八角堂便り

田舎暮らし断簡 (歌の底ひ④) / 池本 一郎

2011年11月号

八角堂便り   第三十五便

田舎暮らし断簡 (歌の底ひ④)
池本 一郎

 八月十二日は河野裕子さんが常世の国へ発った日。あれから一年がたつ。

 
  田に出穂(しゅっすい)したる八月十二日農事ごよみに書きおくこの日
                              池本一郎
 
 私は田で挽歌を作った。出詠間際に作り直し「塔」十月号に一番に間に合わせ
た。「八月十二日」だけで自立できると。その上で「出穂」と「農事ごよみ」が
重要で、これは良き米作りに大切な意味をもつ。生計の確立、人間の完成、社
会参加といった農本の根幹につながる。 

 昨年は、まさに出穂のその日に、重く哀悼の意味が加わった。一首の底ひに、
私なりにそれはとても厳粛であった。
 
 爾後一年、今年の出穂も八月十二日。だが奇遇ではない。コシヒカリという
優秀品種は、田植え、出穂、収穫などプログラムどおり。私よりよっぽど確か
だ。私はオレが育ててやってる、と思わない。ともかくこの挽歌、どう読まれ
たか。

  あなたには何から話さうタカサブラウ月が出るにはまだ少しある
                          『葦舟』 河野裕子 

 出穂日と同じ頃、田や畦にキク科のタカサブロウが成育し、白い小花をつける。
名の由来は不明という。私の田では胸元まで伸び、始末の悪い雑草なのだ。
作者の自歌自注には、この植物の名や男の子のような雰囲気に魅かれるとある
が、それよりも月が出る前の暗さを独自に書いていて注目される。「その暗さが、
やがて出る月の予感を感じさせつつ、静かで深い」と、まことに感銘ぶかい。

 この月は中秋の少し前の頃と思われる。私など夕方の農作業が終わるころ、
月の出る前の暗さをよく実感する。手暗がりというのではないが、手元は暗く
なっているのに仕事は結構できる。やがて月が出るのである。

  馬鈴薯の数多の花を摘み行けばそれは理不尽と言はれさうなる
                       「塔」九月号 福島美智子 

 ジャガイモは根茎が食用なので、淡紫色の花はみな摘み取る。植物の花はそ
の一生で一番の〈華〉だろうが、それを非情にも(自覚せず)切り捨てる。
無惨。同号には本間温子「馬鈴薯のうすむらさきに咲く花を残らず摘みぬ は
つ夏の風」という歌もある。

 さて「それは理不尽」の表現に驚き怪しみ、なるほどと共感する。類をみな
い表現だ。同様のことがほかにもある。
 私の近所では相当の規模で葉タバコを栽培しているが、葉が目的なので花は
摘み、花にいく多大の養分を断つ。富山のチューリップも球根のために花を切
り取ると聞くが、本当だと思う。
 
 蓮根をとるハスの花もそうするだろうか。かつて住んだ岩国辺は蓮根の特産
地。確かめると摘まないで地下の茎に十分肥料をやるそうだ。所で岩国の蓮根
は穴が九つ。他所より一つ多いのが自慢。見通しがいいから縁起がいいという。
また岩国藩主吉川家の九曜紋と九が合致してめでたいともいう。見通し説が面
白い。

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