八角堂便り

「雑記帳」より / 小林 幸子

2014年7月号

八角堂便り 第六十七便

 松本竣介が編集した「雑記帳」という雑誌がある。昭和十一年十月に創刊され十二年十二月まで、十四冊刊行された。
 創刊号には宮澤賢治の遺稿となった童話のほか、林芙美子の詩や武田麟太郎、高見順のエッセイなどがある。二号には佐藤春夫や萩原朔太郎、島木健作のエッセイなどを掲載、松本竣介のエスプリのきいた編集後記とデッサンも愉しい。

 三号に岡本かの子の「晩秋初冬のベルリン」という談話筆記があり興味深い。
 「ベルリンの街路樹は殆ど菩提樹(リンデン)の並木です。その主街がウンター・デン・リンデン、つまり菩提樹の下の街といはれてゐるくらゐですから、ベルリンと菩提樹との関係がどんなに深いか分かります」と語り始め、颯爽として直立的な枝や幹、細かくて単純な形の葉が、独逸人の几帳面な性格に合っていると分析する。十月半ばから街路樹が黄金色の線になり、町の中心にあるチーヤ・ガルテンに集まり森が金色に盛り上がるという。

 「チーヤ・ガルテンはベルリンの真中に何故あるかといひますと、遊楽までを実利的に、科学的に結びつけなくてはおかない底のドイツ民族の、市に対する衛生思想から造られた公園であるからです。市民がその樹間に来て遊び楽しむばかりでなく、樹木の葉から発散する酸素を、空気によつて不断に自然供給を市民にするためださうです」とチーヤ・ガルテンにドイツ人の民族性を観察する。

 晩秋の風が吹き、リンデンの葉を散らし、黒い枝の背後に立派な厳めしいベルリンの建物が現れ、硝子張りのように空が澄み渡る季節をかの子は「寂しいといひきれない、何か明るい寂しみでありながら、しかも何か永遠の寂しみといふやうな、スケールの大きい、漠然とした秋思に人々を耽らせる」と詩的に描写する。

 「雪が降りはじめる。粉雪です。…私たちは深い長靴を穿いて歩いてゐました」と冬のベルリンをゆく自らの姿を語りながらふいに口調が変わる。
 「さうしたベルリンでヒツトラーは叫んでゐるのよ。昨今はどうか知らないけれども、ヒツトラーの演説する会場へ行つたらば、椅子や卓子がちつとも動かないのよ。どうしたのかと思つてごちごち動かして見たのよ。さうしたらね、釘づけになつてゐるの、全部。ヒツトラーが確立する一寸前だつたので、ヒツトラーを取り巻くベルリン市民は、良い意味にしろ悪い意味にしろ非常に興奮しやすくて…」とヒットラーの演説会場へ行った体験を興奮気味に語っている。

 会場を出ると、雪の街上に子供達が遊び、楽師たちが楽器を鳴らしつつさまよい、市場帰りの女たちが野菜や魚を持ち運んで行く光景に出合う。
 かの子が一家で渡欧したのは昭和十四年のことだ。その頃ベルリンに行き、ヒットラーの演説を聴いたのだろうか。

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