短歌時評

〈悲歌〉に遠く、ちかく / 大森 静佳

2015年12月号

 長い一年だった。今年もたくさんのすぐれた歌集と出会うことができたが、ここでは二〇一五年という一年間にどんな歌が詠まれたかという記録の意味もこめて、総合誌などで今年発表された作品や文章をメインに振り返ってみたいと思う。
 「現代短歌」十月号の特集「若山牧水生誕一三〇年」のインタビュー(聞き手:伊藤一彦)のなかで、牧水の代表歌〈白鳥(しらとり)は哀(かな)しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ〉について岡野弘彦は次のように語っている。戦争末期の軍需工場で学徒勤労をつとめていた頃、深夜の歌会でこの歌が提出されたときの話である。
  そこへ無名で、牧水の「白鳥は哀しからずや…」を出した奴がいたのです。
  ……「お前たち、この歌は俺たちの運命そのままだと思わないか。空の青海のあ
  おにも染まずただよう」と。その頃、棺桶のような特殊潜航艇というのがあった
  んです。あんなものは乗る時から、棺桶に乗っている感じですよね。……歌とい
  うのは不思議なものだなと思った。僕は皇學館から国學院で古典を読んでいたも
  のだから、古代の童わざうた謡なんかを連想しまして。

 聞き手の伊藤はこれに対して「具体的なことをみんな読者に想像させて象徴性の高い歌であるから時代を超えて読み継がれていくし、童謡にもなるようなところがある」と応じる。ヤマトタケルがその死後に白鳥へと姿を変えて飛び立っていったという神話とも響いて、当時の若者たちはそんなふうにこの歌を読んでいたという。このエピソード自体は岡野が繰り返し書いてきたものだが、今回改めて胸を刺される思いがした。
 広く愛唱されているこの歌について、私自身はこれまで白鳥の飛ぶ姿を「私」が眺めているといういたって素朴な読みをしてきたし、牧水自身も、白鳥以外の存在をそこに重ねて読ませることは意図してなかっただろう。それでも、このエピソードを知って以来、海へ、空へ、身を投げ出して帰らなかった特攻隊の若者たちの影を思うことなしに、私はこの歌を見ることができないでいる。海の青にも空の青にも還れずに、虚空をただようほかない魂が痛切に思われる。
 一首をどう読むか、どう読めるか、どう読むべきか。この単純かつ永遠の問い。「短歌」四月号の服部真里子の一首〈水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水〉をめぐる議論は、各雑誌の年末号にまでもつれこんだ。「塔」七・八月号の短歌時評でも取り上げたので詳述は省くが、一首の読みの問題が、作者である服部本人の反論によって作歌態度や信条の議論へと広がっていった。その経緯は大辻隆弘による時評(「短歌」十月号)に詳しい。
 基本的にはテキストの一語一語から慎重に読むべきだけれど、ときに歌は時代や災いといった大きな河に呑まれて、思いがけない読みを産んでしまうこともある。明治の牧水がうたった「白鳥」が、戦争末期という苦しみの時代に出会ったことで、涙ぐましい読みが生まれたように。ひとつの読みが、圧倒的な引力をもって身体のなかに入ってくるということ。牧水の歌がこのように読まれざるを得ない時代があったことは悲痛だが、この歌を愛唱し、「白鳥」に寄り添い、自らの運命を見つめたひとびとを思うと、やはり歌の力という
ものを感じずにはいられない。
 「戦後の私の歌はすべて、この歌(注・「白鳥」の歌のこと)への返歌です」(「短歌研究」八月号)と静かに言い放った岡野弘彦の歌を見てみよう。
  ますら雄は棺(ひつぎ)の舟にとざされて 帰るすべなき 常夜闇(とこよやみ)ゆく
                        岡野弘彦「短歌研究」七月号 
  人間の智のことば世に満つれども あはれ いのちの歌はほろびぬ
  かなしみの天つ白鳥。発ちゆきて 帰らぬ空を おもひつつ来ぬ
                             同「短歌」十一月号
  わが身より 脂のごとく沁みいづる この悲哀(かなしみ)に 耐へゆかむかな
 一首目は特殊潜航艇で出撃していった戦友への思いである。「ますら雄」「常夜闇」といった古語が定型に馴染み、それぞれの言葉が誕生したときの素朴なきらめきへと還ってゆくようなよさがある。二首目、該当作なしとなった今年の迢空賞の選考経過報告において、文語の衰退を嘆いた岡野の深いため息が聞こえてきそうだ。三首目はまさに牧水の「白鳥」への返歌。「おもひつつ来ぬ」に七十年という時間の襞が畳みこまれていることに、慄然となる。四首目は特に印象に残った一首で、悲しみが身体の奥から「脂のごとく」沁み出てくるというのがとてもいい。「耐へゆかむかな」という結句の、時間を噛みしめるような鈍い響きは文語ならではだろう。
 こうした歌を読むと、短歌がかつて朗々と〈悲歌〉であった頃のことが思われる。自ら「いのちの歌はほろびぬ」とうたう岡野の歌は、さながら〈悲歌〉の最後の一滴である。
 歴史的な時間に連なっているという意識のもとで、人間の生老病死を詠んだ近代の〈悲歌〉、大戦によるおびただしい死者を悼む戦後の〈悲歌〉。そうした〈悲歌〉性は、当時の社会と教育のなかで生きていた重厚な文語と絡みあいながら、日本の底を低く流れ続けてきたのだ。戦後、文化や教育が次第に欧米化し、あるいは第二芸術論に遭うまでは。
 岡野は「自分の魂を表現するための文体」としての文語が現代の若者にとって身近なものではなくなっていることを悲観し、このまま口語化が進めば短歌の「調べ」と実質が力を失ってゆくだろうと言う(「短歌」九月号)。その絶望の深さが話題を呼び、再びあちこちで文語・口語の議論が繰り返されている。
  現代における「文語の衰退」問題は、その何割かは実質的には「情熱の衰退」問
  題ではないのか。現代精神の《軽み》を批判したいという欲望が、情念を込めた
  肉声性や具体的な身体性、境涯性といった《重み》を尊重する精神のことを「文
  語」的空間だと言い換えさせていないだろうか。
                         黒瀬珂瀾「現代短歌」十月号
 
