田舎暮らし断簡(歌の底ひ③) / 池本 一郎
2011年2月号
八角堂便り 第二十六便
田舎暮らし断簡(歌の底ひ③)
池本 一郎
『万葉集』に「暑し」といふ語の一例も無きことを知る友の本読み
神作光一『去年の風花』
秋の七草の藤袴が一例しかないとか、驚くことは多いが、この「暑し」にはびっくり。当時の暮らしは、身体を使うことが多く、クーラーなど皆無の環境だったから、「暑い」は苛酷だったはず。それをどう表現していたのだろう。
農作業などのとき、いつも思う。言葉より先に実体があるのではないかと。汗が目に入るとか、そういう実体を抽象して「暑い」という言葉になる。寒いもそう。盆には道にろうそくを立てる。風前の灯だ。また猿も木から落ちる。
遠い先祖は、実体に生き、実体で表現していたかと思う。現代、お暑うございます、と白手袋で畦に近づく候補者がある。うひゃあ、もう来ないで~。
境内の庭に集いて休む鳩いずれも木陰の内に入りて 坂本節男
「塔」作品。なるほど、と思って読む。木かげの鳩の細かな写実がとてもいい。これは炎天下の作品。生きものはこうして自然に適応し、居場所を選ぶ。池の鯉だって雨が降れば物陰にかくれる。
ところが、記録的な猛暑続きだったこの夏、不審に思うことがあった。炎天下の橋上で鳩が腹ばっている。舗装は焼けるようなのに。何度も見た。焼き鳥になってしまうぞ。それと夏もいるコブハクチョウは柳や無花果の木陰があるのに強烈な直射光の直下で水上にふんわり。境内の鳩と違うが、どうしたのか。
雨霧のくだりはじめし空間にさきに来てゐるやまばとひとつ
小池光『山鳩集』
歌集名となった一首。後書に、山鳩が好き、姿かたちがうつくしく、その声も好き、と書かれている。
境内や公園の鳩は土鳩(家鳩)で、この山鳩(雉鳩)は野生。デデッポウと鳴く。市街地にも現れるという。
「さきに来てゐる」ので、どうぞというのだろう。優先順でなく先着順。強い者順の居場所の取り合いではない。
私は「みそさざい来てチッと去るこの平(なる)はわたしが先に来ていたのだが」と歌った。どうだろう、共生とか住み分けって、ほんとにうまくいくのか。
見のかぎり色づく稲田そういえば威(おど)し鉄砲久しく聞かず 本間温子
朝日鳥取版。秋から晩秋、ドンッという爆裂音。雀がどっと飛ぶ。たしかに田園の風物のようなあの音を近年は聞かない。規制でもあるのか。農協や役場に聞いても結局分からない。正式の名さえ不明。威し鉄砲、ガス砲、威し砲(づつ)などまちまち。馬鈴薯の芽の毒ソラニンについても分からなかったが。爆音を聞かないのは、騒音の苦情のせいか、爆発の危険性か、効果と費用の観点か。
田舎暮らしのあちこちに不思議や不審がある。知ってか知らずか放置されて。