短歌時評

再び、相聞の火照りを / 大森 静佳

2015年2月号

 若手歌人による同人誌が思いがけない盛り上がりを見せている。各大学短歌会機関誌だけでなく、「pool」、「率」、「中東短歌」、「一角」、「はならび」、「羽根と根」、「穀物」など、さまざまな垣根を越えて同人誌が続々と創刊され、その熱気はすさまじい。かつては同人誌を立ち上げても、どう継続していくか、どう流通させるかという問題があったが、今は文学フリマという場がある。文学フリマは、小説や評論、詩歌などあらゆる文芸を扱う同人誌の展示即売会。現在は東京で年に2回、大阪で年に1回のサイクルで開催されている。先に挙げた同人誌を始め多くの短歌同人誌が出店し、SNS等による宣伝効果もあって歌壇内外に多くの読者を獲得している。

 
  老いてわれは窓に仕へむ 鳥来なばこころささげて鳥の宴を
               小原奈実「穀物」創刊号
  雨宿りみたいにあなたは抱きにくる雨が何かは聞けないけれど
               上本彩加「羽根と根」創刊号
  バルテュスと言うとき尖るくちびるの尖りが良くて木々の濃くなる
               山城周「外大短歌」5号

 
 文語を巧みに操る小原の歌は、修道女のような不思議な静謐さが一首に満ちている。上本は恋の昏い痛みを捉える。「雨宿りみたいに」はよくわかる喩で、さらに下句の複雑な距離感が切ない。三首目の山城は、画家の名前を身体感覚に繋げて面白い。唇の尖りや木々の濃さへの眼差しは、バルテュスの世界からの反射でもあるのだろうか。いずれの歌からも、言葉の熱がひしひし迫ってくる。

 
 特に、「羽根と根」2号の阿波野巧也の五十三首「singin’ in the rain」は圧巻だろう。

 
  きみが花をきみの視界で見てるからぼくは手を握っているだけだった
  奪ってくれ ぼくの光や音や火が、身体があなたになってくれ
  あなたのためのぼくでいたいよ夕暮れの singin’ in the rain とめどない

 
 いくら想っていても、恋人の視界は恋人のもの。自分はその視界に映る花の尊さを感じながらただ手を握っていることしかできない。「奪ってくれ」や「あなたのためのぼくでいたいよ」に二人が一体となることへの祈りと絶望があり、口語による呼びかけが痛切に響く。この身も世もないほど甘くまっすぐな魂乞いが今、かえって新鮮だ。

 
 現代ではほぼ重ねられているが、もともと、呼びかけを意識した相聞と自分の心理を独白する恋歌は微妙に違う。阿波野の歌は、単に恋の歌と言うよりも相聞歌の源に立ち戻るかのようだ。「白藤のせつなきまでに重き房かかる力に人恋へといふ」(米川千嘉子『夏空の櫂』)、「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」(吉川宏志『青蟬』)、「本当に愛されてゐるかもしれず浅ければ夏の川輝けり」(佐佐木実之『日想』)など、八〇~九〇年代初頭には、自然の輝きを見据えながら愛の歓びや不安をみずみずしく肯定する歌が多くあったが、その後恋の歌は長い停滞期に入る。時代や経済の渇きの反映かもしれないが、醒めた視線で心理の襞や屈折を詠んだものはあっても、相聞歌という大きな主題は、ここ二十年ほどの口語の開拓に置いてけぼりを喰らいかけていたと言ってもいい。

 
 その点、阿波野の歌にはむしろ米川や吉川、佐々木らの歌に通じるまっすぐな愛の肯定感がある。火照った、紛れもない「相聞」なのだ。先行する相聞歌の方法に学びつつ、ポップでしなやかな口語を取り入れて、斬新な文体を生み出すことに成功している。こんな大らかで体温の高い相聞歌をもっと読みたいし、自分でも作りたいと切実に思う。

ページトップへ