短歌時評

文学と経済活動 / 川本 千栄

2012年8月号

 六月十日、現代歌人集会春季大会で関川夏央氏の講演「青年・啄木の明治四〇年代」を聞いた。貧窮の内に亡くなった薄幸の歌人とも、浪費家で借金魔とも形容される啄木。その彼を、文学者としてと同様、生活者として経済的な面からも追求した講演だった。
 
 関川は、明治の文人達を群像として描き出す。森鷗外・夏目漱石を「鷗外先生」「漱石先生」、石川啄木を「石川君」、と軽快に呼びなし、百年前の明治人をあたかも同時代人であるかのように活写するのだ。
 
 関川によれば、明治二十年代頃を転機に、文学と経済活動は結びつき始める。新聞小説によって、文学で食べることが可能になり、文学が今でいう「ベンチャー・ビジネス」のように捉えられ始めたのだ。
 
 その日の講演は、関川の近著である『一九〇五年の彼ら』(NHK出版新書・二〇一二年五月)が下敷きになっている。関川は日露戦争の日本海海戦の勝利の年である一九〇五年(明治三十八年)を、日本が国民国家のピークを味わった年と位置づける。そして十二人の著名文学者を一九〇五年とその晩年の二つの時点で描き出し、文学者その人の人生と日本という国の命運とを重ね合わせている。 
 
 特に印象的だったのは藤村と啄木だ。それは彼らが文学と経済の問題を強く考えさせるからであろう。
 
 島崎藤村が、文学は「事業」と思い定めて、妻子を貧窮の内に死なせながら、成功を追い求める姿は凄まじい。特に明治三十九年の『破戒』の出版形態が自費出版だったというのが面白かった。借金をして出版した本で、藤村は経済的成功を収めたのである。
 
 また、やはり困窮する家族を尻目に、せっかく借金した金を無目的な遊びに費やす啄木は、昨今の買い物依存症の患者を彷彿とさせる。江戸時代とは比較にならないほどの貨幣経済が僅か二・三十年のうちに浸透した結果、明治人の中には、カネというものを使いこなせないまま、資本経済に魅入られるかのように墜ちていった者も少なくなかったのではないか。啄木らは文学者だったから、それが記録として残っているのだろう。
 
 現在、小説はさておき、短歌は全く経済活動としては体を為さない。自費出版で経済的に成功するなど空想にもならない。「生業」を持たず、短歌のみで生活している「歌人」は数えるほどしかいない。
 
 加藤治郎のエッセイ集『うたびとの日々』(書肆侃侃房二〇一二年七月)には歌人と会社員、さらに家庭人として生きる日常が描かれている。
 
 〈小説家の小嵐九八郎さんは、短歌結社の先輩なのだが、いつも「じろちゃん、そろそろ文筆一本にしたら。なんとかなるよ」と誘惑する。心が動く。でも、なかなかこつこつの世界を打破できない。〉
 
〈創作と仕事と家庭と三つ生きる。そう力むことはない。1+1+1で3にしようと思うと苦しくなる。3つ合わせて1でいいじゃないか。〉
 
 ニューウェーブの旗手として現代短歌の最前線を歩いてきた加藤治郎でも、やはり短歌で食べているわけではないのだ。さらに自分のことを言えば、私自身が文学で食べられることなど有り得ないし、考えたことも無い。私の周り
の短歌作者もそれで食べている人は一人もいない。
 
 明治時代と今では時代が違うと言ってしまえばそれまでだ。しかし経済的成功をがむしゃらに追い求めた啄木らの姿は、現代の歌人が文学で食う事を放棄していることを思い出させ、その是非を問うているように思えたのである。

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