短歌時評

断絶と連続と Ⅱ 『人の道、死ぬと町』の現場について / 花山 周子

2017年3月号

 年末に久し振りに渋谷に出たら、駅ビルの東急の側面壁が露出していて驚いた。開発のために周りのビルが取り壊されてそのようなことになっていた。露出した壁面は錆びて汚れて、今にも崩れそうだったのだ。さっきまで自分がその内部に居たことが急に恐ろしくなった。ふと、その壁面を見てしまった感触が斉藤斎藤の『人の道、死ぬと町』を読んでいるときの感触と非常に似ていることに気がついた。ああ、あの歌集は解体現場なのだ。そう思った。
 東日本大震災を思うとき、それ以前との断絶を見るのか、それとも連続を見るのか。『人の道、死ぬと町』はそのどちらの視点をも読者の私に促す。その理由の一つ、そしてこの歌集を考える場合にとても重要なことは、この歌集が二〇〇四年から十五年までの約十年間の作品を編年体で収めているということである。この歌集には震災以前から以降を貫く斉藤斎藤の一貫した問題意識とそれを掘り下げるべく変化していく方法がある。このような作品の軌跡と推移を一冊の中でこれほど鮮明に追うことができる歌集は他に例を見ない。そしてだからこそ、震災をきっかけに斉藤斎藤の思考が根本から大きく揺さぶられ、破壊される、そのこと自体を作品として定着し得た。
 一一年の震災後に「証言、わたし」という十首の連作がある。無線が捉える断片的な音声のような歌が並んでいる。そのなかの一首、
・撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ
について私は以前「黒日傘」五号で書いたので要約する。「斉藤斎藤は東日本大震災で直接に津波を浴びた当事者ではなかった。だから彼の出来ることは、当事者の現場に自分を置いて、津波を体験することではなかったか。そして、では、この歌で、斉藤斎藤は本当に死者の現場に立てたかと言うとそうではなかった。寧ろその不可能さがこの歌を異様なものにしている。「死ぬかと思って」までは、体験者と語り手が一致している。だが、「ほんとうに死ぬ」は違う。これは、死の外側からの叙述であり、「死ぬかと思って」までの体験者の語りは断絶しているのだ。「死ぬ」という事実はどんなに想像を働かせてもそこで終わる。どんなに死者の思いに届こうとしても遮断されてしまう「死」というものがこの歌に厳然とあることが私はこわかった」ここには身も蓋もない死が露出していた。そして、一三年には「広島復興大博覧会展」という詞書、歌ともに膨大な質量の連作が置かれている。
 斉藤斎藤が最初に長歌のような長い詞書を導入したのは、〇七年、「今だから、宅間守」という連作で、資料に基づく長い詞書が連作の背後を埋めることによって、ポリフォニーな空間を作り出し、短歌における「事件」対「私」という従来的な批評の構図を解体し、事件の内側へ踏み入ってゆくことを可能にした。「広島復興大博覧会展」ではさらに人の歌をそのまま連作に取り入れ、他者の歌と併存して斉藤斎藤の歌がある。他者と併存することで担保される〈私性〉という連作でしか達成できない新たな地平を彼は切り開き、そして尖鋭化した。それは理論的には震災以前からの必然的な成り行きであり、同時に震災という大きな亀裂によって生じた結果でもあるのだ。どちらが先なのでもなくて。
 この歌集を従来的に一首一首を引きながら批評することの難しさが指摘されているが、寧ろ歌集がそのような行為を否定している。なぜならこの歌集そのものが現場なのだ。そしてこの現場性こそが現代社会とオーバーラップする。震災以前から東急の壁面は朽ちていた。けれど、震災以降にそれは露出した。

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