八角堂便り

歌会について / 栗木 京子

2015年1月号

 「塔」ではこのところ支部が増えており、各支部の歌会記を読むと十名前後のところから三十名を越えるところまでさまざまだが、定期的に歌会を開いて、活発に会員相互の交流をはかっているようである。選者派遣制度も続いている。

 
 歌会の意義は「塔」では繰り返し論じられ、永田和宏の「結社とはつづまるところ選歌と歌会」という言葉はよく採り上げられる。永田の著書『作歌のヒント』(NHK出版)にも「歌会のすすめ」と題した項目がある。このように盛んに行なわれている歌会だが、単に習慣的に続けるだけでなく、より充実した場になるよう工夫したいものである。

 
 そこで、三つのことを提案したい。

 
 ①「わからない」を怖れない
 たいていの歌会では、それぞれの作品について、まず一名ないし二名が(多くは席順で)発言する形式をとっている。このとき、うまく批評できそうにない歌が当たることがしばしばある。萎縮して口を閉ざしてしまう人がいるが、「わからない」ことを怖れないでほしい。大切なのは「どこが読み解けないのか」「どこに疑問をもつのか」などを表現に沿って具体的に述べることである。知ったかぶりをして無理やりな解釈をするより、むしろ深い鑑賞に届くことがある。知らない固有名詞や出来事が登場したときも、少しも恥じることはない。歌会は研鑽の場なのだから、知らないことは尋ねて、覚えようとすればよいのである。

 
 ②聞く耳をもつ
 遠慮して黙ってしまう人は困るが、それよりも悩ましいのはしゃべりすぎる人である。対象となっている歌と関係のないことを話すのは論外だが、そうでなくて、きちんとした批評をする場合でも、特定の人がほぼすべての歌に対して挙手して長々と発言するのは、けっして好ましくない。皮肉なことに、その発言が的確であればあるほど場の雰囲気が閉じてゆくのを感じる。「せっかく出席したのだからいっぱい発言しよう」と意気込むのはすばらしい。ただ、その目標が達成できたら、次は「せっかく出席したのだからいっぱい聞こう」と考えてほしい。私も選者として、あまり語りすぎないよう心掛けている。結社の歌会はカルチャー講座とは違う。バランスよく皆が意見を出し合うことが望ましい。

 
 ③傷ついてタフになる
 島田修三の『短歌入門』(池田書店)には、歌会について「きびしく批評されてもあたりまえ、否定されて傷つくのが当然なのだ、という覚悟」の重要性が説かれている。酷評や否定はつらい。だが虚心に耳を傾けてみよう。その上で、他者の意見は取捨選択すればよいのである。選者の批評だからといってすべてを受け入れる必要はない。自分の歌は、自分のもの。タフになりましょう。

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