短歌時評

短歌・二〇一三 / 梶原 さい子

2013年12月号

 短歌という世界においてのこの一年は、突出するできごとがあったというよりは、前からの流れを引き継ぎながら過ぎていったように思われる。だが、その中に、変質するもの、顕在してくるものがあった。また、始まっていく試みもあった。それらは、きっぱりと、それぞれの自然のうちに行われようとしていた。
 
●近代短歌・歌人研究
 
 今年の軸の一つとなったのは「近代短歌」への眼差しである。昨年の、茂吉生誕百三十年、啄木没後百年、白秋・晶子没後七十年などの際、近代短歌の読み返しが行われた。そこで生まれた雰囲気が、ひとつの流れを形作っている。角川「短歌」の「若手歌人による近代短歌研究」の連載等の影響もあるだろう。
 
 まず、茂吉の『赤光』、白秋の『桐の花』刊行百年というところからの企画があった。「短歌」五月号では、二冊を比べながらの考察がなされた。この比較は今までもあったが、今回は、百年後の現代から読むというところが意識されており、時代性などへの言及も興味深かった。二冊は、大正二年の発刊。「天皇崩御と乃木の殉死に、二人の歌人が何の影響もされずに出版にいたったとは思えない。(茂吉が師、伊藤左千夫の死を知って後の一連)〈悲報来〉を読むたびに、わたしには、悲しみより先に大仰な高揚感の方が迫ってくる」、「人間の自我と脳の肥大したものが〈近代〉の着地だったとしたら、その〈今〉に読み直す(『桐の花』の)〈気分と吐息の微かな陰影〉は脆弱な現代の空気を切なく表す方法を示している」という佐伯裕子の考察に着目した。
 
 「歌壇」十一月号の『赤光』に関する、小池光、品田悦一、花山多佳子の鼎談も示唆に富んでいた。品田の、「茂吉が〈田螺と彗星〉の一連のような空想的な世界を否定して現実に即く歌を詠むようになった理由は、精神病医になったことが大きい。現実に即くということが空想以上に超現実的なこと。現実は当たり前ではなく出来上がっていることに目がいくようになった」という指摘が興味深い。「田螺と彗星」は明治四十三年の作。翌年から茂吉は勤務医になっている。他の論考を見ても、『赤光』の魅力は汲めども尽きぬと感じた。
 
 一冊の本としては、永田和宏の『近代秀歌』が刊行された。落合直文から土屋文明までの、「あなたが日本人なら、せめてこれくらいの歌は知っておいて欲しいというぎりぎりの一〇〇首」が収められている。歌の歴史的な背景などもわかりやすくまとまっており、「高校生を含めた学生諸君」を頭に置き執筆したところがよくわかる。永田は、近代短歌に対し、「身体のなかに、DNAとして刻み込まれてきた」「心情のもっとも深いところで、我々の情緒を知らず知らず規定してきた」歌という言い方をしているが、今、近代というところに向かう流れがあるのは、知的興味だけではなく、ぐらぐらと危うい現代に、そのような深いところを辿り直したい、確認したいという無意識の思いがあるのではないだろうか。
 
 歌人研究そのものにも、スポットが当てられた年だった。「歌壇」五月号では、「歌人研究は今どうなっているか」という特集があり、地道に講究を重ねている、尾上柴舟、窪田空穂、木俣修などの研究会についての経緯などがまとめられていたが、その多くが、没後何年、生誕何年という節目を契機に始まっていた。そして、佐佐木信綱没後五十年目の今年、「佐佐木信綱研究」が発刊された。ここの面白いところは、問題提起号としての0號が存在することだ。見通しも含めた梗概ともいうべきところが掲載されており、「佐佐木信綱像の再構築」、「和歌革新運動と信綱」、「信綱作詞の校歌について」など、これから展開する二十四本の論に対して興味を持たせる打ち出し方が取られている。これは、読者を巻き込む方法として、戦略的にも優れている。
 
 また、現代短歌の範疇となるが、生誕百年前後を迎えた、いわゆる戦後派の歌人についての力ある歌書が刊行された。杜澤光一郎『宮柊二・人と作品』では、歌の丁寧な分析・精査によって、新たな読みが提示されている。松村正直『高安国世への手紙』は、膨大な資料を踏まえての専門的な書でありながら、読み物としての楽しさも十分に味わわせる一冊だ。大島史洋『近藤芳美論』には、身近にいた者ならではの気付きがある。
 