 黒瀬が「情熱」と呼び、大辻が歌壇時評「文語という思想」(「短歌」十一月号)で「思想」と呼んだこの文語の蠢き。それは私の感覚では、人間の生死をしみじみとうたいあげる〈悲歌〉の蠢きに非常に近い。〈悲歌〉は文語の魔力によってつねに日本の深部へと繋がってゆく。これまでにも語り尽くされてきたことだが、その昂ぶりと連帯感が、大戦時に裏目に出た。
 〈悲歌〉は敗戦のイメージと切っても切れない場所に佇んでいる。第二芸術論を経て、前衛短歌、ニューウェーブなどの戦後の動きはすべて、短歌が抱えこむ〈悲歌〉的なるものからどう距離をとるかという問題意識のもとで苦闘してきたのではなかっただろうか。完全口語では生老病死をうたえない、という批判がかつてあったが、「うたえない」のか「うたわない」のか、その差は微妙なところだ。
  空爆の動画を見たかザザザザザ光った裂けた弾けた消えた
                          加藤治郎「短歌」六月号
  落下傘着地寸前機銃掃射(ニーズだと)ちょっと正直すぎやしねえか
                       同「歌壇」十一月号(詞書省略)
  決められぬ政治は駄目かほんたうかアインシュタインさいころを振る
                           永田和宏「歌壇」一月号
  この国を愛していたよ 散るまえのさくらばな皆くちをつぐんで
                         佐藤弓生「短歌研究」七月号

 イスラム国のテロとその報復の連鎖、国内外のデモ、政治情勢など、今年のめまぐるしく陰鬱な時事を口語で詠んだ歌を引いた。一首目、動詞の過去形を暴力的に羅列することで口語のあっけなさが強調され、人命がまるでモノのように感じられる残酷な怖さ。二首目は「ちょっと正直すぎやしねえか」に苛立ちがなまなましく出ている。三首目も上句に粘り強い問いかけがあって、政治をめぐるスローガンや言葉に隠された危うさを考えさせられる歌である。四首目、皆が口をつぐんでしまう春のおそろしさを冷え冷えと思う作者。「この国を愛していたよ」の過去形に、万感の悔しさが滲む。
 こうして見てみると、もともとプロレタリア短歌との関わり濃く生まれてきた口語は、「怒り」の表明に向いた言葉なのだと気づかされる。なまなましい肉声感が、怒りや悔しさを響きの面で支えているのだ。他者に問いかける言葉としても、反語や詠嘆に流れてしまいやすい文語より、口語のほうが強いと言えるかもしれない。「ちょっと正直すぎやしねえか」「決められぬ政治は駄目かほんたうか」などからは、読者の自分に向かって一対一の問いが突き刺さってくるのを感じないだろうか。
 〈悲歌〉から遠く離れて、現代の口語は怒りをぶつけている。先回りして俯瞰的に自分を見つめる悲しみと、ときに周りが見えなくなってしまう盲目的感情である怒り。悲しみは時間を含んだ感情であるのに対して、怒りは瞬発性のものである。もちろんそう簡単には対立させられないのだが、文語の〈悲〉、口語の〈怒〉という響きの違いをふと考えさせられた。
 国内外の政治的情勢をめぐる歌について、もう一つ気になったことがある。今年一年間、「予言」のような歌をとても多く目にした。
  ニューハーフは兵役免除といふ規定あるやも昭和一〇〇年の日本
                          栗木京子「短歌」六月号
  セスナから開戦のビラ街に降るその朝わたしは空を見上げて
                        谷岡亜紀「短歌往来」七月号 
  新国立競技場には屋根ありて雨に濡れざる学徒出陣
                       藤原龍一郎「短歌往来」九月号 
  起動したばかりの介護用ロボットがしずかに兵器として出でゆきし
                       加藤英彦「短歌往来」十一月号
 
