塔アーカイブ

2011年11月号 

永田和宏・花山多佳子対談

「震災はどう詠まれたか ~短歌のゆくえ~」

  塔全国大会 in 長野 2011年8月20日

永田 今日はこのタイトルにありますように、「震災はどう詠まれたか」ということを話そうということです。ただ、震災だけのことではなくて、これからの短歌はどういうふうに動いていくんだろうかということまで含めて、花山さんと短い時間で、話をしてみたいと思っております。花山さんと私がそれぞれ選んだ歌を中心にして話をしていこうと思っています。

新聞歌壇の選をする現場

永田 花山さんね、お互い新聞歌壇などで選者をやっているという立場ですが、今回震災に際しては圧倒的な数の震災を詠った歌が来て、特に花山さんは「河北新報」という仙台の新聞の選者をやっておられるので特に多かったですね。そういうところの印象から話していただきましょうか。

花山 私は、たまたま東北の「河北新報」という新聞の歌壇の選者をやってるんです。石巻とか被災地の方も多いんですよね、気仙沼とか。三月の十一日以前は、そういうとこの海の日常の歌をずうっと読んできてるわけですよね。とてもいい歌があるんです、海の。孫が楽しみに釣りに来るとか、大漁旗の歌とか。

 それで、三月十一日に震災が起こってから五月二十二日まで歌壇がストップしました。何回か選んだ分も全部載らなかったんです。ばたっと新聞が途絶えて、それで五月二十二日に再開したときに、まあ震災の歌一色になってたんですよ。で、このときに出た歌っていうのは、津波の直接の被災よりも周辺のインフラですよね。厳寒、吹雪の中で断水したり停電したりっていう、それがまずわあっと出てきました。これもとても生々しくていい歌があったんですね。

 で、それからだんだん、だんだん深刻な歌が出てくる。避難所の方はすぐには投稿できなかったのですが、だんだん出してくる。常連の方が避難所から出し始めるまでに相当時間がかかりました。その後、家族が亡くなったとか、そういう深刻な歌が出始めてきたっていうのがもう最近なんですよね。

 ところが同時に、周辺の被災の歌というのはだんだんなくなってきて、そちらは日常に回復してきて、もとどおりの生活の歌が出てくると。ところが、深刻な歌はどんどんこれから出てくるんですよね。その何か落差というのをとても感じたんですね、時間的な落差。つまり日常に復帰していく人とこれからどんどん、どんどん苦しんでいく人の落差というのが非常に目についてくるというか、何かそういうことが一つありますね、まず。

永田 それは本当にそのとおりで、我々もそれを感じますね。まず出てくるのは現場以外の人から出てくるね。現場からの歌が出てくるのは一カ月、二カ月近くたってだと思います。私は朝日歌壇を今やっていますけども、現場の人の歌がなかなか来なくて、やっぱりやきもきするんですね。

  大地震の間なき余震のその夜をあはれ二時間眠りたるらし
        仙台市 坂本捷子 「朝日歌壇」4月10日

 この方も常連で、これは「オオナイ」というよりは「ダイジシン」と読みたい作品ですね。朝日歌壇というのは四人の選者が一緒に集まって選をしますので、あの人どうしたんだろうとか、あの人はもっと危ないとこだねとかっていう話をしながら選歌をしてるわけです。この歌見たときに、まず最初に見た人が声挙げた、あっ、来てるというのでみんなとても喜んだ歌なんですが、そういうある種の安否確認のようなこともありまして、この歌が載ったのは四月の十日でしたけども、やっぱり一カ月近くたってからだった。

 四月十日は特に四人の選者がそれぞれ十首ずつ選んだ四十首全部、震災の歌になってしまいましたね。もう圧倒的な数の震災の歌があって、特にこのころまではまだ震災そのもの、津波そのものを歌った歌が非常に多かったように思います。

 神戸の大震災のときもそうでしたけれども、揺れている時間というのはテレビ報道ではほとんどないんですよね。もちろん放送局のカメラがガラガラガラと揺れてるのは出てきますけれども、例えば高速道路が倒れていくときの現場映像というのはないわけですよね。だけど、今回の津波は水が押し寄せていくというのを、あの圧倒的な迫力というのを何度も何度も見せられて、しかもリアルタイムで見せられて、本当に我々言葉を扱う人間がそんなこと言ってたらだめなんですが、まさに言葉を失うと言うしか言いようのないような迫力で、それが繰り返されたというのが非常に大きな違いでした。津波の映像に圧倒的な迫力があった。そこで花山さん、震災の歌とね、それから津波の歌というのは、特にそちらは現場だけども、何かそういう違いは感じたことありますか。

花山 もう本当に津波そのものの歌は非常に多かったんですけど、

  三陸はほぼ壊滅とラジオからその大津波階下に来てる
           石巻市 木村 譲 「河北歌壇」6月12日

これは六月半ばの投稿歌です。ラジオからその情報が伝わって、「壊滅」という言葉と、その津波が下に来てるっていう、耳からの情報と現場というのがとても生々しいというか。

