禁男館オーブリ女史 / 吉川 宏志
2012年12月号
八角堂便り 第四十八便
禁男館オーブリ女史
吉川 宏志
大学の卒業論文で、斎藤茂吉の『寒雲』について研究した。難解な歌がいくつかあり、図書館で当時の新聞を読んだりして調べたものだが、それでもわからなかった歌がいくつかあった。次の歌もその一つであった。
女身(ぢよしん)より光放つとおもはしむこの看相(かんさう)を女(をんな)
に聴かむ
八日禁男館オーブリ女史
昭和十二年「一月雑歌」の中の一首である。オーブリ女史とは何者か、ひどく気になっていたのだが、とうとう資料を見つけることはできなかった。
最近、『寒雲』を久しぶりに読み返す機会があり、ふと思いついてインターネットで検索してみると、あっという間に答えがわかってしまった。私が学生だった二十五年前と比べて、世の中がじつに便利になったことに改めて驚嘆した。
フランス映画の『禁男の家』(club de femmes)を詠んでいるらしいのである。パリの身寄りのない若い女性を救済するための施設が作られる。オーブリ女史は、そこで活動する女医であった。演じたのはヴァランティーヌ・テシエで、『ボヴァリー婦人』『フレンチ・カンカン』などに出演している女優らしい。施設に収容された若い女性たちが、男に誘惑されてさまざまなトラブルを引き起こす、というストーリーのようだ。
この歌の「看相」というのは、たぶん「観相」と同じもので、人相を見ることでその人の性格や運命などを察知することなのだろう。茂吉は精神科医でもあったので、人相を見て病状を判断するという経験はあったはずである。
おそらく、一首の意味は、こんなところだろう。私は女性を見ると、光を放っているように感じられる。しかし、女性が女性を見るとき、どのように感じているのであろうか。女医であるオーブリ女史に聞いてみたい。
卑猥なジョークのような歌で、優れているとは言えないが、茂吉の女性観がうかがわれる一首で、ちょっと興味深い。
『寒雲』には、
自(みづか)らの命(いのち)断(た)つほどにワイニンゲル泣かしめし女
(をみな)おもへば悲し
といった歌もある。オットー・ワイニンゲルはオーストリアの哲学者で、二十三歳で自殺した。主著『性と性格』で展開される女性論が、当時有名だったらしい。
茂吉は、海外で話題になっているトピックを利用して、女性に対する感想を表現しようとした。一言でいえば、女性は謎であり、よく理解できないからこそ、怖ろしいし、魅力も感じるのだ、という思いである。表現をわざと難解にして、分かる人には分かるように書いている。
男性の内部にある、女性恐怖とエロチシズム。それを、韜晦しつつも積極的に表現しようとしたところに、茂吉のおもしろさはあるのではないか。