短歌時評

正岡子規と現代短歌について / 花山 周子 

2017年10月号

 今年は正岡子規生誕百五十年だそうである。大辻隆弘は今年刊行された講演集『子規から相良宏まで』の中で、子規が和歌改革のなかで希求したものは「透明な文体の確立」であったと捉えている。「透明な文体」とは、
 それは一言で言えば、ごちゃごちゃとした含意の入らない文体です。人の思惑と
 か、不必要なニュアンス、そういったものを含まないでもっとすっきりと映像なり
 伝えたい事が伝わるような文体。

ということであり、こうした文体を確立するために子規が具体的な戦略として行ったのが、「過剰な助辞の排除」であり、それは同時に「名詞の重視」にも繋がった、と大辻は考える。このような大辻の論旨は、以前から繰り返し書かれてきたものであり、一九九六年に刊行された『子規への遡行』の「私というパラダイム」という文章において既に、明瞭な論として展開されていた。にも関わらず、現在において、こうした大辻の論が特に興味深く私に映るのは、大辻の指摘するところの子規の志向が、百年以上経た現代短歌とリンクしはじめているように思われるからだ。
 近年、「一周回った~」というような言い方がよくされるが、どの時点からの一周なのか、という点はそれほどはっきりは規定されてこなかった。けれども、ここに大辻が指摘するところの子規の志向を置くならば、かなりクリアな見取り図をつくることができるのではないか。「透明な文体の確立」とは、現代においては永井祐や仲田有里のような口語短歌の文体が志向しているものに通じてはいないだろうか。六、七月号でも紹介した仲田有里や染野太朗の歌に対する内山晶太の指摘は、たとえば、大辻が子規に見る次のような言語観にも近似している。
 それは、言語は、明晰な視覚的イメージを喚起しなければならない、多義的ではな
 く、たった一つのきっかりとした映像を齎さなければならない、という思想です。

 こうした大辻の指摘はまた、別の観点からは、三枝昻之の、『うたの水脈』(一九九〇年)のなかでの、
 結論的にいえば、子規が徹底して否定したいと考えたものは、和歌における〈喩表
 現〉である。(略)これが子規の和歌革新の中心的なモチーフである。

という指摘とも重なるのであろう。穂村弘が十年ほど前に、「棒立ちの歌」「武装解除の歌」といって紹介した歌は、明治初期という時代の変動期において子規の希求したシンプルな歌と、修辞を排するという成立の仕方においてどこか似通っている。もちろん、それは同一のものではあり得ない。けれど、現代という時代もまた大きな変動期にさしかかっているという私の予感のなかではこの類似は非常に興味深いものに思われるのだ。
 さて、「一周回った~」という言い方は基本的には、私性の問題、つまり近代的な自我が確立されたと目される近代短歌を基点に考えられている。大辻によれば子規は歌の視点を固定化し、作者の立ち位置を暗に明瞭化することによって、詠われる場面の再現性を高めた。この、「作者の立ち位置」において子規を近代短歌の始祖として位置付け、「一周回った~」の起点とする見方もある。しかし、このような作者の立ち位置の明瞭化と近代的自我とは同一のものなのだろうか。近代的自我は作品を内面化していくのに対し、子規はあくまでもモチーフを、そして作者とその動機を外在化した。そこに子規の開いた文体があった。子規は個でも孤でもないところで、文学、美術の「標準」を標榜したのではないか。私はこの「外在化」という点に注目してもう少し慎重に子規を考えてみたいと思っている。

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