 津波の歌というのは地震や他の災害の歌と違って、風景そのものが失われてるし、海をとても好きだった人が海を失ったとか、それから水に浸かった写真とか、遺体のポケットから砂を出すとかね。とにかくいろんな、胸に詰まるような多様な場面が出てくるっていうのがね。それで、海に向かって家族を呼ぶっていうふうな歌の悲しさというか。そういう意味では特殊なものを感じました。

永田 ビジュアル化という意味で言うと、今回はリアルタイムの映像が全国で共有された。全国の人が同じ風景を見ていて、また逆にそれで歌いにくいということもありますよね。

 実はね、塔で東北復興歌会というのをやったんですよね。それが、あれいつでしたっけ、二カ月ぐらい前かな。ちょうど私が「秋田魁新報」というとこで講演を頼まれて行ったので、それに合わせて秋田で東北の人たち集まってくれて復興歌会ってやったんです。

  一葉の写真を洗ふほほゑみの解けたる叔父を洗ひ続くる
          大崎市 梶原さい子 「99日目 塔東北」

 これはですね、テレビなんかでも報道はされてるんですけども、やはり現場の人が現場で自分で動作をしているというか、自分で物にタッチしているというところがとても強いですね。

 それ以外にも、現場にボランティアで行った人の歌で、現場に行って初めてわかったことがある、何だというと臭いだというんですよね。テレビであれだけ我々は津波の押し寄せてくる現場のビデオ見せられたし、その後の荒涼として何も残ってない、瓦礫の山、いや瓦礫なんて一つもないんで、本当にみんなの大事な物だったので、瓦礫という言葉は使いたくないですけども、ただ本当に一面何もなくなってしまった風景っていっぱい見せられてて、現場は知ってるような気分になってるのですけれども、行ってみると全然違うんだと。それは臭いだったと。

花山 その臭いの歌は今多く見るんですよね。それはみんなおんなじことを感じてるからだと思うんだけども、一つのパターンにもなってるぐらい重なってきてるので、今だとあまりびっくりしないんだけども、それぞれやっぱり実感ですよね、それはね。臭いはやっぱり映像からはしないっていうのは誰しも感じて歌ってるんだと思うけども、かなり見ましたね。

 それで、映像の歌でもう一つ言うと、短歌は主語を抜くじゃない。そうするとね、さも現場で自分が詠んでるような歌っていうのを非常に多く見ましたね。住所を確認して初めて、これは被災地の人ではないっていうことになるんだけど、その辺どうでしょうね。

永田 それありますよね。本当に住所を確認しないとわかんないというかね。歌には、成りかわって作るという方法もあるので、何ら悪くはないんだけれども、やっぱり映像を見て成りかわって作ってる歌は採れないという気はしましたけど、どうですか。

花山 それが作品だけだと意外とわからないときもあるんですよね。だから、これ問題だなあと思って、そういう詠い方というか。やっぱり映像で見たとか、誰かが呼んでいたのを見たとかね、何か状況を入れてきちんと作るべきだろうと思うんですけどね。

永田 そうだね。僕もさっきの梶原さんの歌でね、「洗ひ続くる」というの、これいい歌だと思うんですよ。泥にまみれた写真を丁寧に大事に洗う。私は別の週に、柔らかい穂先で写真を洗うという歌も採っていてボランティアの歌だと思うんですけども、本当に映像見て作った歌なのか、それとも自分が実際にやってるのか。これはね、実は前衛短歌の時代にもう嫌っていうほど議論した問題なんですね。実際にそれが事実であったかどうかは問わないと。で、あなたもそうだったけど、我々はそういう議論してきたわけだ。だけど、こういう場になってみると、やっぱり映像見てさも自分がやっているように作ってる歌は作ってほしくないし、採りたくないという気が起こってしまうんですよね。これ何でですかね。

花山 ただ、なかなかそれがやっぱり見分けられない問題だとすればね、普通全部作者とか住所を確認するわけじゃないですからね。その歌だけを読む。そしたら、もしそれが非常によくできてたらどうなのか。それがよければいいっていう考えも当然あるわけですけどね。

永田 完全に作者はわかってないということであればいいんだけど、例えば本当に生々しく抱き起こしてるような歌が鹿児島の作者だったらやっぱりちょっとがっくりきちゃうよね。

花山 そうなんですよね。被災地で家族や妻を呼ぶとか詠っていても、違うんですよね、全然住所が。おかしいなあというか。

レトリックを使うこと

永田 もう一つね、詠い方ということを言いたいのだけれど。当然我々は歌を作るときは自分の持ってる語彙の限りを駆使して、いろんなレトリックを使ったりもして、卓抜な比喩を使って詠うわけです。震災の歌ですばらしい比喩もあるんですよ。例えばね、巨大な船が屋根の上に乗っかってたでしょう。あれはもうみんな詠いたがるわけです。で、ノアの方舟のようだと言っているような歌というのは幾つもあった。中にはいい歌があったんですけどね、やっぱり採り切れなかったんですよ。そういう、何ていうかな、レトリックというか、比喩というか、勝手な連想を働かせないでほしいというような、ある種の禁欲的な感じが否応なく禁則として出てくることはないですか。