●新鋭・プロデュース力
 
 もうひとつの軸としては、新鋭達の活躍がある。まずは、学生短歌会の勢い。「現代短歌新聞」では、昨年八月から「大学短歌会はいま」の連載を行い、毎回、会員による短歌作品と評論、大辻隆弘による活動紹介を掲載してきた。リレー批評という形で、会同士がつながる企画もあった。これらの会のなかには、この一年のうちに、できたところ、定期的な機関誌を発行し始めたところがある。この企画は「学生短歌会界」に大きな影響を与え、確かに、裾野を広げた。また、同人誌への参加、新人賞の受賞など、学生・OBたちの活躍も目覚ましい。歌壇賞の服部真里子、角川短歌賞の吉田隼人、伊波真人、藪内亮輔などもそうだ。同年代との活動の中でなされた試行錯誤、生まれた問題意識、作られたネットワーク、好敵手としての相互認識などは、その後の活動にも大きな影響を及ぼす。そのような環境においては、自分は、一体、他の人とは違う何を打ち出せる存在なのかというところを、考えざるをえないだろう。それが、さまざまな試みにも繋がっていく。
 
 一方、書肆侃侃房の「新鋭短歌シリーズ」が話題になった。加藤治郎・東直子の監修。シンプルな装幀で、価格も一七八五円と抑えられている。
 
  鮭の死を米で包んでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい
            木下龍也『つむじ風、ここにあります』
  洗われた夜明けの海に立つ虹よ あと2メートル可愛くなりたい
                  鯨井可菜子『タンジブル』
  「ナイス提案!ナイス提案!」うす闇に叫ぶわたしを妻が搖さぶる
                    堀合昇平『提案前夜』
  八月のフルート奏者きらきらと独り真昼の野を歩みをり
               笹井宏之『八月のフルート奏者』
 
 これらは、抄出版ではあるが電子書籍でも読める。Kindle版、三〇〇円。たとえば、光森裕樹の『うづまき管だより』も、電子書籍として出版され話題になったが、この媒体が短歌の世界の人々に浸透するまでには、今少し、時間が掛かりそうだ。何年後かに爆発的に広がっている可能性はあるが。
 
  そよかぜがページをめくることはなくおもてのままにKindleを置く
                光森裕樹『うづまき管だより』
 
 電子書籍は、短歌にとっても、確実に有用で必要な媒体だ。たとえば、伝達力という面、価格の面などにおいて。加えて、以下のような観点においても。PD(プリント・ディスアビリティ)という言葉がある。これは、「印刷された紙媒体の文字を読めない、または、読みにくい状態」のことで、視覚障がいのある人、手などに障がいがあり本のページをめくることが難しい人、ある種の学習障がいの人などがこの状態に当たる。加えて、高齢者も、これに含まれ考えられたりする。電子辞書は、簡単な操作で文字を拡大できる。全集の文字などは、本当に小さい。歌を読むことの助けになる媒体であることは間違いない。
 
 そして、電子書籍は、音声読み上げなどの機能も働かせることができる。短歌に使われる語彙は難しいものが多いので、それらを正確に「読み上げる」には、電子書籍にする段階でその読みも示すという手間が掛かってくるとは思うが、それにしても、これは、PDの人にのみならず、とても魅力的な機能だ。短歌の持つ、「韻律」という要素を、より明確に味わうことができる。技術が進めば、作者自身の音声による読み上げなども、容易に選択できるようになるかもしれない。もちろん、それが自分が読むときの邪魔になるなら、選択しなければいい。
 
 紙媒体の良さ、電子媒体の良さ、いずれ、それらを選ぶことが、より一般的なことになってくるだろう。現段階での「歌集」というところを考えれば、「併用」という形までが、それぞれの利点を生かせる効果的なところか。
 
 また、コンビニでの「ネットプリント」を活用した配布の動きもある。硬貨を入れて、予約番号を押して、印刷の形態を選べばいいだけだ。プリントアウトできる期間が限られているところが難点だが、コンビニ経由の「私家集」も、これから増えてくるだろう。
 
 「新鋭短歌シリーズ」の出版にあたっては、監修者、編集者のプロデュース力を感じるが、春に行われた、新宿の紀伊國屋書店での「この短歌を読め!春の大短歌祭り」でも、それを感じた。今、どのような層が潜在的に存在しているのかを見極め、同人誌や、手に入りにくい歌集、特に若い世代の歌集、を並べた企画者の眼力。それがあっての盛況だった。
 
