百葉箱

百葉箱2017年1月号 / 吉川 宏志

2017年1月号

  六歳の六歳に書きし弔辞なりお空から見ててねわたしも見上げるわ
                                  村田弘子 
 幼い子が亡くなり、その友達の幼児がお別れの言葉を読む。胸の痛む情景である。下の句はその言葉をそのまま記しているが、とても純粋で哀切である。残しておきたいと思った作者の心がよく分かるのである。
 
  ただ一度突き刺すための尖りあり軟膏の蓋の中なる円錐
                             吉澤ゆう子 
 これまで歌に詠まれなかったものを発見する。それも短歌を作る喜びの一つだろう。「尖り」と「円錐」がやや重複するのは惜しいが、皆が見ているのに気づかないものを捉えていて新鮮である。上の句には象徴性もあって、一生に一度、復讐して消えてゆく人の姿を思わせる。
 
  私の思考に木陰がありそこへあなたがたまに昼寝しに来る
                              川上まなみ 
 不思議な句切れの歌で、それがかえって味わいを生み出している。「私の思考」だから、実際に会うのではなく、ふっと「あなた」を考えてしまうのだ。それを「昼寝しに来る」と、温かくやわらかく歌ったところがおもしろい。
 
  篝火の流木すでに燃え尽きて遠き波濤を見つめる子らは
                             田辺昭信 
 浜辺の送り火だろうか。陰影が濃く、印象的な情景である。子供たちも火が燃え尽きたあと、遥かなものに思いを馳せている。
 
  夕方の列車にすると三時間余分に姉と過ごせるが、せず
                             松井洋子
 言葉があまり通じなくなった姉の介護をしている。結句の「せず」に、後ろめたさとつらさがこもり、響きの深い歌となっている。
 
  奈良太郎と呼ばるる鐘のつくりたる撞木の先の罅のいくつか
                               澤﨑光子 
 「奈良太郎」とは東大寺の鐘だそうである。長い歴史が、撞木の罅からも見えてくる。よく見ている歌。

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