塔アーカイブ

2013年5月号

座談会「高安国世の歌を読む」
 
    参加者:藤田千鶴、山下裕美、永田淳、吉田恭大
 
藤田 それでは、高安国世の生誕百周年「高安国世の歌を読む」の座談会を始めたいと思います。まず、作品を初めて読んだときの印象について伺えますか。
 
山下 私は二〇〇三年に入会したのですが、当時古くからの会員の方が、昔の塔の歌や高安先生の編集後記などを紹介する「塔クロニクル」という連載がありました。それを読むうちに歌と人柄が一緒に入ってきた感じです。どちらも端正な印象を受けました。
 
永田 僕は初めて読んだのは多分二十代なんですが、初めは前衛的なところは読まなかったので、『真実』とかあの辺の歌をパラパラというぐらいのことだったので、あまりピンと来なかったというのが正直なとこですね。ただ、今になって、子育ての歌、まあ自分自身がその時期にありますので、その辺の歌が今一番おもしろいかなと思って今は読んでます。
 
吉田 僕はこれまであまり読んできたことがなくて。アンソロジーでもモノによっては載っていないんですよね。
 
永田 一般に売ってるアンソロジー?
 
吉田 『現代の歌人140』には載ってないですね。同じ時代でも近藤芳美に比べたら影が薄いというか、最初はあんまり視界に入らなくて。「塔」に入会したのと、あと『高安国世アンソロジー』がきっかけで読み始めました。中期の頃が好きで、ずっと読んでいます。
 
藤田 私は二〇〇七年から、山下裕美さんもそうなんですけども、「高安国世を読む会」というのを古い会員の方たちと一緒にやりまして、二年半くらいですね。その後、昨年一年間「高安国世を読む」という連載をそのメンバーで月に一歌集二人ずつ書いて、ということで関わったんですけども、二〇〇三年に初めて書いた評論が「高安国世 窓から見ていたもの」でした。そのときは窓というモチーフを追いながら読んだのですが、いつもメッセージをキャッチしようとしている人だなという印象がありました。
それでは、さっそく作品をみていきたいと思います。皆さんがいいって言う作品をあげてきてもらったのですが、今日はなるべくフレッシュな気持ちで作品に向き合いたいと思います。まずはフレッシュな吉田さんからお願いできますか。
 
吉田 いいなと思ったのはやっぱり、『街上』から『朝から朝』のあたりです。前期の作風にあんまりピンと来なくて、僕がアララギ的な感じにちょっと乗れないというのもあるんですけれども。中期の作品には都市が多く歌われていて、例えば鳩、ビル、車といったモチーフを使って、都市の中で抽象性を立ち上げているところが好きです。
 
  鉄骨のかぎる一劃一劃に予感の如き夕映がある         『虚像の鳩』
  ここばかり不思議に人の絶えながら風吹きぬける0(レイ)番乗場 『虚像の鳩』
 
 わりと情感がドライなんですが、そこにうまく観念を乗せているのがいいなと思って。後期からはだんだんその方向から外れていくんですけれど、僕にとっては『虚像の鳩』くらいの距離の取り方が一番心地よかったです。
 
永田 まあ正直に言いますと、『街上』の中盤ぐらいから、『虚像の鳩』、『朝から朝』に連なる前衛に傾倒していったというか、影響を受けた感じのところはあまり実は評価しなくって。表現主義に陥ってて、生活実感、さっき吉田君がドライな感じというのを言ってたんですけれども、そのドライさというのは逆に言うと、何て言うかな、自分の実感から離れたところで作ってる感じってのが非常にするわけなんですね。
例えば、僕もちょっと気になってチェックしている歌なんですが、鉄骨の歌、よくわかるんですが、やっぱりこの「予感の如き」という比喩。比喩がかなりこの辺から多くなってきますよね。「アララギ」歌人であるから比喩って初めの頃は多用しなかったんだけども、その辺から多くなってくる。その比喩の仕方というのは、何か言葉上で滑ってる感じというのが非常にするわけなんですね。0番乗場の歌なんかはまだちょっといいなと思うんですけども、
 
  広場すべて速度と変る一瞬をゆらゆらと錯覚の如く自転車    『虚像の鳩』
 
というのはすごい観念で捉えて、これはどうなんだろうな。言葉で世界を掴んでいこうとするというところなのかな。それがいまいちしっくり来ないという感じがしてて、僕の中では今評価しづらいところですね。
 