花山 それは感じましたけどね。その今のだと、例えば「ノアの方舟」という比喩そのものがパターンで嫌なのか、そこをもう少し越えていたら採れるのかっていうね、そこら辺の問題はちょっとあるような気がしますよね。今回そういうのがやっぱりパターンの発想が非常に多かったかな。

永田 ただ、中には、僕採らなかったんで忘れてしまったんだけど、我々が思いもかけないような、おっ、こんなふうに見えるんだという、そういう比喩もあって、それはこういう「ノアの方舟」みたいに観念とか、そういうコンセプトで選んだ比喩じゃなくてあったんだけど、やっぱり何かね、直截性  というかな、事件が大きいだけにもっと直截に立ち向かってほしいという、そんな感じがありましたね。

花山 そういうことは原発の歌なんかもそうですよね。だから、神とか、天罰とか、ノアの方舟とか言われるとちょっとね、非常に抵抗があるというか、何に喩えても抵抗があるというのはあるかなって思うんですけどね。

原発の歌について

花山 今回、津波の直後に原発というのがありまして、私もちょっと原発の歌っていうのがそれほどいい歌が多いようには思えないんだけども、実際には被災者以外の人に非常に関わりがあるのは原発なんですよね。これからっていうか、そういうところで原発の歌のほうをちょっと話したいのですが。

永田 様々な歌を読んでいて、テーマの移り変わりはもう明らかに津波、震災というところから原発に今移ってきてると感じるんですね。津波、震災というのは非常にリアルで迫力のある歌が多かったんですが、原発の歌になり始めた途端に観念的というか、見えない相手なんですよね。放射能というのはそもそも見えない。大体シーベルトとか何だというわけでしょ。これまで聞いたこともない言葉がいっぱい出てきて、ベクレル、シーベルト、我々サイエンスやってる人間にはどれも身近な言葉なんですが、一般の人にとっては初めて聞く言葉で、そういう言葉に対する驚きで詠んでる歌が非常に多かった。恐いという強迫観念みたいなところで歌ってるのであんまり迫力ないんですよね。この原発、放射能というものの目に見えないものを歌う難しさというのは、今回の震災の歌のリアルな迫力と比べて、非常にインパクトの強い差として表われた。

 私は原発の歌ということで一首挙げてきました。

  いつ摘みし草かと子等に問われたり蓬だんごを作りて待てば
         つくば市 野田珠子 「朝日歌壇」6月12日

この歌はいい歌だと思っています。別の状況で読むとわかんないんですけど、今だと、何にも説明しなくても一発でわかるわけですね。つまり、おばあちゃんが子供や孫が来るのを待ってるわけですよ。子供たちが来るのを楽しみにして蓬を摘んで、蓬団子を作って待ってたわけですね。そしたら、やってきた子供が、おふくろ、この蓬いつ摘んだんだと言うわけですよ。三月十一日以前なのか以後なのか。これはね、どっちにもすごいせつない歌で、せっかく作って待ってたおばあちゃんにとってはこんな悲しい言い方はないわけですね。でも、子供だって大変で、自分の子供に放射能を含んだ蓬団子を食わせられないと思って訊くわけですね。

 これはダイレクトには放射能ということを一言も言ってないんですが、実に見事に我々庶民が放射能というものに対してどんな恐怖を持っていて、それに対してどんな反応をするかということを詠った歌だと思いました。これは多分初めて採られた作者で、私全くこの作者についての予備知識はないのですが、でも非常に素朴に歌われてて、事実だけなんだけども、その素朴な事実の中に放射能に対してどんなふうに受容していくかという一つの切り口が見えてる歌だというふうに思いましたね。

花山 本当にそうだと思いますね。だから、蓬団子なんて本当は自然の中で摘んで、とてもうれしいものなのに、それが逆転するというか、自然のものが今危ないわけでしょ。だから、天日干しは怖くて、人工のものというか、屋根の中のもののほうが安全というふうに、今までいいと思ってたものが否定されてくるというか、価値感が。

永田 自然食品の店なんてなくなっちゃうんだよな。

花山 何か価値の逆転みたいなのがある気がするんですよね。だから、自然に対する見方や感覚が変わるのではないか。例えば「落ち葉溜まり」なんてとてもよく短歌に詠われるものだとして、この「落ち葉溜まり」って歌ったときにね、そこ放射能が溜ってるでしょみたいな、何かそこに不気味なものを感じてしまう。セシウムって言われたときにすごく嫌な感じしたのと同じ。たとえば藁ってとってもいい、温かいイメージの懐かしいものなのに、何かそこに怖いものがつけ加わるっていうか。これから歌作るときに、人の歌を読むときも意識せずにはいられない、あるいは今までどおりに鑑賞できないみたいなところで変わってくるような、ずれが来るような、そういう気がしてるんですよね。

震災の報道について

永田 今回はもう一つは、今のことも含めて報道の問題ってすごく大きいと感じた。ここは歌の場なのであんまり社会現象を評論してもしようがないんですが、過剰な報道っていうの、すごく最初のうち気になりましたね。最初の頃の放射能の検出というのはほとんど自然放射能に近い放射能だったんだけど、それに対して報道が過剰に反応しすぎていました。今はさすがにこうなってくると各地で観測されている放射能というのは自然放射能からははるかに高いレベルなんで、これについてはもう物を言うことはできませんけどね。ただ、報道の過剰さというか、煽り方というか、それからそれによる風評被害というか、そういうものを特に今回強く感じました。

