短歌時評

高校生の短歌より / 梶原 さい子

2013年4月号

 東洋大現代学生百人一首の入選作が発表されている。応募総数五四一〇七首。
そこから百首が選ばれた。授業の中で「作らされ」ての団体応募が多いのだろう
が、それにしても、五七五七七の形式に触れる貴重な機会である。

 今回は、この事業が二十五年目を迎えたということで、フォトブックも作成された。
今までの入選作に写真を取り合わせたものだ。この形式の本は他でも出版されて
いるが、写真も写真部の学生達が撮ったものだというところに特色があろうか。
フォト短歌は、高校の文芸部などでは結構前から行われている。

  どれほどの人が悩んで青空を見上げたのだろう高三の秋  佐原高・近田依子

 この歌に合わせてあるのは青空の写真だ。歌を読み心に広がっている空のイメー
ジが、写真を見ることで強化されるパターンである。

  日本史の講義で熟睡してる間に何百年も時間がすぎる
                       文化女子大付属杉並高 廣田涼子

 こちらには熟睡する学生の写真。つまり、下句の「何百年も~すぎる」の部分を写真
は表していない。だから、目前の姿を見つつ下句を味わわねばならない、引き裂かれ
るような感覚が生じる。ただ歌を読むより制限が働く。

 そもそもは、言葉のみで世界を立ち上げるのが短歌なのだが、何かとの取り合わせ
もなかなか素敵だ。様々な相乗効果を楽しめる。このフォトブックは、普段から携帯
電話でばしばし写真を撮ってはコメントを付けて保存している高校生たちにももちろ
ん好評だった。
 さて、一方、二月二日土曜日午後、宮城県の小牛田(こごた)農林高校で短歌の
交流会が行われた。相手は、宮城第一高等学校。両校は、昨年の第七回全国高校
生短歌大会(短歌甲子園2012)の優勝・準優勝校だ。十七人が参加。

 形式は、短歌甲子園にならっての題詠。ただし、勝敗は決めず、疑問や解釈を出し
合う。誘われ遊びに行ったのだが実に面白かった。驚いた。ほぼ初対面で緊張して
いた子達がみるみる打ち解け、コーラを飲み菓子をばくばく食べ、寝そべり、大笑い
しながら歌を作り語る。まさに祝祭。古代の「歌垣」を連想させる、ひらけつつ深まっ
ていく雰囲気があった。それは、部員達の気質に加え、六十畳の畳の部屋が会場だ
ったことと、やはり、短歌での交流だということが大きい。短歌は一人ずつの小さな
ドアだ。そこを手がかりに入っていける。一人で歌を作り味わうのも良い。が、同時
に、歌のこのような特性を活かす楽しみ方がもっとあってもいいと感じた。

 さて、もう一つ驚いたことがある。それは、自然を詠み込むことについてである。

  ぷかぁりと浮かび流れる鴨の群れ我もまぜろと川原に走る 宮一・江刺陽名子

 この「流れる」に感心した。鴨が川をゆるやかに流されている時がある。そんな風景
を彼女はしっかり見て心に捉えていた。

 この、自然への感受性は、この子達の持ち味でもある。昨年の短歌甲子園でも、

  幼き日水路で泳ぐ蛙(びっき)いて膝まで入れてすくい囲った  農林・及川雄輝

という歌が注目された。それは、今の高校生の歌として稀少だという意味だ。

 また、みんなにこれから何を詠んでいきたいかを訊いたところ、「自然」と答える子
が多くて、これにも驚いた。ちなみに、知っている歌人を尋ねると、教科書に載る数人
のみ。知っている歌を訊くと和歌が出て来た。だからこそ、生まれる志向、生まれる歌
もある。

 短歌が今後、残って行くか、どんな形で残っていくのかということを不安に思う意見
も目にするが、そのキーのひとつは、子ども達だと思っている。彼らの歌や姿から改
めて照り返されてくる短歌の豊かさが確かにある。

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