八角堂便り

田舎暮らし断簡―歌の底ひ⑥ / 池本 一郎

2014年2月号

八角堂便り 第六十二便

  食卓の紅茶に蜂が来て嘗(な)むる息づき速き腹が見えつつ   高安国世

 『砂の上の卓』所収。戦後わずか十年ほどの作品だが、明るい透明感があり、下句がリアル。庭での飲食も珍しく、ハイカラでもあり、一読すぐに惹かれる。次作に「幾度も紅茶にかよう蜂」、とある。この蜂は蜜蜂の感じがする。

  夕つ日が西に傾くころおいに蜜蜂はまだ皐月をのぞく   柳澤桂子

 『四季』の歌。これは勤勉な、夕方までサツキの花をのぞいて働く蜜蜂。蜂は身辺に多く歌も多い。「ハチがとまったことを知らずに十分間静かにハチは遠くへ行った」永田櫂(「塔」十月号)。

 蜜蜂が短い一生に集める蜜の量はティースプーン一杯に満たない!
 と知った。びっくり仰天。ホントか、一生の長さは?これは放っとけない。

 秋天の人形峠をこえて一時間弱、津山市に近い鏡野町へ走った。山田養蜂場を探訪。屋根にソーラー設備を設えた本社。工場・研究所が並ぶ。案内され、話を聞き、その十倍も聞き返した。
 巣箱は約四千。各二万五千匹。構成は女王蜂(一匹、ローヤルゼリーだけの餌で五年の寿命、体格は三倍)、雄(三百匹、全く役立たず)、雌(働き蜂、四十日の生命)。冬期は蜜を召し上げる代わりに人工餌を与えるが、蜂の数は半減する。女王蜂は働き蜂と同じ蜂。一度の交尾(巣箱外の雄と)で毎日千二百の有精卵を一生産み続ける。働き蜂は約五kmの範囲を十数回往復。一回の採蜜飛行で五百もの花を訪れ、四〇mgの蜜を持ち帰る。

  菩提樹の蜂蜜を買ふ我らが列一人二瓶と後ろより声す  川本智香子

 「塔」九月号、ウラジオストクの旅の歌で「菩提樹の蜂蜜」に注目。蜂は蓮華や栗や、決まった単花から採蜜する。なぜか、女王蜂の命令でもなく、謎。
 驚きは多々ある。人は一生分の蜜をペロッと一口だ。知ってどうするわけでもないが、せめて頂きますと言おうか。

  網の外へ逃げ出したれどメンドリはさりとて他に行くあてもなし
                        『やさしい鮫』 松村正直 

 網(金網か)から出た鶏がどこにも行かないと歌う。平明だが「行くあてもなし」は複雑さを伴う。家畜は本来、人と共に暮らす。遠方に去れない。その悲哀か。または人間の自由と行動の批評か。
 それと一つ私的だが、「逃げ出し」た表現について熟考したい。偶然、鶏は外に出た。動物は動くもの。じっとしているのは余程おかしい。鳥が飛ぶとき魚が泳ぐとき「逃げる」とよく人は言う。

 少し前の海外こぼれ話。|ユタ州で蜜蜂の巣箱を数百個積んだトラックが横転、二千万匹の蜂が「逃げ出した」と。蜂は飛ぶだけ、脱出の意味はない。
 「逃げる」は人本位に拡大した。鶏の歌は幸いこの言葉が下句によく合った。

  横転のトラックより豚ら駆け去りぬニュースは報ずみんな逃げたと

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