藤田 この歌は代表歌として挙げられたりしますけど、山下さんどうですか。
 
山下 人によっていろんな解釈ができる歌で私はおもしろいかなと思いましたね。永田先生が二〇〇九年の現代歌人集会の講演で触れられてて、もともとはスクランブル交差点の歌だそうです。でも作者は駅に停車中の電車に乗ってる。その電車が動き出すとき、本当は自分が動くのに周囲が速度を持って動き出すように見えるという永田先生の解釈に対して、最後まで何もおっしゃらなかった。いろんな風に読まれることを、ご自身も楽しんでおられたのかなと思います。
 
藤田 例えば『真実』などの初期の頃の作品はもう読みがそれしかないという歌が多いですよね。生活に密着の歌というかね。中期の作品は読む人によって読み方がいろいろと広がっていくような歌が増えてくると思うんですけどもね、
 
  次つぎにひらく空間 音もなきよろこびの雪斜交(はすかい)に降る 『朝から朝』
 
 この歌は古い座談会の記録を読んでいても、いろんな方がさまざまな読みをされていますね。車かバスに乗ってるのかなとか。
 
永田 これは傘を開いていくんじゃないんですか。傘によって空間ができていくというふうに僕はとってましたけどね。
 
藤田 なるほど。その辺の読まれ方の違いを豊かととるのかによって評価が変わってくると思うんですけど。吉田さんどうですか。
 
吉田 抽象的な歌は結構歌い上げているというか、テンションが高いですよね。歌会に出されると読みが確定できないことがネックになったりもするんですけども、活字だとこのテンションの高さは結構映えるんですよね。ただ、歌集の中で抽象的な歌ばかり並ぶとあまり目立たない。この手の歌は一首だけ独立して引かれて、いかようにも読んでもいいんですよって読者に投げられたときが一番格好いいのかなって思います。『新樹』から先は、その辺りの表現主義的なものから深度を浅くしていったような感じがあるんですが。
 
永田 塚本の影響がすごく強いじゃないですか。けど、塚本ってある方程式に当てはめれば読めるというところあるんですけども、高安さんの場合それはどうなのかな。自分の中で方程式を持たずに作っているというところをちょっと感じるんですね。だから、そこがわからなくて、ばちっと読みが決まらないのは多分そこかな。言語感覚は優れてるなと思うんですけども。
 あと、山下泉さんが虚像論のことを共同研究で書いてましたけども、見えないものをいかに見せるかというようなところに苦心しているということ。その辺は、だから非常に苦労して作ってるなあという気がしてますね、中期の頃の歌というのは。
 
吉田 東郷雄二さんが以前「橄欖追放」のサイトで書かれていたんですが、中期の前衛的な歌風がそのまま追求されていたらどうなったかというのはやはり気になりますね。後期作品はわりと「アララギ」に回帰したと読まれがちだと思うんですけども、実際は回帰じゃなくて、あったかもしれない可能性も含めて、結果的にたどり着いた地点がどこなのか読みとる必要がある。
 
永田 うん、それは思いますね。だから、「アララギ」に回帰したというのは何かすごい図式的に読んじゃうところだけど、そんなことじゃないね、全然ね。前衛を経た後の『新樹』という感じ。『新樹』は単なる自然詠じゃない。
 
藤田 そうですね。
 
  すでに椅子ら卓に上げられ灯を消ししレストランに着く夢の中にて  『新樹』
  椅子ひとつ水にすわれりうつうつと梅雨降りこむる川の中州に  『一瞬の夏』
 
という歌ね、実景だけではなくて、今までの蓄積のもと、やっぱり新しいもの、もとに帰ったんではなくて、一つの通過点として前衛があって、それを高安さんは抜けたというか、違う方向に行こうとして深化したんじゃないかなというふうに思うんですね。私わりと今はこの『新樹』とか、『一瞬の夏』とか、この辺の歌すごくいいなと思います。
 