 震災、津波は、事実として報道されていて、それ以上でも以下でもないんだけど、今度は目に見えない放射能というものになったときに、どこまでも拡大して恐怖をあおり立てるような報道がなされていた。それは歌としては非常に詠いにくいものなんですが。

  ぶしつけな問いにも静かに答えるは父母を波にさらわれし人
           太田市 川野公子 「朝日歌壇」4月10日

この歌も早い時期に出た歌なんですが、これはですね、当事者じゃなくて映像を見ている人ですね。映像を見てる人だけど、ここは僕は映像に対する本人の角度がきちんとあって、いい歌だと思うんですね。被害者、父も母も亡くした人にマイクを向けて、ご感想はとかお悲しみはみたいな、そういうぶしつけな質問をする。報道の為なら何でも許されるみたいな態度への違和感がある。難しいところですね。報道するほうは報道しなければならないという使命感があるわけだけども、被害者の立場に立つとそうもいかないというところはあって、それをうまく作者がすくい上げた歌だろうと思います。

花山 この歌に関して言うととてもいい歌だと思うんですけども、その「静かに答える」というような、向こうの人を賛美する歌というのは非常に多く出ていて、それは私も本当に感動してやっぱり似たような歌を作ったんですけどもね。あんまり出てくるとやはり、何ていうんですかね、それを強要されてるような感じにもちょっとなるというか。この間、日本人のそういう節度あるというかね、非常に抑制された美しさみたいなのが言われ過ぎてるような気もします。だけど現場は、実際に非常にきついんで、福島のほうだってやっぱり家族同士の諍いなり、去る人・とどまる人の亀裂が深刻になっている場合もあるわけですよね。だから、外に向けるのが幾ら静かでも、その亀裂の問題というのはやっぱりかなりあるかなと。

永田 なるほどね。それと、今「がんばろう」なんて言葉使ってるのは高校野球ぐらいで、あの「がんばろう被災者、がんばろう日本」の大合唱はもうやめてほしいという歌がすごく増えましたね。

花山 そうそう、その歌もすごく多いです。

永田 多いね。もう頑張らなくてもいいんだよという歌が増えてきて。

花山 これ以上何を頑張るのとかね、そういう歌もよく出てるし、阪神大震災のときもやっぱり美徳を称えられたと思うんですけどね、きちんと並んだとか、そういうことをね。

永田 だから、やっぱりこういう何か事件が起こると、社会的には何か感動する話というか、いい話というか、そういう美談を作りたがるんだよね。それがやっぱり嘘臭く感じる。我々多分歌作ってる人間って一番初めに嘘臭く感じないといけない人種だと思うんですが、でもやっぱり当面は、最初の頃は特に「がんばれ、がんばれ」というような歌が多かったですね。

花山 さっきの原発の歌で私が挙げてるんですけれどね。

  百万分一の単位の増幅を恐れて避難する人の群れ
           岐阜県 武藤良介 「塔」6月号

 今のこの情報の問題で、放射線量の細かい数字の単位でだだーっと避難させられるというかね。例えばこういう歌の、ちょっと距離を置いた詠い方ですよね。「人の群れ」っていうような言い方、こういう歌はどうですか。

永田 これ岐阜県の人だから外から見ているんだけども、現場にいる人たちもそういう歌がありましたね。みんなで集団で避難してきた。ここもまだ危ないと言われてまた別のとこに行かなければならないという。何というか、本当に戦火を逃れていく難民のような歌というのが出てきて僕もびっくりしたことありましたね。

 これ一首は、数値に踊らされているというか、それに踊らされて避難する「人の群れ」を、非難しているんではない。責めたり、そんなことに踊らされてばかだなあなんて言ってるんじゃなくて、その逃げていく人たちの群れの一人として多分自分もそうなるんだろうみたいな、そういうところはいいんじゃないかな、この歌は。

花山 やっぱり見えないもので避難させられるっていう、直接の何か爆弾が落ちたとかね、そういうのとは違う原発特有のものをこの歌は出してるかなというふうに思うんです。

阪神大震災の記憶

永田 塔でも非常に大きな事件だったんですが、阪神大震災というのがありまして、それで吉川君が編集長の時代に、阪神大震災で被災された人たちの歌を「塔」で特集したりしたこともあるんです。今回ね、阪神大震災に遭った人がその立場からの歌を作るという、そういう、まあある場合にはエールになるし、ある場合は非常に共感になるしという歌が結構あって、やっぱりあの震災が日本人の記憶の中に非常に深くしまい込まれてるという気がしますね。今回の大地震、大津波、原発というのも、もう十年、二十年ずうっとこう日本人の感性の、今、花山さんが言ったように、例えば自然に対する、自然讃美をできなくなってしまうとか、いろんな形で日本人の感性にじわっとこう沈みこんでいって影響及ぼしてくるような、そんな気がするよね。

