八角堂便り

夏の七草の歌など / 栗木 京子

2012年10月号

八角堂便り 第四十六便

夏の七草の歌など
栗木 京子 

 高野公彦の第十三歌集『河骨川』が七月に刊行された。平成十八年から二十一年
までの計四年間(作者の年齢でいえば六十五歳から六十八歳)の作品五七五首を収
めている。

 高野の歌集を読むときはいつもそうだが、日本語の美しさをしみじみと気付かせて
もらい、そして生きることのなつかしさと切なさをあらためて実感することができる。
このたびの歌集も作品の前に幾たびも立ちどまっては、ことばと心の味わいに深々と
浸ったことであった。

  けし、あやめ、かうほね、あふひ、ゆり、はちす、こがねひぐるま夏の七草

 春の七草と秋の七草はよく聞くが、夏の七草は作者が独自に設定したのであろう。
この歌は植物名をすべて平がなで表記しているのが眼目。歴史的仮名遣いなので
ふんわりと柔かい雰囲気が出る。さらにヒマワリのことを「こがねひぐるま」(与謝野
鉄幹や晶子などの歌に出てくる呼称)と表したところが巧みである。

  罌粟、菖蒲、河骨、葵、百合、蓮、黄金向日葵 夏の七草
 と漢字で表記したなら、全く別の平板な歌になっていたに違いない。

  車内にて化粧する子がまた居ると心の中にひんぷんを置く

 四句目まではよくわかる。電車の中で席に座るやいなや化粧道具を取り出し、
ひたすらメーキャップに没頭する女性。見慣れたとはいえ、どうも眉をひそめたく
なる光景である。そこで、下句で作者はどうしたか。心の中に「ひんぷん」を置い
た、というのである。ひんぷんは何だろう。というわけで広辞苑を引いてみる。
すると、うれしいことにちゃんと載っている。「沖縄で、家の入口と母屋との間に
造る石造りの壁」とある。ああ、そういえば沖縄に旅行したとき家の前に建てられ
た衝立のような石壁を見たなあ、と思い当る。つまり、作者は不愉快な化粧女子を
心の視界から閉め出すべく魔除けを置いた、というわけ。「ひんぷん」の一語に
よって、嫌悪感がきっちりと、しかも優雅に伝わってくる。

  現し世の風と、かの世の風吹きぬトンボロなりや白き女体は

 同じく女性が登場する歌だが、こちらはかなりしっとりとしている。やはり
「トンボロ」がキーワード。そこで広辞苑を引くと「陸地とそれに近い島とを
つなぐ砂洲」とあって、なるほどと思う。いかなる状況で女体がそこに在るのか
は前後の歌を読んでも不明なのだが(絵画を見ているのかもしれないが)、とに
かく作者にとって、麗しい女体は何かと何かをすらりと繋ぐものなのだ。陸地と
島を繋ぎ、この世とあの世を繋ぐもの。そんな滑らかな繋がりに身も心もゆだね
ていこうか、という酩酊感を私は受け取った。トンボロ、素敵なことばである。

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