百葉箱

百葉箱2017年5月号 / 吉川 宏志

2017年5月号

  各々に伝え聞きたる叔父の戦死かたみに隠しいたりと祖父母は
                               三宅桂子 
 祖父と祖母は、それぞれに叔父の戦死の噂を聞いた。しかし相手を思いやって、言わずにいた。それでお互いに叔父の戦死に触れないという空白が生まれたのだった。複雑な状況を、簡潔な表現で捉えている。そして、抑制された中に、祖父母への哀切な思いが籠もっている。
 
  このところ地球の引力強まりて御飯こぼすわ尻餅搗くわ
                            武井 貢 
 老いのために、身体がうまく動かないのだろうが、それを地球の引力のせいにしているのがとてもユーモラス。負けず嫌いと、少しの照れが混じっているようである。
 
  飯つぶを祖父は練りゐきふるき筆よみがへらせむと続飯(そつくひ)つくる
                                三浦智江子 
 「続飯」は、米粒を練って作った糊のことらしい。暮らしの中の古い言葉を生かして作るのも、短歌の一つの役割。物を大切にした時代の情景が目に浮かんでくる。
 
  降る雪は音まで白く閉ぢこめて鉈も手斧も鉄くさき朝
                           熊澤哲哉 
 上の句が巧みな表現で、雪の日のしんとした静けさが伝わってくる。鉄が結露しているのかもしれないが、たしかにこんな鉄の匂いは嗅いだことがある気がする。重厚な一首。
 
  刈られゆく髪が首すぢ通るときこんな別れもあった気がした
                              吉井敏郎 
 上の句と下の句が意外な結びつきだが、ほのかな哀しみに共感する。「通る」という動詞の選びがよいのだろう。さらさらとした喪失感が、皮膚に響くように伝わってくる。
 
  すみません ぼくはこれから深海にタートルネック着ていくところ
                                 坂本清隆
 何かに逃避するしかない後ろめたさを、異次元的な言葉で表現し、不思議なおもしろさを生み出している。

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