八角堂便り

ふたつの桜の歌 / 前田 康子

2015年6月号

 高野川の桜もすでに散ったが、ふたつの桜の名歌について少し考えてみたい。
    
  夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を垂る
                             『形影』佐藤佐太郎
  ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
                             『湧井』上田三四二
    
 佐太郎の一首は昭和四十三年四月十三日、二条城の桜を詠んだものである。この一首は言葉のイメージが重複した作りになっている。「夕光」「まぶしく」「輝」があり「花みちて」といってから「しだれ桜は」と再び表す。「しだれ桜」といって「垂る」。本来ならこういう言葉の重なりは避けることが多いが、どうして佐太郎はこのように詠んだのだろう。「て止め」の三句目まででは桜とはまだ気付かないような光と花とが混ざり合った光景が見える。四句目で全体像が描かれ、満開のしだれ桜であることが詠まれる。そして結句の「垂る」というこの二文字の動詞の終止形が、一首のきらびやかな言葉を締めるように置かれている。もちろん佐太郎が自註するように「輝を垂る」の部分は杜甫や李白の詩の先蹤もあるのだが、満ちた花の眩しさが重量となって留まっている荘厳な感じがここにある。
 また三四二の歌は、昭和四十四年に吉野山に四日滞在し詠まれた歌。この歌は散って行く桜を詠んでいて、一読して音楽性の高い一首である。「かずかぎりなし」「ことごとく」「光をひきて」、一句のなかに繰り返される音がありそれが散っていく花びらの時間の流れを連れてくる。この歌もまた佐太郎の歌と同じように「桜」と「光」の取り合わせになっている。佐太郎の桜が満開で静止しているのに対し、三四二の歌は一首がずっと動いていて谷の深さを見降ろしながら、作者自身もそこに引き込まれていくような危うさも感じる。「かずかぎりなし」「ことごとく」の意味のかさなりも吹雪く桜の荘厳なイメージであるだろう。
 昭和四十三年、四十四年と詠まれた時期も似ていて同じ関西の地で桜を見ているわけだが、二人には病後であるという大きな共通点もある。佐太郎は昭和四十一年の歳晩に鼻血が止まらなくなり入院を余儀なくされた。五十七歳のことで、佐太郎はここから老いというものを強く意識し始める。また三四二も昭和四十一年結腸癌を病み手術をした。四十四歳のことである。特に医師である三四二には癌による命の危険性が一般の人よりも克明にわかっていたので、精神的にも耐え難いものであった。
 同じ頃に病を体験した二人があらたな境地にたったときに生まれた二つの桜の歌。それはおのおのの歌人の一頂点となった。生かされた身体が命の輪郭を濃く自覚し、短い期間を咲く桜、散る桜へと自ずと重ね合わせることとなったのだ。

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