八角堂便り

百人一首の調べ / 小林 幸子

2015年3月号

 二月八日の滋賀歌会は、近江神宮で百人一首をしたという。一昨年の東北歌会でも、梶原さい子さんの実家である早馬神社の大広間で、歌会のあとにかるた大会をして盛り上がった。

 

 娘の子供たちの通う小学校では一年生から百人一首を暗誦させているらしい。「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」と小野小町の歌を唱えたりしている。意味がわからなくてもいいのだ。歌のしらべが自然に身体に記憶されてゆく。

 

 私たちの世代は、正月には家族で百人一首という家も少なくなかった。私の場合も、学校で啄木や子規の短歌を習う以前に和歌の調べや言葉になじんでいた。文語文法もなんとなくこういう言い方をするのだと覚えていて歌に使ってみたりする。百人一首が私の歌の内在律になっているのかもしれない。

 

 短歌を「五七五七七」の三十一字という枠にあてはめてつくると歌は硬直し、その可能性をそがれてしまうだろう。

 

 百人一首は先にあげた小野小町の歌も含めて、百首のうち三十首が字余りの歌なのである。

 
  めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな  紫式部
  田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ  山辺赤人
  小倉山峯のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ     貞信公
  人も愛し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は    後鳥羽院
  忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな      右近

 

 初句が字余りの歌は地名などもふくめかなりある。「田子の浦」の歌は初句、第二句が字余りだが調べは滞らない。第三句の字余りはあまりない。もっとめずらしいのは第四句の字余りである。後鳥羽院の鬱屈がそこに表れているようだ。右近の歌は「惜しくもあるかな」という八音の結句にひたすらな恋の嘆きがこもる。

 

 ところで百首のなかに一首だけ不思議な韻律の歌がある。

 

  今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな  左京太夫通雅

 

 二句、三句合わせると十二音だから字数は過不足ない。だがこの切迫した気息は他にはない。左京太夫通雅という人は、いろいろな姫と浮名をながす評判のよくない青年だったらしい。それが前斎宮の当子内親王と本気の恋愛をした。当然ながら内親王の父の三条院に引き裂かれ、この悲鳴のような歌を詠んだのだ。百人一首に秘められた物語も興味深い。

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