『短歌名言辞典』(佐佐木幸綱編著・東京書籍・平成九年出版)という本をずいぶん前に買って歌ができないときなどにぱらぱらと読んでいる。万葉集以来の膨大な歌論を見わたしてみたいという願いから生まれた一冊で、千三百年間の二百六十余名からの名言が集められている。
 「短歌とは何か」「どう歌うか」「何を歌うか」「どう読むか」などの七つの項目に分かれていて、巻末には歌の歌(歌についてうたった短歌)も載っている。
 例えば私は次のような文章に立ち止まる。
  たとへば雪―――雪が降つてゐる。其(それ)を手に握つて、きゆつ・・・と握りしめる
 と、水になつて手の股またから消えてしまふ。其が短歌の詩らしい点だつたので
 す。

 これは釈迢空の言葉で何かの放送からとられている。この言葉で釈迢空は短歌の内容の無いところが詩らしい点と言っているのだ。この言葉は歌は本来、神意を述べるもので人の思いを述べるものではなかったという発生部分の考えから来ているという。ただ私はそういった歴史的な部分を意識しないでこの名言を楽しんでいる。この一文を読むたび雪のようにはかなくとけ、それでもいつまでも人の胸に何かを残していくような歌が自分の中から生まれて欲しいと思う。
 また次のような一文はどうであろうか。
 歌をば一つ橋をわたるやうによむべし。左へも右へも落ちぬやうに斟酌(しんしゃく)
 べきなり。

 これは中世の歌人、頓阿の『井蛙抄』からである。和歌は丸太の橋を渡るように、左にも右にも落ちないように注意を払って丁寧に詠むべきであるといったような意味だ。これは頓阿自身、歌道の極意と認めていたらしい。
 この名言には二つの意味があるという。ひとつは「歌道」という修行と稽古の一本道が橋にたとえられている。もう一つには歌には新しさが必要だが奇抜になりすぎてもいけない。そのバランスのようなもの、もしくは対象への集中を橋にたとえている。この名言から私は表現にぴたりとあてはまるまで慎重に言葉を選んでいる状態を思う。たった一つの助詞の使い方や、言葉運びで一首が台無しになってしまうことがある。丸太の橋から落ちるというのはそのような時を思い浮かべるのだ。
 「短歌の批評は、歌会の席上でお互むきだしになつてやるのがいちばんためになる。」は結城哀草果の一文。「歌の調がもっとも美しい輝きを放つのは季節を歌うときであろう。」は小中英之。こうやって名言を拾い読みすると、歌作に対する緊張がほぐれ言葉が動き始める。「たヾ歌はあを雲にむかひて案ぜよ。」これは先の頓阿。「心を清澄にして詠むべし」より断然こちらが気持ちを引き上げてくれる。

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