  濡れまつわる洋傘に手を差し入れて開かんとする畳まれし闇を 『光の春』
 
 この歌でもね、ちょっと前衛も入っているし、やっぱり高安さんの最後のほうのいい作品かなみたいな感じがしますね。ただ単なる写生詠ではなくなってきてるでしょう。
 
山下 中期の時代の歌とかを取り込んで膨らみが増しているような感じがしますね。全編を通してですが、意欲的にいろんな詠い方に取り組んでらっしゃる気がします。
 
永田 チェックしてる歌なんですけどね、
 
  砕くれば何ゆえ白き水なるかふたたびを道は渓に沿い行く 『新樹』
 
 渓沿いを歩いてて、川が石に砕けてるのを見てる。何で砕けたら水は白くなるのかという、そういうところの問いかけの歌ですよね。下の句のちょっとした変な感じ、「ふたたびを道は渓に沿い行く」という、助詞の変な使い方。あとまた主客が逆転するんですよね。
 初めは川のことを言ってて、次は道のことが主体になる。そういうある文体の捻れみたいなのというのは、やっぱり前衛をくぐってきたから出てきたんだろうなあと思いますね。普通にいったら「ふたたび道は渓に沿い行く」、それが「ふたたびを道は」という、この「を」の変な措辞というか。これは前衛をくぐったあとのある膨らみだろうと思います。
 当時どれだけ前衛が影響力を持っていたか、第二芸術論から前衛に向かう時代というのは僕らにはわからないところです。どれだけそれに呼応して歌を作らなければならなかったのかが実感できない。
 
吉田 直接的に「前衛歌人」の看板を負っている人たちだったらまだ活動として分かるんですけど、当時の歌壇全体にどういう影響があったのかというのはなかなか可視化できない、捉えきれないところがあって。確かに高安作品の後期にも変な構文が結構多いんですよね。
 
  人々の持ち込みて来し雨にぬれ電車の床のいちめんの濡れ  (未刊歌篇)
 
 この感覚の入れ方とか、構文で捻っているところがちょっとした軽さになっていておもしろいと思うんですけども。
 
永田 歌が軽くなりますよね、後ろのほう。
 
吉田 後期ではないですが、
 
  考えがまたもたもたとして来しを椅子の上から犬が見ている   『街上』
 
の歌もやっぱりちょっとしたおかし味があって。どの歌集にもそういう気配はふっと出てくるんですけども、後期は段々と増えている気がします。
 
山下 高安先生ってどこかほのかなユーモアをお持ちで、そういう面にも私はとても惹かれました。この犬はたぶん飼い犬で子犬の頃から詠われていて、ちょうどこの歌のあたりが一番相棒みたいな感じでそばにいます。その後犬の老いや死があり『虚像の鳩』以降は飼い犬は出て来ず、かわりに周囲の犬が登場したりする。犬とか、何かキーワードを通して歌の変化を読んでいくのも、おもしろいかなと思いました。藤田さんが挙げられた犬の歌は後期ですね。
 
藤田 私が挙げたのはそうですね。
 
  朝々の歩みに犬の吠え立つる次つぎに犬を吠えさせて行く  『一瞬の夏』
 
ユーモアというか、「吠えさせて行く」というの、わざと吠えさせてるという感じで、これは人間的におもしろいなと思いました。
 
★前期の歌について
 
藤田 最初のほうに戻りますけども、『真実』のあたりはわりと子供さんのこととかをすごく細かく見ていますね。
 
  わが幼子頬熱くして立つ見れば蟇(ひき)ひとつなぶり殺ししところ 『真実』
 
というのは、何かすごく高揚しているなと思って見たら、子供が蟇を殺していた。こういうことって歌にあんまり見たことないなと。特に高安さんの作品では珍しいなと思いました。人間が持っている本来の残酷さみたいなものを自分の小さい子供を通して発見してしまった。その瞬間に居合わせたみたいな感じがして。
 
  夜をこめて轟く雨に覚めし子が羽生えしものが通るよと言ふ 『真実』
 
という歌も、多分雷の光だと思うんですけど、何か羽の生えたものが通るということをつぶやいたときをすっと掬い上げる。結構ね、子供育ててたらすごいこと言うなというときありますけど、それを見逃してないですよね。自分が柔軟な心を持ってないと拾えないと思うんですよね。あと次の歌は、
 
  眠る児の掌ひらくことありて黒くなりたる綿屑が見ゆ  『真実』
 
わりとこれは塔的と言ったら変だけど、今の塔で出しても評価が高くなるような歌ですね。子の手のひらが、たまに開いて、そこに黒くなった綿屑が見えているというのってね。この歌は本当の初期ですよね。こういうところを歌うというのがベースにあって、今の塔にも流れているのかなって思いました。
 