 また、これも、プロデュース力の成功と言えるか、注目された二つの同人誌があった。一つは「中東短歌」。中東ゆかりの歌人、千種創一、齋籐芳生、三井修などの参加による。
 
  告げている、砂漠で限りなく淡い虹みたことを、ドア閉めながら
                         千種創一
 
 「中東」というもののイメージが、細やかな砂のように心に入り込んでくる一冊だった。
 
 もう一つは「短歌男子」。「うたらば」の編集者、田中ましろの企画で、短歌と合わせ、十人の男性作者のスーツ姿の写真を載せたところ、大きな反響があったという。
 
  乗り合わす朝のエレベーターこの中のひとりは昨夜泣いてた人だ
                         ユキノ進
 
 写真との不思議な相乗効果を感じた。
 
 今後は、ますます、アイディアをもって、身軽な形で歌をうち出す方向に進むと思う。それに応じる層も確かに存在するからだ。
 
●東日本大震災後の歌
 
 さて、東日本大震災から三年目に入り、震災の歌は、総合誌などでは、ほとんど見られなくなってきた。が、そんな中、大きく分けて三つの動きが見えてきた。ひとつは、訪問者の歌、もう一つは採録者の歌、そして、生活者の歌である。一つ目の、訪問者として被災地をまわり、そこで見聞きしたもの、生まれた情動を詠うという動きは続けられている。真摯に続けられていると言える。震災後三年目を迎えても状況はあまり変わっていないので、そういう意味において成立している部分はある。二つ目の採録者の歌は、時に、「編集」色や「代弁」味が強まったりもするので、「採録」と名付けてよいか迷うが、たとえば、目黒哲朗『VSOP』には、被災地の子ども達の作文から、想を得ている歌がある。他者の言葉を取り込んでの詠みである。
 
     八幡千代
  三人で仲良く暮らしたいと思ふ あと一人、お母さんを見つけて
 
 また、斉藤斎藤の試みなどもあった。どうあっても一人称の文学であるというところを否定できない短歌において、当事者の「言葉」の「採録」は、ひとつの有効な手段となるか。「成り代わり」ではなく、「採録」。難しいが可能性はあると思う。三つ目は、直接被災圏の生活者として日常を詠う動きである。これが、ねばり強く、自然だ。たとえば、福島、宮城のグループ、「あんだんて」「いさり火」「北炎」等では、今も、震災に関する事柄が日常詠としてたくさん詠われている。新聞歌壇もしかり。「震災後」はまだまだ続く。だから、「震災詠」も、詠う人が詠っていくだろう。
 
●歌集・物故者等
 駆け足での紹介になるが、歌集としては、特に若い女性の第一歌集が話題になった。磨かれた言葉が連なる、大森静佳『てのひらを燃やす』、自分の大切だった時間を歌という形にした、山崎聡子『手のひらの花火』、原発事故後のふるさとを思う、三原由起子『ふるさとは赤』などである。
 
  喉の深さを冬のふかさと思いつつうがいして吐く水かがやけり
                大森静佳『てのひらを燃やす』
  雨の日のひとのにおいで満ちたバスみんながもろい両膝をもつ
                 山崎聡子『手のひらの花火』
  再稼働のニュースが聞こえて心臓が脳が身体が地団駄を踏む
                 三原由起子『ふるさとは赤』
 
 また、藤島秀憲『すずめ』、栗木京子『水仙の章』、真中朋久『エフライムの岸』、秋月祐一の『迷子のカピバラ』の世界も注目された。
 
  さいたまのたたみに散っている父の癇癪癖のたけのこごはん
                     藤島秀憲『すずめ』
  カップ麺の蓋押さへつつ思ひをりわが部屋に火と水のあること
                    栗木京子『水仙の章』
  わたしではなくてお腹(なか)をかばつたといまも言ふあれは冬のあけがた
                 真中朋久『エフライムの岸』
  きみどりの目をしたうさぎに一晩中「くぶくりん」つて囁かれてる
                 秋月祐一『迷子のカピバラ』
 
 岡部桂一郎、成瀬有が前年の十一月に、三月には福島の原発を詠った『青白き光』の佐藤祐禎が亡くなった。民俗学者でもある谷川健一、元短歌新聞社社主の石黒清介も物故者となった。
 
 また、九月に「現代短歌」が創刊され、大きな総合誌は、再び五誌となった。故石黒氏創刊の前「現代短歌」は、地方の小さな本屋にも置かれており、ここを頼りにしている人達も多かった。今後は、どういう方針で、どの部分を大切にした路線の展開をしていくのか、見守っていきたい。

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