青蟬通信

『松川歌集』と薄笑い / 吉川 宏志

2017年12月号

 『松川歌集』という本を、最近たまたま読むことがあった。もともとは一九五四年に新日本歌人協会が発刊したものだが、復刻版が「塔」会員の長野晃氏によって刊行されている。
 一九四九年に福島県の松川駅付近で列車の脱線転覆が起きた。乗務員三名が死亡している。捜査の結果、故意にレールが外されていたことが分かり、国鉄の労働組合員、共産党員ら二十人が逮捕・起訴される。そして第二審(一九五三年)では、四名に死刑判決が下されたのだった。
 しかし、証拠品に矛盾が多く(たとえば、発見された小さなスパナでは、レールのボルトは外せないことがわかった――偽の証拠品だったということだろう)、一九六三年の最高裁判決で、全員無罪が確定した。松本清張の『日本の黒い霧』には、アメリカ占領軍が、強大化するソ連と対抗するために、国鉄から共産党員を排除するための陰謀だったという説が書かれている。その当否はともあれ、被告人が冤罪であることは、当時から確実視されていたのだった。
 『松川歌集』には、獄中にいた人々が詠んだ歌や、当時の歌人たちが歌った作が収録されている。
  友らみな壁叩きあいはげましの声かけあいぬ判決の夜
                                 阿部市次 
  面会の帰りに摘みしハツカ草鼻におしあてふかぶかとかぐ
                                 二宮 豊 
 冤罪への怒りが直接的に表現された歌も多い。しかしそれ以上に、具体的な場面が詠まれた歌の臨場感は、六十年以上の時を超えて、強く迫ってくる。
 亡くなった岩田正氏の若いころの歌も載せられている。
  しんしんと粉雪降りそめし午前十時被告らは死刑宣告されぬ
  大きなる瓦礫が崩れゆくごとき思いして読む判決文を
  死刑無期言いわたしつつニタとあゝ判事の一人は笑いしという
 ドキュメンタリー的な歌で、過去の時間がリアルに蘇ってくる感じがする。特に三首目の「ニタ」という判事の笑いは、暗い印象を残す。
 この笑いは、他の歌人によっても捉えられている。
  「癖です」と云いて薄笑いやめざりし判事あり死刑宣告法廷
                                 辻 澄子 
  無意味なる笑みは国民性といえ死刑を告げしのちにも笑う
                                安藤佐貴子 
 「ニュース映画」という言葉を入れた歌も他にあるので、映画でその笑いを見た人が多かったのだろう。それは権力側が見せる残忍な笑いだったのだろうか。
 ただ、他の見方ができないわけでもない。松本清張によると「この二審の裁判では、実際にMP(注・アメリカ陸軍の憲兵隊)が裁判所を遠巻きにして要所要所に立っていたこともあるのだ」。裁判所も圧力を加えられていて、有罪判決を出すしかない。そんな不条理な状況で、引き攣ったような笑いが生まれたのかもしれない。
 近藤芳美も、やや難解な笑いの歌を作っている。
  一瞬に沈黙し行く無数の声あざ笑はむと待ち居たるもの
 「無数の声」とは、死刑判決が降りたとき、絶望して何も言えなくなってしまった人々の声をあらわしているのだろう。だがその一方で、共産主義者が処刑されて〈イイ気味ダ〉と嘲笑する者たちもいた。他者の生命を、切実に感じることができない人々は、いつの世にも存在する。
  すずきまこと すぎうらさぶろう ほんだのぼる さとうはじめをころしてはな
  らず                             松川大作 
 非常にシンプルな歌である。しかしこの歌集の中で、強く浮き上がってくる。人名にこもっている生命が、なまなまと伝わってくるのだ。
 松川事件のような、歴史的な事件に沿って編まれるアンソロジーの大切さを思う。さまざまな人々の視点から歌われていることが、とても興味深いのだ。作られたその時は無力だったかもしれないが、六十年という時間が過ぎたとき、大きな意味を持ってくる。現在の政治的な状況とも、どこかで繋がっており、今の時代を鮮明に照らし出している。

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