  口の中に蜜柑をふふむ幼子が眼を細め窓の雲を見てゐる  『年輪』
 
私この歌すごく好きなんですけども、子供は、蜜柑を食べて、何か至福に至りながら別のところへいってしまってる。リルケの『オルフォイスのソネット』でもね、果物を食べている子供がでてきて、「いつも言葉のあったところに今は新しい発見が流れる、驚きのようにふと果肉からあふれでたものが」というのがあるんですけど、そういうことも思いながら、子供を見ている気がするんですね。作品だけではそこまでは読めないですけど。前期の歌について淳さんはどう思われますか。
 
永田 子供のことと生活のことかな、この辺は結構生々しくておもしろいなあというのがあります。
 
  収入なき父が病む我に金を置き卵を置きて帰り行きたり  『真実』
 
これの一連、歌が結構あるんですね。卵が大事なんですね。高安さんは病気で寝てる。そにお父さんがお見舞いに来るという歌。何だろな、父母というのが高安さんの歌全体にモチーフとしてあって、最後のほうにも出てきますけども、やっぱりお父さんに対するある思いというのはすごく強いんだろうな。
医者を継げって言ってたお父さんで、その辺の確執が非常にあったんだろう。それをまあ翻意して文学に、文系に行くわけですよね。その忸怩たる思いみたいなものも結構全編通じてあって、だから医者にならなかった自分がどうのこうのとか、あと茂吉に対する思いみたいなものも歌われる。
 
吉田 最後のほうにも出てきますよね。
 
永田 イギリスで医業資格を取った父が最後のほうで歌われていて、鬱屈があるんだろうなあ、高安短歌全般に。さっき誰かが言ったように、ずっと深化というか、深めるのをやめないというのはそんなところにもあるのかなと思った。
あと子供のことが結構やっぱり大きくって、国彦、長男が死んだ歌とか、あの辺がいい歌結構あるんです。その後、醇さんの聾であるという歌。引いてきたのは、
 
  幼き混沌のなかに差しそむる光の如く言葉あり人の口を読む 『年輪』
 
これ結構有名な歌で引かれますけれども、どう読めますか。耳の聞こえない子供にどういうふうに言葉っていうのはあらしめるのか。
 
吉田 「如く」にかかる部分がすごく長いですよね。
 
永田 そうそう、序詞的にいくんですけども。
 
吉田 そうすると、やっぱりその「混沌」というのは病気のことを踏まえておかないと難しい気がします。あるいは、普通に「子供が成長して言語を覚えてゆく過程」みたいな読み筋だってできるはずだし。
 
永田 みんな言葉で意思を疎通している中で、子供が混乱しているというのを「混沌」と表現している、そこに光が差し込んでくるという。で、この「言葉あり」が僕をわからなくさせるんですけれども、「光の如く言葉あり」、小さい子供が言葉というものを人間が持っているんだということを認識し始めたからこうなるの?
 
藤田 普通はね、言葉を覚えて行く過程って視覚じゃなくて聴覚から入ってくるでしょ、だけど耳の聞こえない子はそこの過程がないわけだから、混沌としてるっていうか。一つ一つの物に名前があって、意思とかいろんなものを伝達する言葉というものがあることを知ってゆくことが一つの光だったんじゃないかなと思いますけど。
 
永田 あとは和子さんとの確執というのがすごくあって、この辺の歌がなかなか。
 
  家も子も構はず生きよと妻言ひき怒りて言ひき彼の夜の闇に 『年輪』
 
この歌すごい歌で、このとき三十代ですよね。奥さん(和子さん)があなたは仕事だけしてなさいよと言ったんでしょうね。もう私のことも子供のこともほっといてと。ほかに、家に帰りたくないということが妻にもあるという歌もあって、そういうところ、どこまであからさまに出してるのかわかんないけれども、その辺がやっぱり今の自分、僕の中ではおもしろいなあと。当然和子さんも歌を作ってる人だから読むわけで、それでも出していくというのはある強さなのかな。僕やったら作れへんなというのは正直あって。
 