  十七年経(ふ)ればテレヴィの向う側が大地震に揺るるを見る側にゐる
           兵庫県 長尾 宏 「塔」6月号

 これ、塔の長尾さんの歌ですけども、兵庫県の方だから恐らく長尾さんも震災に遭われたんだと思うんだけど、十七年。あのときは自分が当事者だったのに、今度はそれを見る側にいる。見る側の人間になってしまった。これがどういう気持ちなのかということはひと言では言えないですけども、やっぱりこれ読んでも、それから朝日歌壇でもそういう神戸のときの自分たちの思いをもう一回歌ってる歌もずいぶんあったんですけど、やっぱり時間がたっていってどんなふうにこの記憶が我々の感性に影響を与えているんだろうかという観点はとても大きな問題だという気がするよね。

花山 やっぱりかつての何かを呼び覚ますことでもあるし、今回戦災を呼び覚まされたという歌はね、非常に多かったですね。

永田 ただ、「被爆」と「被曝」ね。この二つのよく似た漢字、にも関わらず意味の全く違う漢字を詠んだ歌もずいぶん多いんですよ。これはね、でもね、何かもう一つ採りづらいんですけどね。

 今、花山さん言ったみたいに、戦争のときの、つまり広島、長崎の放射能と今回の放射能とを比べて詠んでる歌もとても多かった。直接被爆した、しないにかかわらず、日本人の記憶の中にもう抜きがたい記憶として残っているということを改めて感じますね。
花山 そうですね。それとこう、今までの時代の動きの中にね、もう既に戦後からの流れとしてやっぱりあるっていうことがある。

  日清日露大戦集団就職原発東北部隊は常に前線
              八木博信 「短歌人」7月号

この「短歌人」の八木さんの歌、こういう歌い方はちょっと塔にはないですよね。こういうふうにバチバチッとコンセプトを言ってしまうというか。ああ、なるほどっていうことはありました。これは福島の今の作業員の問題ですよね。「常に前線」っていうふうに言われる、そういうことも呼び覚まされるというか。わかっていたことではあっても。

永田 この八木さんて東北の人なの。

花山 わからないですけどもね。見たときにああ確かにっていう感じがした。

 それと、塔の吉田健一さんの歌。

  勿来の関復活せしやここ越えて我が町に来る物資少なし
          いわき市 吉田健一 「塔」7月号

 吉田さんは、いわき市の食料対策部長なんですって。で、「勿来の関復活せしやここ越えて我が町に来る物資少なし」っていうのがあって、白河の関、その勿来の関が何か非常に意識されてるっていうかね、何かそういうものも含めて地域の問題も感じたところですけどね。

永田 でも、この歌は「勿来の関復活せし」あたりがちょっとね、何となく頭で作ってるという感じが。

花山 たまたまこの間気づいたんですけど、「河北新報」の題字の下に「明治維新以来東北地方は白河以北一山百文と軽視されていた。河北新報は東北振興と不羈独立を社是として明治三十年に創刊された」というのが載ってて、ちょっとびっくりして。この「一山百文」的な感じというのがずっとあるんだというのをちょっと今回感じた、まあ別の問題ですけどね。

俳句との違い

永田 ところで、短歌と俳句の歌い方の違いというのもおもしろいなあという話をさっき少し花山さんとしたんです。

  壊滅の国とも知らず地虫出づ
              山田千恵女 「朝日俳壇」4月10日

 山田千恵女さんという、これは朝日俳壇で金子兜太さんが採った句で、金子さんもいい句だと言ってる。さっき花山さんが言った自然に対するとらえ方というときに話をしてもよかったんですが、俳句との問題があるのでこっちで言いますけど、やっぱりこれ一つの典型的なとらえ方で、地上はもう何もなくなって壊滅してしまったよ、だけど地虫はそんなことも知らずにそこからぽっと顔を出すと。今度の災害を自然のものととるのか、あるいは人工のものととるのか、また別の見方はあると思いますけど、それとは別に何とものどかな、穏やかな自然の営みというのは、原発事故とは全く関係ないところで独立して行われて、その二つの対比というのがとても作者には印象深かったという、そういう句ですよね。

 でもこれは、ステレオタイプ的な見方というのがやっぱりあるよね。

花山 今回、震災の俳句を新聞で見ると、「壊滅の国」と変わらない自然、といった取り合わせ、二物衝撃って俳句は言うけどもね、それが非常に多かった。この場合だと、「壊滅の国」っていうふうに言い切っちゃってるわけですよね。で、これはやっぱり見方としては短歌ではちょっと採れない。これはやっぱり俳句の出し方ですよね。

永田 俳句の場合はね、季語がずいぶん時事を詠むのに邪魔をしている。季語を入れないといけない。季語ってのは日本人のもう何百年と続いてきた季節に対する感性で、それは自然讃美ですよね、季語ってね。ところがこういう大災害で自然の恐ろしさを見せられたときに、季語を入れるだけでね、すごい厳しい状況というのが何かほんわりしたものになっちゃうね。これじゃ俳句は詠めないだろうという気はするけど。

花山 やっぱり季語というか、それを入れなきゃいけないっていうことでこうなってるのかしら。

永田 もともと俳句は時事を詠めないというのはあって、上田五千石さんが昔そういう、特に短歌ではいろんな社会的な事件に対応できるけども、俳句ではそんなことは全くできないということを書いたことがあった。幾つかの論争があったんですが、俳句っていうのはどうしても自然と自分の感性を結びつけるところで句を作っていくので、社会的な事件もどこかで自然と関係づけなきゃ詠えなくて、ちょっとむずかしそうに見えますね。

