八角堂便り

春の母は / 江戸 雪

2017年5月号

 『おくの細道』のなかで芭蕉は出立に際して「行春や鳥啼魚の目は泪」と詠んだ。春は旅立ちの季節でもある。子を見送る親の歌も多く詠われてきた。
  ほんとうにもう行ってしまう子に言いぬ今年の桜が一番きれい
                            中川佐和子『霧笛橋』
  紙袋がさがささせつつ子が春の駅へ走りてああさようなら
 慈しんできた子を家から送り出すとき、親は嬉しさと寂しさのまじった感慨にふけることだろう。それを直截な表現をもって詠っている。一首目の「ほんとうにもう」という詠い出しに、いなくなってしまう事をまだ信じられない心情が滲む。本当に寂しいとき、人は泣いたりせず呆然とするのかもしれない。「今年の桜」は「一番きれい」であるということはつまり一番寂しいのだ。二首目は「紙袋がさがささせつつ」に、親にとってはまだ頼りなく見える子どもの姿を想像した。「春の駅」が明るく、やはり寂しい。
  旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群(たづむら)
                        『万葉集』巻9・一七九一番 
 七三三(天平五)年に遣唐使の母が難波の港を発つ子を詠った長歌につけた反歌。母は〈旅人が夜宿る野に霜が降りたら、わが子を羽でつつんでおくれ、空ゆく鶴の群よ(中西進訳より)。〉と詠っている。母はひたすら祈り、鶴の群れに願いを託すことしかできない。余談だが、〈育む〉という言葉は「羽ぐくむ」、つまり鳥が子を羽でつつんで守ったということからきているようだ。難波を出港したのは四月三日、春爛漫の頃だった。
 人生における大きな出来事をどう詠うか。その事実との距離の取り方はそれぞれちがう。もちろん詠わないという選択肢もある。
 少しちがう角度から詠われた歌もある。
  母なるわが手に觸るるつめたき靑年は葡萄(えび)いろのジャケットを着て
                              葛原妙子『原牛』
 この歌はどのような情況で詠われたのか分からない。ただ、青年が母の手に触れるということは特別な場面なのだろうと推測した。わが子のことを「つめたき靑年」と詠う葛原の壮大な自意識そして美意識には感服する。「葡萄いろのジャケット」も。
  手を取りて教ふる最後か夫は子に春のネクタイ結び解きやる
                           秋山佐和子『晩夏の記』
  子が発ちておさびし山の夫ならむ雲のむかうで甘栗食べて
                         池田はるみ『婚とふろしき』
 これらの歌は、夫を通して寂しさを表現している。夫が子に「春のネクタイ」の結び方を教えたり、「おさびし山」で甘栗をぼそぼそ食べているのを見ているのだ。そんな母の胸の中に、寂しさが大きな塊となって沈んでいく。

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