短歌時評

東日本大震災から二年 / 梶原 さい子

2013年5月号

 東日本大震災から二年が過ぎた。が、震災を表現することについて、未だまとめきれない違和のようなものがある。ありながら、被災地での身めぐりを詠ってきた。
 震災から半年後、高木佳子の「誰もが当事者として」(「歌壇」H23.11)という論が話題になった。これによって、詠うことの迷いを軽減できた歌人が随分いたと思う。(まさに、被災圏からの当事者性によって。)そして、これは今回詠う態度の一つのスタンダードとなった。が、この問題は今も深々と横たわる。当事者にならざるをえなかった者と、なろうとした者。一方で、なれない者もいる。

 「短歌研究」一月号に、五島諭の「震災の言葉考」がある。ここでは、塔の東北に関わるメンバーが作った『366日目』を踏まえながら、当事者性についての逡巡が語られている。「歌を作っていて震災に関係するようなことに触れようとすると、決まって、これはやめておこうという抑制が働くのだ。」

 今回、このように感じ、詠われなかった言葉が多くあるような気がしてならない。「やめておこう」――それは、詠うことで起きる何らかの作用を、抑えようとする心の働きだ。

 ひとつには、詠うことが現実的な意見の表明になってしまうことがあった。震災後、「分断」が非常に大きな問題になっている。本当に根深い。そこでは、当事者だと表明すること自体が、真にヘビーな当事者を傷つけることもあった。一方、文学は、ツイッター等の活用ともあいまって、今までにない現実との近接の仕方をした。作品が現実的表明としても働き、傷つく人をも生んだ。

 無意識のうちにも立ち現れる、歌が誰かに及ぼす暴力性にとても注意深くあったことが、詠えなかった理由のひとつであろう。そのとき、「誰か」の中心にいるのは歌人ではない。

 さて、五島の考察は続く。
「『私性』をめぐる困難が働くのは、今回の場合、究極には、もっとも被害を受けた人だけしかほんとうの当事者として歌うことができないという意識が働くからだ」「当事者とはもっとも被害を受けた人、つまり結局のところ死者だけだということにならざるをえない」
このような区分は、佐藤通雅も早くに指摘しているところだが、現実的には、死者が私たちの作った歌を読むことはない。しかし、死者への大きなためらいはある。それは、死者に歌の言葉が伝わってしまうと感じるところから生まれる。つまり、歌の持つ言霊的な力が相当に意識されたということだ。それを自覚しての鎮魂の歌も多く作られた。一方、ためらいを生むものとしても働いたのだ。今回の場合の当事者性とは、現実的な観点に加え、そのような言葉の力をどう捉えた自分であるかという問いをはらんでの表明とならなければ、不完全だったのではないかと思うのである。それは、歌が「挽歌」というジャンルを根本に持つ、五音七音の詩型だからこそなおさらだ。無論、倫理的に正しいものを詠えとか、鎮魂歌をということではない。

 「短歌」三月号では、篠弘が「当事者となりきるまでには時間が掛かる。身構えないで詠みつづけていこう」と述べている。なるほど、ゆっくり当事者になるという方法もあるのかと思いつつも、一方で感じる。「当事者」の解釈に関しても分断が起きているならば、苦しいのなら、ならなくてもいい、あくまで周辺にいるのだと捉えることでいつか生まれうる言葉もあるのなら、それでもいいんだと。それは、被災地から遠い者にも、直中にいる者にも当てはまることだ。

 言葉にならない言葉がたくさん沈んでいる。それをも含んだ震災の歌とできないか。
 震災後三年目が始まる。

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