花山 「福島は暗黒大陸桜咲く」という句が朝日に採られていたんですけど、「暗黒大陸」「壊滅の国」っていうふうに言葉だけで断定していいのか、何ていうか、時間が入らないために浅くなってしまうというかな、ちょっとそういう感じはしてるんですけどね。言葉そのものでいっちゃったときに何か取り落とすというような、それが強みでもあるとは思うんだけど。

永田 今回長谷川櫂さんが『震災歌集』という歌集を出しました。長谷川櫂ってのはもちろん俳人です。で、ただ彼は今回、俳句が詠めなかったというんではないんだけれども、なぜか急に短歌が湧き出てきたと。二百何十首でしたっけ。あれについてはいろんな意見があって、歌人の側は大体皆さん厳しい見方をしてるようですね。僕はでもね、俳人が出来は別にして歌を詠むということがおもしろくて、考えるべき意味を持っていると思った。俳句が詠めなかった、あるいは俳句じゃなくてやっぱり歌が出てきてしまったというところがね、今回のこういう切羽詰った災害の時に、自分の思いをどう表現できるのかという問題に行きつくように思います。よく言われることだけれど、やっぱり下七七での感情表現が、よくも悪くも短歌と俳句を分ける最大の違いだよね。

花山 関東大震災のときに釈迢空は、歌では無理だと思って詩を作ったっていう、そういうジャンルの違い、歌じゃのどか過ぎるっていうこともあったようです。今回、俳句のほうから言えば、短歌じゃなきゃっていう人がいる。そうすると文体が変わってくるのかっていうと、長谷川櫂さんのは、ぱらぱらっと立ち読みした限りではちょっと一般的過ぎるような感じはしたんですけどね。短歌の人のほうはもっと微妙に詠んでるというか、典型的じゃなく詠んでる人は多い。だから、あれでいいっていうことであればちょっとどうなのかなと。

永田 完成度は別として、長谷川さんの止むに止まれぬ衝迫みたいなものは僕はとてもわかると思う。僕、実は角川の「短歌」の七月号に今回の震災について歌を作ってくれと言われまして、それでね、これは僕の場合は本当にできなかったんです。どう作っても呑気な局外者の視線から逃れられなくて、苦しんだんだけどできなかった。今の釈迢空とおんなじなんだけど、長歌になっちゃったんですね。これね、最初長歌にするつもりなかったんですけども、歌でね、五・七・五・七・七で一首できちんと言い終えるということが何か今回とても怖れ多くてできなくて、それでわりと長い長歌になってしまった。その反歌がこの歌です。

  ひとりひとりの死者には家族のあることを嘆きとともに思ひゐるべし
              永田和宏 「短歌」6月号

長歌を持ってくればよかったんだけど、とにかく死者何千、行方不明何千、死者何万、行方不明何万という形で数で我々に報道されていくんだけど、ちょうど僕は河野裕子という存在を亡くして、たった一人の死者というのを抱えていくのにこんなに大変な状況にある。何万といって報じられているそれぞれの死者にはみんなそうして堪えがたい思いで持っている一人一人の死者があるんだということを痛切に思ったんですよね。数も、その数の何倍もの僕と同じような悲しみ方をしてる人があるんだということをそのときに痛切に思って、長歌のほうにそういう部分があるんですけども、そういう反歌です。

 今回それで感じたことは、やっぱり俳句は五・七・五で短い。短歌はそれより長い。だから、俳句よりも短歌へいったというんじゃなくて、自分の止むに止まれぬ情がどの辺まで盛り込むことは可能かみたいなところた大きな問題としてあるんじゃないかなという気がしましたね。

歌の力を

花山 最近「河北歌壇」に出た歌で、

  きっと又よい日もあると信じつつ残された孫に行ってらっしゃい
            石巻 阿部敬子 「河北新報」8月14日

このような歌があって。他の歌から察するに、このお孫さんはお姉さんとお母さんを亡くしてるのね。この歌を読んで、胸がつまりました。何か短歌ってやっぱりこういうところあるなあっていう感じはしましたね、すごく。

永田 多分その辺が今回の我々はこういう話をしましょうということになった意味、きっかけだと思うんですけど、花山さん自身はこういう震災とかこういう事件を歌にすることの意味というのどんなふうに考えますか。

花山 その直後にはやっぱり当事者かなというふうに思いますけどね。ただ、だんだん、何ていうんだろう、人間の何か心理の問題というか、気持ちの問題ですかね。こういう後では気持ちが非常に萎えてくるし、社会も変わってくるときにね、つくるということも大事なのかなというふうな感じはしてる。

永田 僕はね、こういうときに自分が直接の被災者であってもなくても、やっぱり作れる人は作ったほうがいいと思ってるんですよ。三・一一と九・一一を並べて詠うというのがまた多くて、同じ十一日だったということもあるんだろうけど。僕ね、九・一一は詠いたいと思わなかった。そのときは僕は俺は詠わないって宣言したんですけどね。何で宣言したかというと、みんなが鵜の目鷹の目であの九・一一という事件をどんなふうに自分の目で切り取ってやろうかという、ある種の物欲しさというか、物欲しげな目つきがすごく嫌だった。