山下 子を見守るだけの虚しさを詠った歌がありますね。
 
  旅に来て一日ふたりの子を守れるこのかなしみの心のこらむ 『Vorfrühling』
 
これも、ここまで言っちゃうのかなっていう。でも、それが嫌味じゃないというか、冷静に自分のことを観察してらっしゃるような。誠実に、隠さずに、これは真実を生きるということにつながるのかもしれないんですけれど、何か自分の気持ちに誠実に歌いたいという気持ちはすごくそこから感じました。
 
藤田 根底にあるものがやっぱり憎しみとかじゃないと思うんですよね。どこか信頼があるんじゃないかな。
 
永田 そうかな。どうだろう。
 
山下 でも、奥様ショックでしょうね。
 
藤田 奥さんはショックなのかな。近藤芳美の家を訪ねるところがありましたね。
 
  夕べの丘辿り登りて着きし家ともるが如し君が若妻  『真実』
  かかる弱き心を友は持たざらむ妻をいたはり今宵も寝たらむ  『真実』
 
自分との生き方の差を感じながら、やっぱり近藤さんに対してはね、特別な思いがあったと思うんです。で、向こうは「未来」を出されて、こっちは「塔」を出してみたいな感じで
ね。歌壇的にもね。いろんな意味でずっと気になる存在だったでしょうね。近藤さんに責められたりもしていますし。
 
永田 捨て身になれよ、高安君。
 
藤田 そう。(笑)
 
  「捨身になれよ高安君」と既にわが言葉の如くなり帰り行く   『年輪』
  子のために我を傍観者と呼ぶ妻にしばらく我は茫然となる    『年輪』
 
近藤芳美からは捨て身になれと言われ、奥さんのほうからは、構わず生きよとか傍観者と言われたりして、揺れていたと思うんですよね。でも言われて跳ね返す強い力はなくて。
 
山下 でも、弱い部分もね、さらけ出されることで読者が寄り添えるというか。高安国世ってどこか立派な人っていうイメージがあるんですけども、そういう弱さに親しみやすさを感じられるかなという気がしますね。
 
吉田 家族詠の中だとやっぱり娘さんを詠んだ一連がおもしろいと思いました。
 
  みどり児といへど女子の並び寝て夜床はやさし我らと子らと   『真実』
  やさしさの萌すわが娘よ汝が知らぬ我もあるもの我を愛すな   『街上』
 
どれも何かちょっと甘いじゃないですか。
 
藤田 そうそう、女の子に対して特にね。
 
吉田 男親ってそういうものなんでしょうか。それぞれの家庭の形って外からはよくわからないですけれど、何となくキャラクターが立ち上がってる感じがして、この辺りの一連は見ていて楽しかったです。ただ、背景を踏まえていないと読み込めないところは大きいと思うんですが。
 
永田 いいなと思うのは醇さんの歌のほうがいっぱいあるな。そこの葛藤。
 
  補聴器を買ふ話となりて来む夏の旅行のことは言はずなりたり  『年輪』
  聾児らの走る間絶えず二階よりかかはりもなく楽は流れぬ    『年輪』
 
この辺りの歌なんかはやっぱり、障害児を抱えた親の苦労がよく出ていて迫真的だと思うんですね。特に「聾児らの」の歌なんか、運動会の定番音楽が流れてるんだけど、当の本人たちには全く聞こえてない、ってところを捉えてて、その不条理というのかな、がよく出ていると思う。
 
吉田 そっちのほうが迫力ありますよね。
 
★切迫感について
 
藤田 切迫感について訊いてみたいのですが、戦後の生活苦や子育てに時間を取られる『真実』のあたりに出てるんでしょうか。でも結構楽しんでいるような感じがするんですね。
 
  八百屋にも我は来慣れてためらはず嵩(かさ)ありて安き間引菜を買ふ 『真実』
 
とかね、客観的に間引菜を買う私みたいな感じで、苦しさとは読めないんですよね。
 
永田 その辺がやっぱり切迫感がないんじゃないのかな。
 
  とまどひて我は寝ながら父を見る千円の金包を胸の上に置きて  『真実』
  五円札手握り持ちて宵々を幼子はひとり耳医者へ行く      『真実』
 
お父さんが千円置いていくとかあるじゃないですか。あの時代に千円って、すごい額じゃないですか。これ見てもそう貧乏でもなかったし、五円札を子供に握らせたり。そういう意味ではすごい恵まれた環境にあったので、そこがちょっと乖離してるのかな、時代と。
 
