八角堂便り

宇都宮蓮生坊頼網の三鈷寺の墓 / 黒住 嘉輝

2013年12月号

八角堂便り――― 第六十便

宇都宮蓮生坊頼網の三鈷寺の墓

黒住 嘉輝

叔父高橋房男のことは第五十一便(二

〇一三年三月号)に書いたので繰り返さ

ないが、昭和も終わりに近い頃、我が家

を訪ねて来たときのこと。この近くに先

祖の墓がある筈なので是非お詣りしたい

と言い出した。京都西山の三鈷寺だとい

う。

三鈷寺は、昭和三十三年に塔の宿泊歌

会が開かれた所で、ご存じの方もあるか

と思うが、承保元年(一〇七四)源算が

結んだ往生院という草庵に始まる古寺で

あり、現在は西山宗の総本山である。

元同僚の大谷佑康氏が住職だとわかり、

早速電話して頼んでみたのだった。「私は

仕事で出勤するが、家内に伝えておく。」

ということで出かけることになった。

西山の中腹まで結構険しい道のりだっ

たが、京都盆地を一望できる天空の寺で

あった。来意を告げると奥方(大さん

というのだろうか)が案内して下さった。

本堂(華台廟)須弥壇の床下が開けられ

て、懐中電灯で照らし出されたところに

そのお墓はあった。蓮生が師として常随

した証空の側である。叔父が「ちょっと

変わったお墓」と言ったように、これで

は勝手に来てお詣りする訳にはいかない

筈だ。

その折りの叔父の短歌が、没後に娘た

ちの手によって上梓された歌集『肩並ベ』

に載っているので引くことにする。

「詞書」祖先の一人頼綱(蓮生法師)が墓あ

り詣づ。墓は酉山の三鈷寺。本堂下に師・西

山上人と並び在す。寺より懐中電灯を借りて

入る。詠は十二首あるも略す。

とあって、次の四首が並んでいる。

上人(西山)と触るる間近に葬られ

し本堂下(した)の蓮生が墓

差し向けし電燈の中に見えにける墓

なる人は七百年前の祖(おや)

此(こ)に佇ちて東に遠き故郷の下野偲び

し時もありなむ

秋台風明朝(あした)来るとふ時々に竹林(ちくりん)鳴ら

し風雨の過ぐる

蓮生は歌をよくし、藤原定家とも親交

厚く、後には娘を息子為家に嫁がせても

いる。また、蓮生が自分の山荘の襖を飾

るために、定家に書いて貰った歌九八首

が、今日の小倉百人一首のもとである、

とも言われている。これについては、小

林幸子さんが以前に書かれていたような

記憶がある。

叔父高橋房男は平成十年二月に亡くな

り、妻で塔会員であった高橋雅子は、そ

の三か月後の五月に亡くなっている。

なお、三鈷寺は、平成十四年に大修理

を終え、私たちが訪ねた時とは趣が変

わってしまっているようだ。秋には東山

連峰より昇る名月の観賞会などが催され

ている。また、蓮生の墓碑は、この三鈷

寺の他にもあると言われており、宇都宮

市の清巌寺と、益子町の地蔵院がそれで

あるらしい。

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