 ただ今回のこういう全日本的な大震災については、僕はやっぱり詠える人はどんどん詠ったらいいと思っています。いろんな事件の記録は歴史として残っていく。今回のことももう事こまかに死者の数も、どこでどういう被害が起こったかもずうっと全部記録として残るんだと思うんですけど、そういう記録に唯一残らないのは、庶民がどんなふうにその事件を受け止めた、感じたかということは、これだけはどの歴史書にもほとんど残らない。「方丈記」みたいなもんですよね。「方丈記」なんてのは変なおっちゃんがいて書き留めたんで、あれも気持ちというよりはルポですから、やっぱりどんなふうに関係ある人、あるいは直接関係した人がこの災害っていうのを感じたのか、庶民がある事件に対してどんな感想を持ってたのかというのは、結局、僕、歌でしか残らないんじゃないかという気がするんですけどね。

花山 今回のことがあって、やっぱりそれぞれの地域、それまでの暮らしとかもわかってきたという部分があると感じますね。

  中学時代の地図帳あけて確かむるまだそこにはない南三陸町
           東京都 西真貴子 「塔」8月号

 こういう、それぞれ非常にそういうものを知りたいと思ったと思うし、やっぱり何か想像力っていうのかな、やっぱり人に対する想像力は湧いてきたと同時に、何だろうな、非常に後ろめたい気持ちもある。要するに、九・一一なんかに関しては、自分が何も言わない後ろめたさとかそういうのはないわけ、全然ない。今回の場合っていうのは、やっぱり気持ちの負担は物すごくある、ショックというかね。それは、詠いたい人は詠うし、黙ってる人は黙ってる理由でもあるというかね。その後ろめたさと風化への悲しみ、そういうものを抱え込んだ場合に、何ていうんですかね、やっぱり全体が変わってくる感じしますよね。

永田 花山さんは、その最も被害を受けた場所の人たちの生の声を日々受け取ってるわけだよね。これは選者としてどんな感じですか。

花山 相当きついです。それで未だに選ぶのはどうしても震災の歌、未だに。もちろん日常の歌も入ってくるんだけども、もう本当にすごいっていうか。だから、朝日なんかは一つ二つそういう、同じ作者のがたまに載ってるなという感じだけど、そういう歌が欄を埋め尽くしてる。そうすると非常につらいですよね。

風化してしまうことを歌にする

永田 僕も一方でね、時間の風化ということをすごく感じるんですよ。今の時代、報道は今放射能のことはどんどん言ってますけども、直接の津波の被害とか、そういう日常生活とかというのはもうどんどん影が薄くなってきている。コマーシャルも一時禁止してたのがどんどん復活してきて、つまんないお笑い番組もまた幅をきかせてきてる、そんな状態で、神戸の場合もそうだったんだと思うけど、やっぱりこれだけの大きなことの事件がほかの事件と同じようにどんどん風化していっちゃうというところを現場の人たちがどう考えるのか、あるいは現場の歌を日々選んでいる花山さんなんかはどう考えるのか。「河北歌壇」というところがこれから一年二年全部が震災の歌で埋め尽くされるとはなかなか思えないけども、どう変わっていくのかな。

花山 ちょっとそれはわからないけども、自然災害ってのはやっぱり風化するでしょうね、文字に残しておかない限りね。関東大震災だってあれほどのことでも、結局は私たちは全然リアルには知らないわけですよね。だから、そのときの歌を見て今わかる部分が非常に多いっていうことですね、呼び覚ますっていうこと。

永田 いつまでもそういう歌を採り続けるというのも一つの態度ではあると思うけどね。朝日歌壇はね、震災の歌をみんな採るようになって投稿歌が減ってきたんですよ。震災の歌でないと載らないみたいにみんな思っちゃって。それで、毎週四千ぐらいあったのがね、三千ぐらいになったんじゃないかな。

花山 だから、河北でもやっぱり顔ぶれがかなり変わって、今まで出したことのない作者がいきなりそういう深刻な状態から初めて送ってくる人がかなりありました。

永田 これを機に歌を始めたというのはずいぶん多いですね。

花山 家族を失ったりして、初めて送ってくる方もありますね。

永田 僕はね、ちょうど花山さんがその現場の選者なのであえて言いたいけど、歌のよしあしはちょっと措いてでも、採れるだけは採っていくという態度はあってもいいんじゃないか。新聞歌壇の役割ってのは、いい歌を採りたいというのは、それは選者としては当然なんだけど、いい歌だけを採るのが新聞歌壇かというのはちょっと疑問があるんですね。やっぱりみんなが一斉にある事を歌いたいと思ったときは、少々の歌のよしあしを超えて、こんなふうに感じてる人があるのか、こんな悲しみを持ってる人もあるのかということをすくい上げていくところに一つの新聞歌壇の役割はあるかなという、そんな気はしますけどね。