吉田 生活が苦しいのは伝わるんですが、
 
  価高き林檎を子らと分くるとき怒とも恥とも寂しさともこれは  『真実』
 
この怒ってるの?恥ずかしいの?みたいな。
 
藤田 お父さんが来られて林檎を置いていかれたんでしょうね。
 
吉田 卵を置いていくのと一緒のですよね。
 
藤田 うん、お父さんからこれをもらって、子供らと分けていて、自分に対してね、恥っていうかね、そういう感情があったんですね。
 
山下 でも、きっとね、あったと思うんですよ、悲しみとかも。
 
永田 悲しみとかはあったんですけど、生活に対する切迫みたいなところっていうのが何か希薄なんですよね、読んでると。
 
山下 一度自分の中に取り込んで、歌にするときにはそれを少し引いた視点で詠うっていう作り方だったんじゃないでしょうか。
 
藤田 そういうこと詠んでないのかもしれないけれども、全然出てこないでしょ。ひもじさとか。その当時の日本の暮らしはもっと厳しかったように思うんですけどね。
 
吉田 でもそれもあくまで想像でしかなくて、例えば、もっと切迫感のある生活、つらい戦後の生活を詠んだ人ってあるんでしょうか。
 
永田 文明はどこまで「作って」やってるのか知らないですけども、疎開してるとこの歌なんかはもうちょっと切迫感があったかな。文明の影響ということで言えば、農作業の歌とかありましたね。

吉田 日曜園芸ふうの。

山下 家庭菜園ですね。こんな歌もあります。

抜き抜きて絶えざる畑のこまかなる此の草の名も知りたく思ふ  『真実』

つらい畑作業の間でも、ああ、この草何て名前やろうって、ちょっとしたことに興味が向く。そうやって何か違うものに目を向けたりできる部分があったのかなって思ったんですけども。そんなにどろどろってならないで、
ちょっと一線引いてっていうんですかね。

永田 泥にまみれるという感じはしないね。

山下 そこはやっぱり美意識なんでしょうか。高安先生の。

藤田 美意識と、あとは純粋さを感じますね。
たとえば、

いざ皿も洗はむパンも焼くべしと先生にあひし我帰り行く      『真実』
髭白く明るき声に幼ならに説きたまふ田も作り詩も作れと      『真実』
先生が居給ふとわが思ふのみに寂しき夜半の心ひらくる       『真実』

このあたりね、単純と言ったら単純なんだけど。今の師弟関係では計り知れないようなところありますね。

山下 またちょうどこの頃の高安先生の、畑仕事もしないといけない、子供の面倒見ないといけないというときに、ぴったり来る言葉をくれる師だったのかなという気がしますね。

藤田 戦争を挟みながら「アララギ」がずっと出ていたのも貴重なことだったと思うし、支えにして生きておられたのでしょうね。

★色彩・絵画的手法について

藤田 喘息で子供のころから身体が弱くてということと、もともとの資質もあると思うんですけど、「静かな」とか「音もなく」とか、「かすかな」とかね。静かな時間とか空間が好きという感じを受けるんですけど、吉田さんどうですか。

吉田 ポエジーが乗せやすい形容詞を使った、一つのパターンだと思いました。あまり注目していなかったんですけど、確かに通底音としてあるのかもしれませんね。

山下 やっぱり喘息を患ってて、家に一人でいることが多かったからか、内省的ですよね。考えたり、観察したり。自由に動けない分、いろんなものを見ている。そういうところが歌にあらわれているのかなと思いました。色を使った歌が多かったり、あと「見る」っていう言葉が歌の中に何度も出てきたり。

踏み均(な)らしおのずと出来し小径見ゆ見おろすときに行く人があり 『朝から朝』

色も一首のなかで二種類、赤と黒とか強い重ね方をされたり、すごく熱心に、よく見てらした方なのかなと。そのあたりは幼いころの環境の影響があるのかもと思いました。

藤田 色に興味があって、空間を絵画的に捉えられたりしていますね。

山下 そうですね。

コーヒーの湯気消えてゆく赤壁の思わぬ高さに黒き掌の型    『虚像の鳩』
カスタニエンの青きいがいがなりし実が茶色になりて鞄にありつ
『湖に架かる橋』

わりと色を使っていろいろな試みをされてたのかなと思って。一首目のコーヒーの歌ですと、最初コーヒーの湯気は白いですよね。それから「赤壁」が出て「黒」って、こう重ね塗りみたいなことをされたり、カスタニエンの歌だと、目に見えない時の流れが、目で見てわかる色で表現されたりとか。工夫して、いろんな効果を試されてるんじゃないかなというふうに思いました。

