八角堂便り

短歌の中の省略語 / 三井 修

2017年2月号

 「オリ・パラ」という言葉を初めて聞いた時は一瞬戸惑ったが、意味は直ぐ理解できた。本当は「オリンピック・パラリンピック」であり、テレビなどでもそのように言っていたと思うが、いかにも長い。かと言って、オリンピックとパラリンピックがセットで開催される以上、パラリンピックを省略するわけにはいかないことも理解できる。幸い、短歌でこの「オリ・パラ」を使った作品を見たことはないが、これから出てくるのだろうか。
 以前、ある歌会で、作品そのものは正確に覚えていないのだが、「ホームで歌を歌っている…」という内容の作品があった。評者Aは「この人はなぜ駅のホームで歌を歌っているのだろう?」と言い、評者Bは「英語のホームは家でしょう。家の中で歌を歌っているのですよ。」、更に評者Cは「老人ホームでしょう。」と言った。作者は老人ホームの意味で使ったようだが、言葉を安易に省略するととんだ誤読が生じることがあるということの一つの例である。
 「東京デ・ランド」という言葉が入った作品を見た時も驚いた。「・」が入っているので「東京ディズニー・ランド」の略であることは判るが、もし「東京デランド」という表記だったらどうだっただろうか。
 私は、短歌では原則として出来れば省略語は使いたくないと思うが、場合によっては使わざるを得ない時もある。どこまで許容するかは、日本語への定着度が一つの基準になるだろうか。今さら「デパートメント・ストア」、「テレ・ヴィジョン」と書くのも無理があるだろう。ただし、葛原妙子の作品には「テレヴィジョン」「ビルディング」などがある。その時代はまだ「テレビ」や「ビル」という言葉の定着度が低かったのだろう。「デパ地下」、「エキナカ」という言葉ももう市民権を得ているのだろうか。
 ただ、「ケイタイ」という言葉は微妙である。「携帯」は決して「電話」の専売特許ではいない。昔は「携帯ラジオ」という言い方もあった。もっとも敢えて「ケータイ」と表記すると、少し皮肉が込められているようにも思える。
 「メール」は更に微妙だと思う。「メール」とはあくまで郵便物のことである。電子メールであれば、やはり「電子メール」あるいは「eメール」と言いたい。本当は「エレクトリック・メール」なのだが、これは長すぎる。因みに勤めていた頃は電話や文章で、誤解を避けるために、必ず「postal mail」、「electronic mail」と厳密に使い分けていた。しかし、現在では日常生活もすっかり単なる「メール」が「電子メール」の意味で使われているのも事実であろう。短歌で使われるこの「メール」を今更添削することはしないが、なんとも気になるところである。

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