八角堂便り

現代歌人が詠む西行 / 栗木 京子

2017年10月号

 最近、西行について講演をする機会があった。その際、西行の詠んだ和歌について調べるとともに、現代歌人が詠んだ西行の歌にも注目してみた。すると多くの歌人が西行を題材にしていることがわかった。西行は「愛される古典和歌の作者ナンバーワン」と言えそうである。
 鳥羽院の下北面の武士でありながら二十三歳で出家。桜を愛し、諸国を旅して『山家集』にすぐれた歌を残した。そんな生き方が共感を呼ぶのかもしれない。松尾芭蕉も大の西行ファンで『おくのほそ道』は西行五百年忌にあたって偉大な足跡を慕って行なった旅なのである。
  西上人長明大人の山ごもりいかなりけむ年のゆふべに思ふ
                             佐佐木信綱『老松』

 「西上人(さいしょうにん)」は西行、「長明大人(ちょうめいうし) 」は鴨長明である。出家あるいは隠棲した先達に思いを寄せつつ、作者自身も年の暮れを迎えようとしている。信綱は昭和三十八年十二月に九十二歳で没したが、この歌は遺詠三首のうちの一首である。
  夢の中に夢見る如きかなしみか西行が見る佐藤義清
                             佐佐木幸綱『反歌』
 武士であった頃の西行の名は、佐藤義清。俗名から僧名への変更は生き方そのものを大変革させることであった。二十三歳で出家してから七十三歳で亡くなるまでの五十年間、折々に西行は武士だった日の夢を見たことであろう。上句の比喩に静かな抒情が湛えられている。
  金雀枝(えにしだ)縱横無盡に吹かれ西行が持ちかへりける砂金三萬
                             塚本邦雄『不變律』
 塚本は藤原定家派だと思うが、古典和歌に造詣が深いので西行を詠んだ歌にも独自性が光る。西行は六十九歳のときに二度目の陸奥の旅に出る。これは平泉の藤原秀衡に東大寺再建のための砂金を勧進する目的があった。祖先が奥州藤原氏とつながりがあったことに由る。金雀枝の黄金色の花が印象鮮明である。
  吉野にはなど死なざりし西行と問ふわが胸に月昇りけり
                           水原紫苑『あかるたへ』

 吉野の桜をこよなく愛した西行だが、亡くなったところは河内国である。平泉から帰って嵯峨に草庵を結んだものの、程なく高野山に近い弘川寺に身を落ちつけた。ここは山岳信仰の霊場でもある。都の喧騒から距離を置いてゆっくりと自然界の豊かさに向き合いたい、という意思があったのではなかろうか。
  死出(しで)の山越えゆく兵を西行は見き どこにでも現るる山
                          吉川宏志『鳥の見しもの』

 西行の生きた日々は貴族から武士へと社会の構造が変わる転換期であった。争乱の時代への眼差しを上句に据えつつ、下句には山越えの兵士を通して「現代」への危機感が託されている。

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