永田 山下裕美さんが『新樹』の色のことについて書いておられて、結構おもしろかったんです。十月号なのかな、色彩感って僕はあんまり感じなかったんですね。例えば今、山下さんの挙げておられる「コーヒーの湯気消えてゆく赤壁の」、確かに色を見れば色なんだろうけども、色彩感覚というのが歌の後ろになって、前面には出てこない感じがするんですね。あまり色の赤と黒というのが僕の意識の中ではクローズアップされてこなくって、掌の高さのほうに意識がいっちゃう。「カスタニエンの青きいがいがなりし実が」も「茶色になりて」は、時間の経過ですよね。でも、青が茶色に変わった、生き生きしていたものが枯れたということの説明として色が使われているだけであって、僕はあんまり色彩感を思わなかった。

吉田 視覚的な演出は沢山ありますよね。自動車の歌もそうですし、

わが前の空間に黒きものきたり鳩となりつつ風に浮かべり      『街上』

この知覚の順番だったりとか、多分に演出的なんですが、ハッとさせられる瞬間があって。やりすぎると絵画的に処理されているように見えてしまうんですけど、こういう視覚的な演出の仕方に、内向的な部分が表れている気がします。ただ見ているだけで、さわりに行ったり嗅ぎに行ったりはしない。

藤田 そうですね。ちょっと傍観しているという型が多いですね。

吉田 都市全体をを対象化する視点も、そういうポジションの表れだと思います。

藤田
呼びやまず―人かげもなき座礁船傾きて細き帆柱ふたつ     『虚像の鳩』

この歌、絵画的な処理という感じですね。何もないとこにすっと帆柱立っているというような。かなり縦のラインで押してきているという感じがして。

永田 「呼びやまず」はどう解釈しますか。

吉田 景全体が自分を呼んでいると取りました。

永田 ああ、景色が自分を呼んでやまない。

藤田 私、座礁船の叫びみたいな感じがしたんですね。かなり絵画的な処理も多いですね。

吉田さん挙げてこられた夕映えの歌もね、私これ好きなんですけどね、

鉄骨のかぎる一劃一劃に予感の如き夕映がある         『虚像の鳩』

空間を鉄骨で一回仕切って、そこに夕映えという形でね、デッサンして色を後で入れる
という感じのね、これも絵画手法的だなと思ったんですけど。

吉田 山下さんの引かれている

街行けばたのしからんこと多く見ゆ料理見本の並べる窓も    (未刊歌篇)

「街行けば」を前提として、実際は家にいる気がします。この「料理見本の並べる窓」ってすごく多幸感のあるいい窓ですよね。

山下 ここもね、やっぱり色の雑多な感じ、料理見本ってけばけばしいっていうか、ちょっと大げさな色じゃないですか。そういうのを楽しいと思われるその感性がね、自然の色とは違う、そういうものにも惹かれてらっしゃるのかな。

藤田 これは人工的な色のきれいさでしょ。普通は遠ざけたいんだけど、時期的なこともあると思うんですけど、未刊歌篇の歌だからもう入院されたりしていてね。前は色が溢れてたりするのがしんどいときもあったかもしれないけど、それが「たのしからんこと多く見ゆ」というのは、それは楽しいことだったんだなということを、自分の残りの時間を考えながら、生きてることというのは楽しいことだったんだなっていうような、違う角度から見えてきてる時期なのかな。

吉田 アンソロジーの最後の「未刊歌篇」は、食の歌が圧倒的に増えますね。

永田 食べる歌。

吉田 視覚でずっと詠んできた人が、最終的には食にいったというのはすごく興味深くて。

山下 胃を手術されていますからね。

永田 あ、そうか、食べる歌ってあんまりないですね。

吉田 そして、最後のほうにある

食道楽さげすみて来し果てにして恋ほし町々の物食わす店    (未刊歌篇)

もう一つ挙げたいんですが、

今は在らぬ人の夢にて疑わず飲食店に共にありたり        『光の春』

過去の、これまで失ってきた人たちも全部いる素敵な空間、その祝祭性が必要だからこその飲食店、やっぱり外食なんだなって(笑)。家で食べるでのではなくて、ごちそうを食べに行くハレの場としてのレストラン。