 〈おそらくは電子メールでくるだろう二〇一〇年春の赤紙〉(加藤治郎『環状線のモンスター』)をはじめ、未来の日本や次なる戦争へと想像力を伸ばした予言的な歌はこれまでにも多くあったが、これらの歌はどうも少し感触が違うような気がする。もちろん、集団的自衛権行使を認める安保法案が可決された二〇一五年のこの空気のなかで、つくられ、読まれた歌だからである。
 ただ、私はこうした「予言」の林立を前にちょっと気まずい思いがあるというか、戸惑いがある。どういうふうに受けとめたらいいのか、よくわからないのだ。どの歌も切り取りが巧くて、どきっとさせられる衝撃的な歌なのだが、衝撃の後に来る痛みや苦悩がどこまであるのか、やや疑問に思う。
 「ニューハーフ」「セスナ」「新国立競技場」「介護用ロボット」など、どちらかと言うと名詞の目立つ文体であることも、関係しているのかもしれない。加藤や永田らの静かな怒りの滲む口語の肉感とはかなり違う。
 その点、次のような歌は衝撃の後の痛みまでもがすとんと呑みこめた。
  鳥けものみな引き連れてデモにゆく少年の永遠に知らぬ日本語
                          水原紫苑「短歌」九月号
  せいよくを抑える食事のつくられて働きおらむ砂上の兵士
                        吉川宏志「短歌往来」一月号
  軍の受け皿、そう言えば白い皿だろうひとつひとつが汚されてゆく
  耳、鼻に綿詰められて戦死者は帰りくるべしアメリカの綿花

 想像力によって過去や未来の時間を訪れ、重層的な「今」を描きだすという手法は、前衛短歌などでも多く試みられた。今年で言えば、過去から今を照らそうとしたのが水原紫苑であり、未来から今を照らそうとした代表的歌人は吉川宏志だろう。
 昨年〈フクシマや山河草木鳥獣虫魚砂ひとつぶまで選挙権あれ〉(「歌壇」二〇一四年十一月号)とうたった水原は、前川佐美雄〈ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし〉(『植物祭』)の華麗な本歌取りに挑む。吉川の歌は、「今」あるいは「ここ」からは見えない近未来を見ようとしている。慰安婦問題を思わせる「皿」という喩や「戦死者」への想像が、下句でリアルに補強されることで、「予言」を超えるなまなましさ、おそろしさがある。理屈ではなくて身体にまで届く、強い描写の力だ。口語なり文語なりといった意識が前面に出てくるわけではないけれど、描写に不思議な肉体感がある。
  憲法ゆしたたる汗に潤える舌よあなたの全身を舐む
                          染野太朗「短歌」十月号
  解釈が声をゆがめるゆがみたる声がわたしを悦ばせている
  戦場を覆う大きな手はなくて君は小さな手で目を覆う
                  木下龍也「笑ってるけどたぶん折れてる」

 より若い世代はどうだろうか。染野の意欲作「舌」はかつての岡井隆の方法に近く、性愛を喩として政治を詠んでいる。憲法という臓器から汗を垂らし、歪んだ声で喘ぐ「あなた」はそのまま現在の日本の姿だろうか。木下の一首、残虐な映像や報道が嫌でも目に入ってしまい、精神的なダメージを受けやすい子どもたちの歌として読んだ。「戦場を覆う大きな手」が示唆的。若い作者の歌は、報道を見てつくったりストレートな政権批判をしたりという方向とも、過去や未来の世界を現実に重ねる方向とも違って、現実の時間軸から少し浮遊している。抽象的な、どこでもない時間軸に、「舌」や「手」だけが妙にくっきり存在しているような描き方が不気味だ。
 現代にとって、私にとって、短歌とは結局何なのか。政治や日本の未来に関わるさまざまな歌を目にして、その摩擦のなかで各自が思い悩む一年だったのではないだろうか。
  ウタビトの無力は至福金輪際「撃ちてし止まむ」とは詠わぬを
                       藤原龍一郎「短歌研究」九月号
 
 「ウタビト」という表記にこめられたアイロニーに、いろいろなことを考えさせられる。「ウタビト」の過去を思えば、社会的に無力であることはむしろ「至福」なのだ。過激だが、爽快な一首だと思った。文学としての短歌の力というのは、社会や民衆を言葉によって動かすことなどではなく、牧水の「白鳥」が戦時中に得た不思議に悲しい力のことを言うのだと信じたい。

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