八角堂便り

舞鶴「多彌寺」 / 黒住 嘉輝

2011年9月号

八角堂便り  第三十三便

舞鶴「多彌寺」 
黒住 嘉輝 
 
 大連から引揚げて来て上陸したのは佐世保港だったのだが、舞鶴と言えば、引
揚者を一番多く迎え入れた港、「岸壁の母」で名高い平桟橋という思いが強い。
今も桟橋を見下ろす丘の上には、引揚記念館という建物などもあって何回か訪れ
たことがある。

 天橋立をはじめ名勝には事欠かない舞鶴だが、歌会の会場である総合福祉会館
の隣には田辺城がある。関ヶ原の合戦の頃、西軍に攻められ、細川幽斎が籠城し
たのだという。ところが、彼は「古今伝授」の伝承者であったため、それの跡絶
えることをおそれた、時の朝廷が和議を勧めたなどの言い伝えも残っている。和
歌に縁の深い土地柄とも言えよう。

 さて本題の「多彌寺」のことである。舞鶴歌会の河島三枝子さんから「伝運慶
の素晴しい仁王像があるから、一度是非御覧になっては」というお便りをいただ
いたので、早速六月歌会の午前中にと五時起きで出掛けたのであった。

 事前申込みが必要とのことで、連絡の上行ったのだが、生憎、二三日前の大雨
による土砂崩れで通行止めになっていた。仕方なく、車を路肩に止め、妻と二人
喘ぎあえぎ旧道を下り、また登っていったのだが、ところどころに危険防止の縄
が張られていたりした。また山門へ向かう石段は小さな石が横に並べられた古色
蒼然としたものでいかにも六世紀につくられた古いお寺を思わせるものであった。

 住職は不在で、作務衣の男の人が「ようこそ、お待ちしておりました」と、宝
蔵の鍵をあけてくれたのだった。もともとは仁王門に置かれていたものだが、門
が古びたため、そこには今は写真だけを飾り、新らしく造られた宝蔵に納められ
たのだと言う。詳しくはこれをお聞き下さいと、ラジカセに吹き込まれている住
職の説明を流してくれた。
 
 日本で最大の仁王像は、快慶と運慶が二人して作り上げた東大寺南大門のもの
で高さが八メートル。そして、この多彌寺のそれは、高さ四メートルで、この規
模のものは日本全土に四、五体しかないのだそうだ。私の身長の二倍を超えるこ
の像が、「伝運慶」と言われるのは書きものが残っていないためである。 勿論、
国指定の「重文」というのだから、いいかげんなものでないことは自明だが、そ
れにしても見れば見る程立派な像である。表情も筋骨も、さらには血管までもが
活きいきと彫られていて圧倒される。河島さんが「感動しました。」と言われた
のもむべなるかなであった。

 今では地名ともなっているこの「多彌寺」だが、創建したのは用明天皇の子ど
もで聖徳太子の義弟にあたる麻呂子親王だという。なお、そのきっかけとなった
のは、この地方の鬼賊が良民を苦しめているのを知った用明帝が勇猛な麻呂子親
王にその平定を命じたことという伝承なども残されている。大江山も近いことだ
から、その鬼退治とも思い合わされたことであった。

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