八角堂便り

『震災のうた』 / 花山多佳子

2016年10月号

 この八月に河北新報社から『震災のうた』(河北選書)が出版されたので、この場を借りて紹介させていただきたい。
 この『震災のうた』は二〇一一年五月より、二〇一六年三月までの河北歌壇の投稿歌の中から選んだ六五〇首を収録している。
 震災の起こった三月、河北歌壇は中断し、再開されたのは五月だったが、震災・津波の投稿歌がどっと来た。こういうとき、歌を選ぶということが、いったい何なのか、どんな立場で選ぶというのか、何ともやりきれない思いだった。
 河北歌壇は佐藤通雅さんと私の共選なので、一人二十首ずつ、重なる歌もあるが、計だいたい四十首である。それが全て震災・津波の歌という状況が秋まで続いた。掲載された分だけでも八〇〇首、採られなかった歌を含めると数千の震災の歌が当時つくられていたわけである。
  濁流に胸まで浸かり年金証書頭に載せてひたすら逃げる
  三陸はほぼ壊滅とラジオからその大津波階下に来てる
といった現場を伝える歌。
  掌の温み濁流(みづ)に消されてしまひけりははそはの母離れゆきたり
  気をつけて、あの朝母さん言ったよね 殉職せし息子(こ)の柩に叫ぶ
  ポケットに砂いっぱいに残されし兄の遺品のジャケット洗う
 家族や友を亡くした歌は、この五年絶えることがなかった。ずっと後になって、ぽつりと一首だけ出してこられる人もいるし、心境をうたい続ける人もおられる。新聞歌壇というのは、いつもそこにあって、受け皿になり得ているのだ、と思う。
  昔日の「慰問」を想ふ次々とわが被災地へ歌舞の群々
  東京さなんでも有るってほんとがな町(まづ)ぬ牛(べこ)居ねべ原発は無(ね)
  受け入れを拒否され帰り来る瓦礫人も東北を出てはならぬか
 こうしたやり場のない怒りや、さまざまな痛烈な思いの発信の受け皿にもなったのだ。
 通して読んでいただくとわかるが、一首一首の強い印象と同時に、この五年の日常の推移、心の推移が全体として立ち上がって来る。その具体は実に得難い。
  チャリンコで浜辺に来ては酒を呑み防潮堤でわめく人あり
  慣れてなお除染のマスク息苦し水木の冬芽あかき青空
  五年経ち遺品も何もないけれど会話の中には出てくる妻の名
 五年目の今年の春の歌である。
 河北歌壇の歌については吉川宏志さんが「歌壇」(2016・3)の「震災の歌百首選」や塔(2016・3)の「青蟬通信」でとりあげていて、とてもうれしかった。この本の出版の後押しをしてもらった気がする。
                          (作者名は省略しました)

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