八角堂便り

広辞苑 / 真中 朋久

2012年11月号

八角堂便り   第四十七便

広辞苑 
真中 朋久 

 いまだに紙の『広辞苑』を愛用している。大阪の家の共用に第六版、息子の部屋に第五版、東京の仮住まいに第四版を持ってきた。第二版増補改訂は、勤務先に持っていって、そのまま行方不明になってしまったが。

 あれこれ間違いがあるらしい。それはそのとおりだろうが、間違いを指摘して喜んでいるような文章は、どうも好きになれない。信じて帰依するほどのものではないのだから、さしあたり活用すればよいではないか。もちろん、絶対の権威として振り回すのも困りものである。あんな重い物を振り回したら危なくてしょうがない。

 さて、多くの人が使っている辞書なので、けっこう歌の題材にもなる。

  広辞苑冬夜に繰れば水鳥の羽たたきよりもひそけき音す
                        高野公彦『水行』

  役立つは少なかれども歌会へは風呂敷に包みて広辞苑さげゆく
                        河野裕子『歩く』

 ページを繰る音。そして重さ。河野さんが広辞苑を持ち歩いていたのはいつごろまでだったか。あれは何版だったのか。永田和宏『荒神』には〈広辞苑第二版には人妻にあらざりし日の君が押し花〉とあるが。

  広辞苑に載らぬ言葉を挙げながら恍惚とをり机の前に
                        池田はるみ『南無 晩ごはん』

  〈世の中〉は男女の仲をいふなりと広辞苑の⑤大辞林の⑥
                        今野寿美『雪占』

  広辞苑五版になくて六版に「風評被害」あるをかなしむ
                        松尾祥子『シュプール』

 語彙そのもの。載っていない言葉というものは世界の境界線に立つようで「恍惚」というのもわかるような気がする。他の辞書の比較や版による違いなどもしばしば詠われている。

  広辞苑裏表紙へと陽は射してひかりのなかに種をまく人
                        春畑茜『振り向かない』

 これは裏表紙の岩波のロゴ。私は〈広辞苑を装ふクロスの青のごとき朝はやがて靄ふかき谷 〉(『エウラキロン』)というのをつくったことがあるが、装幀のことを詠った作品は多くはない。

  広辞苑に「絨毯爆撃」生殘りゐたりけり さて、さはさりながら
                        塚本邦雄『魔王』

 塚本だから正字に違いないといって「廣辭苑」と直したら大間違い。固有名詞はそのまま新字で記しているのだった……ということに気付き、今夜はこの原稿を書き起こしたのである。

 それから「広辞苑」といえば、この人を忘れてはいけない。

  広辞苑ひもとき見るにスモッグといふ語なかりき入るべきものを
                        新村出『白芙蓉』

 編者=新村出も数冊の歌集をもつ歌人なのである。

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