八角堂便り

二十而 / 山下 洋

2017年3月号

 何ヶ月か前の編集、再校作業でのこと。いつものように岩倉の永田邸にて。若いメンバーの一人が咳をされたのに対して、すかさず、「ゴホン!といえば」の声が飛んだ。ところが言われた当人が、件のCMをご存知なかったのだった。周囲から「えーっ、あのコマーシャル知らんの?」と驚きの声があがる。
 そんなやりとりを聞きながら、もっと昔、半世紀以上前の薬のCMを思い出していた。「十有五にして学に志し、二十歳にして恋に破れ、…」と続き、「四十にして惑わず飲む」に至るもの。あまりにも強く刷り込まれていたのであろう、漢文の教科書に出てきた論語に「二十歳にして」のところが無いことに、ちょっと違和感があった。もちろん、「恋に破れ」なんて論語にあるわけはないのだが。
 思いはさらにあらぬ方へとぶ。もしも書いてあったとしたら、十五が〈志学〉で三十が〈而立〉だから、二十歳は〈破恋〉になるのか、などと詮ないことを考えて、ひとり笑いしてしまったのだった。
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 漢文の授業で覚えていること。最初の頃の、読み下し方の例文に「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」が出てきたとき。先生が突然、「まだあげ初めし前髪の」と朗唱しはじめた。そのまま「おのづからなる細道は/誰が踏みそめしかたみぞと/問ひたまふこそこひしけれ」まで全部諳誦して、「この詩の元になった文です。」と締めくくられた。藤村の「初恋」と教わって、さっそく図書室へ『若菜集』を読みに。序詩、「初恋」と読み進んで「おくめ」の「嗚呼口紅をその口に/君にうつさでやむべきや」で、辺りを見回してしまった。十代半ばの少年には刺激が強すぎて、頬が赤くなった気がしたのだ。牧水や啄木の歌集を手にしたのはもう少し後だと思うのだが、〈ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま〉『海の声』や〈きしきしと寒さに踏めば板軋む/かへりの廊下の/不意のくちづけ〉『一握の砂』にも赤面したことは言うまでもない。
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 〈二十歳にして〉を含む漢詩と言えば「陳商に贈る」(李賀)の冒頭「長安に男児有り/二十にして已に心朽ちたり」がある。その二行だけしか知らなかった李賀の作品、いくつかをちゃんと読んだのは、二十代後半になってからだったと思う。五言律詩「七夕」の末尾、七・八行目は「銭塘の蘇小小/更に値(あ)う一年の秋」。あれっ、どこかで見た字面やな、としばし黙考。そや、永田和宏や、とやっと気がついた。『メビウスの地平』の章ナンバーはⅡ・Ⅰと逆順になっているのだが、前にあるⅡの最後の一首が〈「更に値(あ)う一年の秋」水湛え遠ざかるのみの背は夢に見し〉。その一連の小題も「更値一年秋」、李賀の一節だったのである。

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