八角堂便り

走りはじめて… / 山下 洋

2014年1月号

八角堂便り 第六十一便

 今日は十一月二十三日、例年なら福知山マラソンの日。今年は台風一八号
のため中止となってしまった。日程的にもコースも気に入っている大会なの
で、とても残念。そろそろ新音無瀬橋を過ぎて、由良川の右岸を北上している
頃かなあ、などと時計を見つつ思ってしまう。いつも沿道で給水や給食、応援
してくださる皆さんはご無事でいらっしゃるだろうか。

                *

 そういえば、走りはじめたのも台風がらみだった。観測史上もっとも遅い
本土上陸となった一九九〇年の台風二八号。十一月末日だったと思う。暴風
警報の解除が午後となり、休校に。同僚で、マラソンに出ている人たちに、
一緒に走らないかと誘われて、一時間ほどのジョギングに付き合ったのが
きっかけとなった。短歌をはじめたのも、故工藤大悟君に誘われてだった。
それにしても、みずから選ぶのではなく、つねに誘われてはじめる人間だと、
つくづく思う。

 第一歌集のあとがきに「’90 年頃、色々な面でスランプに陥っていたとき、
ふとしたはずみでマラソンを始めました。〈距離〉や〈時間〉に対する体性
感覚が変化していくうちに、確かに何かがふっきれていました。」と書いて
いる。歌も作れなかった。九〇年十二月号年間回顧の作品総覧(当時は会員
が少なかったので、一年間の出詠数が発表された)では、年間わずか二二首。
走りはじめて、体性感覚は間違いなく変わったと思われる。光や風や鳥の声が、
〈体感〉となって、身の裡に伝わることもあるようになった。当時編集委員
だった横田俊一君から「山下は歌を作るために走っている」と言われて、
そんなことはない、と思ったのだが、案外に的を射ていたのかもしれない。

 それまでは、世界と〈向き合っている〉という意識が強く、身構えすぎて
いたのだろうか。あまりにも観念的に捉え、抽象化して理解しようとしていた
のかもしれない。歌をはじめて間もなくの八一年二月号、田中栄・光田和伸
両氏による作品合評で拙作〈銀河とは雨に濡れたる石だたみこの路地満たす
闇に抱きあう〉を取り上げていただいた。田中さんは「面白いのだが、気持の
上で不満がのこる。即ち、恋愛的な心情より趣向の方が先に立っているという
感じがする。(中略)序の工夫の方に中心がいってしまい、感動が稀薄に
なっている歌に似ていないだろうか。」と述べ、最後に「歌の本質的な苦労
を望みたい。」と書き足して下さった。ともあれ、走ることが、世界を朴直
に見る方向へと後押ししてくれた。少しは、田中さんにお応えできただろうか。

             *

 台風の襲来から二ヶ月。氾濫した由良川流域の復旧は進んでいるのだろうか。
来年の大会が無事に開催されることを祈りつつ。

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