これからどう詠っていくのか

花山 自分が詠うとしたら、直接それというより、この何か変わってきたやっぱり自然観なり人の気持ちの変化みたいなところをね、多少、まあごく日常の中から歌っていければなというふうに思いますね。

永田 やっぱり自然に対する見方って変わりましたか。そんなことは投稿から感じられますか。

花山 自然に対するっていうより、何か非常に空気が違う。だから、その辺も東京から北と、南と関西・九州までとは多分空気はやっぱり非常に違うかなという気はするんですよね。

永田 僕もそれはすごく感じて、やっぱり箱根を越えると越えないとね全然違う。今回の東京の節電、あれなんかやっぱり、僕はしょっちゅう東京へ行ってるんだけど、東京へ行ったときの社会の雰囲気と関西で生活してるときの雰囲気と全然違うんです。だから、神戸のとき我々はもうすごく大変だったけど、やっぱり東京の人は、ああ、やっぱりこんなふうに、これ我々が今東京の電力不足を見てるとおんなじようなこれぐらいの感じで見てたのかなあと思うけどね。やっぱり現場性って難しいですね。

花山 時代も社会もどんどんこの先やっぱりこれだけじゃないなっていう感じはしてますよね。それだけの問題じゃない。原発なんかやっぱり大きな問題ですよね、この先。

永田 原発はまだ現在進行中の話なので、これからどういうふうになっていくかわかりません。が、ちょっと最後あんまり変なふうにまとめたくないんだけど、ただ、花山さんさっき言われたことで僕もそう思うのは、やっぱり被害を受けられた方はもちろん大変で申し訳ないけど、僕らとしては今回のことが日本人の自然を見る目とか便利さに対するものとか、社会に対するそういうものの受容の仕方にどんな目に見えない、ゆっくりとした、慢性的な影響を与えていくのかというところはとても興味がある。恐らく花山さんが今指摘したように、自然に対する讃歌みたいなもうちょっとこれからはそんな素朴には出せなくなってしまうだろうということ。そういうことも含めてやっぱり今回のこの震災というものが我々歌を作る人間の感性にも影響を与えていくはずだし、これで影響受けなきゃやっぱりちょっと鈍感だよね、多分ね。そういうところは塔の中でも、あるいは新聞歌壇の中でも、あるいはほかの雑誌でも気をつけていきたいなというところだというふうに思います。

 ちょっと変にすっきりとまとめ過ぎたかもしれませんが、これで終わらせていただきます。

【参考】 *当日配布された資料より

永田和宏 資料

ケータイはつながらないのに充電の残量気になる余震の夜に
  山形市 渋間悦子「朝日歌壇」3/28

大地震の間なき余震のその夜をあはれ二時間眠りたるらし
  仙台市 坂本捷子「朝日歌壇」4/10

ぶしつけな問いにも静かに答えるは父母を波にさらわれし人
  太田市 川野公子「朝日歌壇」4/10

ペットボトルの残り少なき水をもて位牌洗ひぬ瓦礫の中に
 いわき市 吉野紀子「朝日歌壇」5/15

いつ摘みし草かと子等に問われたり蓬だんごを作りて待てば
 つくば市 野田珠子「朝日歌壇」6/12

一葉の写真を洗ふほほゑみの溶けたる叔父を洗ひ続くる
  大崎市 梶原さい子 「99日目」塔東北

線引きに悩みていっさいお見舞いを出さぬと決めし互助会なりき
  福島市 三浦こうこ 「99日目」塔東北

十七年経(ふ)ればテレヴィの向う側が大地震に揺るるを見る側にゐる
     兵庫県 長尾 宏「塔」6月号

ひとりひとりの死者には家族のあることを嘆きとともに思ひゐるべし
        永田和宏「短歌」6月号

壊滅の国とも知らず地虫出づ
     山田千恵女「朝日俳壇」4/10

花山多佳子 資料

生き残りごめんなさいと言ふ祖父に強く頭(かぶり)ふるテレビを見つつ
 大崎市 西村登喜子「河北歌壇」5/8

三陸はほぼ壊滅とラジオからその大津波階下に来てる
  石巻市 木村 譲「河北歌壇」6/12

ミニカーを並べたる後寄せ集め津波が来たと幼子遊ぶ
 仙台市 照井眞知子「河北歌壇」6/12

ひとりまたひとり増えゆく夏至の路地「被災証明もらへるさうよ」
 宮城県 根本由紀子「河北歌壇」7/31

百万分一の単位の増幅を恐れて避難する人の群れ
     岐阜県 武藤良介「塔」6月号

勿来の関復活せしやここ越えて我が町に来る物資少なし
    いわき市 吉田健一「塔」7月号

満腹感味はふことはいけないと息子の言ひてピザを切り分く
     茨城県 大塚洋子「塔」7月号

みどり児の家内にひびく泣き声を被災情報重く圧する
     北海道 原田 直「塔」7月号

中学時代の地図帳あけて確かむるまだそこにはない南三陸町
     東京都 西真貴子「塔」8月号

アイディアを思いつくたび高ぶりて首相官邸にメールを送る
      秋田興一郎「短歌人」7月号

日清日露大戦集団就職原発東北部隊は常に前線
       八木博信「短歌人」7月号

ページトップへ