青蟬通信

/ 吉川 宏志

2017年10月号

 大阪の中之島で開催された「バベルの塔」展を観に行った。ブリューゲルの絵とともに、十六世紀のネーデルラント(現在のベルギーとオランダ)の絵画が多数展示されていた。細密で写実的なのに、どこか異様な印象を受ける絵が多い。
 その中にヘラルト・ダーフィットの「風景の中の聖母子」という絵があった。百合や薔薇の咲く庭園の中で、赤いマントのようなものを着たマリアが、幼いイエスを抱いている。マリアの優しく静かな顔がとても良かったが、右側の乳房がはっきりと描かれていることに、はっとさせられる。身体的なバランスが奇妙で、やや不自然な感じのする乳房であった。
 葛原妙子の歌をすぐに思い出す。
  マリヤの胸にくれなゐの乳頭を點じたるかなしみふかき繪を去りかねつ
                                   『飛行』
 葛原がこの絵を詠んだのだというわけではない。〈授乳のマリア〉という画題は、十六世紀にはよく描かれていたようだ。おそらくその中の一枚を見たのだろう。だが、葛原の歌は昭和二十八年の作。敗戦から間もない日本で、このような絵を見ることができたのだろうか、という疑問も湧く。この歌のすぐ後には、
  落しきし手套の片手うす暗き畫廊の床に踏まれあるべし
という歌が置かれており、どこかの画廊で見たように構成されている。
 少し調べると、国立近代美術館やブリヂストン美術館が東京に開館したのが、昭和二十七年という。西洋画を観ることができる環境が、再び整備されてきた時期だったようだ。
 ただ、画廊に手袋を落とす歌は、やや虚構のような雰囲気が感じられる。もしかしたら、マリアの歌をリアルに見せるための仕掛けだったのではないか。実際に画廊で見たのではなく、画集で見た可能性はあると思う。画集だと「繪を去りかねつ」にはならないので――。もちろん、これは私の勝手な推測にすぎないけれど。
 この歌について、塚本邦雄は、
「イエスの母である前に若い大工ヨセフの妻であつたマリアは、紅の乳頭を持つて官能の歓びを待つ。」(『百珠百華 葛原妙子の宇宙』)
と述べ、「聖性を剥奪されて、いとも人間臭い人妻」となっていると書く。
 たしかに聖母としてのマリアではなく、人間としてのマリアを描いた歌と言えるだろう。だが、葛原が見た絵が〈授乳のマリア〉だったとしたら、「官能の歓び」よりも、子を育てる原初的な「かなしみ」が歌われていたのではなかろうか。『飛行』には、
  残酷にわが飛ばしゆく幾ページひたすらに子を夫を詠むうたなれば
という痛烈な一首があり、葛原が平凡な子育ての歌を憎んでいたのは確かだが、授乳という根源的な行為については、痛切なものを感じていたように思うのである。
  ひよわなる子らをしたがへわがめぐり薄らにひかりゐたるゆふつかた
という歌もある。幼く弱い子を守る自らの姿を、聖性を帯びて感じることもあっただろうと、私は想像する。
 『飛行』には、絵画をモチーフにした歌がいくつか見られる。画集を所蔵していたのだろうが、その知識の豊富さには驚かされる。
  岩山に凍死の捲毛眩しきにセガンティーニ描く「奢侈の刑罰」
 この歌は、「淫蕩の罰」という名で知られている絵を詠んでいるようだ。アルプスの山を背景に、雪原に二人の女性が浮遊しているという不思議な絵である。たしかに女性の髪は金色の巻き毛で、空中に乱れている。上半身は裸で、目を閉じ、「凍死」しているようにも見える。秀歌とはいえないけれども、題材の珍しさが目を引く。
 なぜ葛原はこの絵を歌おうとしたのだろう。欲望のままに生きる女性は罰せられる、という寓意がこの絵にはあるのだろう。そんな絵をさりげなく歌うことで、戦後も続く女性への抑圧を描こうとしたのではないか。この一首からそれに気づく読者は、あまり多くなかったはずだ。しかし、暗号のように歌うことで、ストレートに告発することができなかった女性蔑視への怒りを伝えようとしていたのではないだろうか。

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