八角堂便り

「初冠(うひかうぶり)」のことなど / 山下 洋

2018年2月号

 二〇一七年十月、福島歌会におじゃました。郡山での全国大会から二箇月足らず。また福島県を訪れたことになる。福島駅前では芭蕉と曾良の像が出迎えてくれた。歌会会場近くの置賜町交差点では、吾妻通り、信夫通りの表示を見る。そうなんだ、信夫郡(しのぶごおり)は福島市あたりだったのだ、と了解したのである。京都まで辿り着けそうにないので、その日は福島泊。
 翌朝、小林真代さんから着信。時間があれば、もぢずり観音へ行きませんか、とのこと。月曜は祝日だったので、もちろん急ぐわけではない。よろこんで案内していただくことに。「もぢずり」は「文知摺」と書くらしい。福島駅から文知摺観音まではバスで二十分ほど。ここでも芭蕉の像に出会う。境内に多い楓の木、紅葉には半月ばかり早いのだろう、まだまだ青葉である。句碑や歌碑がたくさん、そこここに据えられている。芭蕉の句碑は『奥の細道』にある〈早苗とる手もとや昔しのぶ摺〉。そして、彼を呼び寄せたこの歌枕を代表する歌、〈みちのくの忍もぢずり誰故に乱れ染めにし我ならなくに〉の碑。などなど。
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 二〇一七年八月号吉田健一さんの「古典和歌に詠まれた福島の和歌」に「以上あげた歌枕を詠んだ和歌であるが、実際にその地を訪れて詠んだ歌は少ない。(中略) 源融(みなもとのとほる)の歌にしても、作者が現地に赴いたという記録は残されていない。」とある。おそらく、そうなのであろう。しかし、ここにも悲恋の伝説は残っている。按察使としてやって来た融と恋仲になった村の娘、虎女。京へ呼び戻された男を待っているうちに病に臥せる。その死の間際、〈みちのくの…〉の歌が都から届けられた、というものだ。
 「歌を届ける」から、狩衣に歌を記して贈った話を思い出した。伊勢物語第一段「初冠」。〈春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れかぎり知られず〉。そして、この段の末尾、「昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。」の前に挙げられているのが、〈みちのくのしのぶもぢずり…〉の一首なのである。
 融と業平は、ほぼ同時代の人。この二首がなったのは、「古歌の心ばへ」というほどには時を隔ててはいないであろう。ただし、歌の趣はずいぶん違っている。狂おしいほどに恋い焦がれて身もだえするような、融の歌。異性のことが気になってしかたなくなる時期、思春期の恋の始まりのような、業平の歌。伊勢物語はこの二首から始まるのである。
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 逢いたいと観音に願掛けをした虎女。その満願の日、融の面影が、境内の文知摺石(鏡石)に映ったという、その巨石をめぐりつつ。河原院(かわらのいん)に、みちのく塩竃、千賀(ちが)の浦を模した庭を造って愛でたという、融を偲んだひとときであった。

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