八角堂便り

ミュンヘンの茂吉 / 真中 朋久

2011年5月号

八角堂だより 第二十九便

ミュンヘンの茂吉
真中 朋久

斎藤茂吉の『遍歴』の冒頭の章「ミュンヘン漫吟 其一」というのは、大正十二(一九二三)年の作品群である。それはつまり関東大震災をミュンヘンで知るということになるのだった。もっとも、歌集刊行はかなり後になってからのことで、かつて岡井隆が『つゆじも』の「偽書説」をとなえたような問題――後年になってからの手帳をもとにしての新作・補作がかなり含まれていて、記された日付は作品制作の日付ではない――もあるらしい。それでも、回想は回想なりに茂吉が感じたであろうことが読みとれて興味深い。

最初に報じられたのは九月三日の夕刊。その後数日も報道がつづく。〈大地震(おほなゐ)の焔(ほのほ)に燃ゆるありさまを日々にをののきせむ術(すべ)なしも〉などがあるが、今は

ゾルフ大使の無事を報ぜるかたはらに死者五十萬餘と註せる

のほうに興味を引かれる。ニュージーランドの地震でも、日本の報道は日本人の安否から伝えた。そういうものなのだが、被災地の出身者は「かたはらに」のほうを見ておののく。「五十萬餘」はオーバー(実際は十万人余り)だが、外国のことであればパニックになることを心配することもないのか。時代の違いによる報道トーンの違いということもあるだろうが、今回の東日本大震災においては、当初の報道がごく控えめな数字であったことと対照的である。

茂吉のもとには、九月十三日になって、ベルリン経由で「Your family friends safe」という電報が届く。

業房にけふは來りて電報を教授に見しむ教授わが手を握る

かはるがはる我側に來てよろこびを言ひいづあはれこの人々

このへんも興味深い。「あはれ」というのは多義的だが、感謝というだけではなく、西洋人のオーバーな反応への違和感などもありそうだし、とりあえず「safe」と伝えられた範囲外の安否不明の友人知人のことが心に懸っていれば、「よかった」と言われても困ってしまうのである。

この歌集の中に、〈はるかなる國とおもふに狭間(はざま)には木精(こだま)おこしてゐる童子(どうじ)あり〉があるが、これは九月二十三日。あまり深読みをすべきではないが、震災の地から「はるかなる」ところでの落ち着かぬ日々であることを念頭に置いて読むと、味わいはまた深いものがある。

この時期のミュンヘンではヒットラーによるクーデタ未遂事件が起きている。事件そのものに言及した作品があり、前後の作品・詞書には、物価の高騰や、「外國人」排斥の動きなども繰り返し出て来る。不安な日々である。読み進めていって、十二月二十八日には〈この日ドイツ新聞報じて日本のfaschistisch(フアシスチツシユ)の傾向に及びき〉という作品があって少し驚く。

「無策」は批判されてしかるべきだが、情緒的な批判や強引な政策を掲げて人気を集めるような動きが出て来ることも怖れる。冷静でありたい。

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