短歌時評

「六月号」の震災詠を読む / 川本 千栄

2012年7月号

 六月号の各総合誌の歌を読むと、東北の震災から一年、という視点を感じる。これは六月号の締切が三月であり、各作者が一年後の感慨を持って歌を詠んでいるからだろう。

 だが震災から一年、などとまとめ出すと、出来事を過去に結びつけることとなろう。八月になれば総合誌に戦争の歌が並ぶように、一年に一度しか震災を回想する月が来ないようになるのだろうか。そうした風化は起こって欲しく無い。過去を振り返る視点ではなく、現在形で詠っていくべきだと強く思う。

 震災は未だ終結していない。余震、瓦礫処理問題、生活の復興、放射能汚染、原発。全てが未解決なのだ。そんな中で追求できる当事者性とは何か。現地性を貫くのか、あるいは誰も逃れられない放射能問題を扱うのか。各自立ち位置はあろうが、現在私が最も興味を持っているのは、人間が共通して持つ、心の醜さという観点である。

 「塔」五月号のこの欄で私は、高野公彦の「売上げの一〇%を義援金に、などと誘ふ春スキー場」という一首を挙げて、復興を願う気持ちに付け込む商魂、という言葉で評した。高野が切り取った人の心の醜さは、震災によって顕わになったように思えるのだ。

  復興特需とふ雑踏の熱つぽく先づ経済が立ち上がるなり    
                    渡英子「歌壇」

  朝よりヘリコプター飛びマラソンに湧く東京のすこし恥づかし 
                    栗木京子「短歌」
  「復興のために」は免罪符であるか薄日差す空すこし恥づかし

  「福島のお母さんに」といただきし百キロのヒノヒカリ分配す 
                    大口玲子「短歌」
  「福島の人は居ませんか(福島でなければニュースにならない)」と言はる

 総合誌六月号の誌面から五首挙げた。一首目の渡の歌は先に挙げた高野の歌と同じテーマを扱っている。この歌では「復興」という言葉にそれほど否定的ニュアンスは感じられないが、「特需」と言い切った言葉の強さに共感する。ある人々にとっては未曾有の災難なのだが、ある人々にとってそれは「特需」、つまり経済的「好機」なのである。

 二首目の栗木の歌の詞書は「二月二十六日(日)第六回東京マラソン」。復興という言葉を免罪符にして、イベントにはしゃぐ「東京」を栗木は恥じている。二・三首目は全く同じ結句で、感情語をそのまま使っているのだが、栗木のように本来技巧的な作家が、わざわざ感情語を投げ出して使っていると、それが逆説的な修辞に思えてくる。

 大口玲子は震災後、仙台を去り、息子を連れて宮崎へ移住した。放射能禍を恐れてのことである。
 四首目の詞書は「震災後宮崎へ来た避難・移住者の会あてに、寄付や様々な支援の申し出をいただく。」である。おそらくそうした支援は「美談」と捉えられ、地元のメディアが取材に来たのだろう。それら取材者の発言に作者は嫌悪感を抱き、それが五首目の歌の破調となって表れている。被災者のために取材しているはずなのに、(福島の人でなければ…)という本音を作者に見破られている取材者は、移住者の問題を我が事と捉える視点に欠けている。国土の一部が人の住めないほどに汚染されたという事実がなぜか全くの他人事で、自分の記事のネタになるかどうかだけにしか関心を寄せられないのだ。

 移住者イコール弱者として、好意を受けるしかない立場の作者は、しかし何も見逃していない。人間の醜さを抉る筆致の鋭さ、そして腹の据わった詠いぶりが清々しい。
 震災が焙り出した人間のマイナス面から目を逸らしたくない。短歌は、それを映し出す鏡の役割を果たせるのではないだろうか。

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