藤田 レストランの歌、考えてみると後期のほうに多いですものね。夢の中に出てくるレストランとか、さっき私の挙げた椅子をひっくり返してるレストランも夢の中だけど、すごくリアリティーがあって、多分本当にお好きだったのかなって。

山下 あとみんなで集って食べるのが楽しかったのかな。初期に、友達がいないとか、わかり合える人がいないみたいな歌もあるんですけど。

心合う友さえもなき二人にて寂しき顔を並べて歩く      『砂の上の卓』

みんなで賑やかに食べるということがお好きだったのかなって思ったりもしましたね。

永田 食べる歌か。

藤田 新しい視点ですね。

★読み方の変化について

藤田 高安作品をどんなふうに読んで、どんなふうに変わってきたか、ということなんですけど、私は最初すごく格好いい作品好きだったんですね。例えば、『新樹』の第一首目、巻頭歌なんですけど、

重くゆるく林の中をくだる影鳥はいかなる時に叫ぶや  『新樹』

こう朗々と歌い上げていて。

広場すべて速度と変る一瞬をゆらゆらと錯覚の如く自転車    『虚像の鳩』

この歌は自分も何かそこの渦の中に取り込まれていくというような、ぐるぐる同じところ回っているような感じがして。そういう歌に惹かれていたんです。そのあと共同研究で背景も知るうちに、「塔」の創設者として遠く見ていた像が近くなってきて、人間的な弱さとか、葛藤とか、苦しさとか、悔しさとかを知っていくうちに、目立たない歌のよさに目がいくようになりました。そして今は後半の歌ですね。残り時間の少なさとか、生きていることの尊さみたいなところに共感するようになりました。

かりんまるめろ我らがのちの世に実(な)らむひこばえ育つかりんまるめろ 『新樹』

これは後世の人に残していくよというようなメッセージ性みたいなのもあって、多分それは受け止める人の心の状態とかによって響いてくるのが違うと思うんですけども。

わが病むを知らざる人らわが心の広場にあそぶたのしきさまや   『光の春』

というのも、もう自分は覚悟されているんですけども、自分の病気を知らずにみんなが楽しくしているなという、自分の心の広場で遊んでいるというのも、これも多分もう会わない人、私たちですね、亡くなってから高安短歌に出会う人へのメッセージみたいな感じもして、何か大事なものを手渡されてる気がします。
単なる歌だけじゃなくてね、こういうふうに生きた人が「塔」を始められたことがすごく今は支えになっているというか。この先生もそうでしょ。何か目指すものがあってやったわけじゃなくて、最後まで真摯に生きて、最初からもう「真実を生きたかりけり」で最後までいかれたというのが、そこが一本通ってると思うんですよね。この先生の言われる「広場」っていうところに自分も入れてもらってるっていう気がして、こういう歌が好きになってきたという感じですね。

吉田 この広場の歌の前の歌が

会いたき人今はあらずも暖く心の中に我を見守る         『光の春』

過去の人がいて、私がいて、「知らざる人ら」に繋がっている。手術前の連作の、死生観みたいなものがあらわれていますね。

永田
われ亡くとも変らぬ世ざま思いおり忘れられつつドイツに在りし日のごと
『光の春』

これなんかもある一つの歌い方の変遷みたいなのがあって、まあ上の句なんかもう誰でも歌うことですよね。私がいなくても世の中何も変わらないよということを思っている。その後ろ、「忘れられつつドイツに在りし日のごと」のあたりよくわからない。ドイツに自分がいたという事実が忘れられているようにということ?

吉田 ドイツにいて日本の人たちから忘れられていた、ってことでしょうか。

永田 ああ、そういうことか。なるほど。

藤田
ゆるゆると雪よ降り来よもどかしきわが病みあとの心の上に  『光の春』

この歌も、高安さんの心の上ともとれるけども、自分がいなくなったら人々の心の上にゆるゆると雪よ降れという感じで、自分だけのためじゃなくて、後の人のところにも雪、穏やかに雪が降っていてほしい、と読むと、ありがたいって変だけど、つながっていられるんだなってという気がしますね。

吉田 最後のほうが徳が高い、と言うと変ですけれど、他者へのまなざしが一番開けてるのが、読んでいて救われる。それまで対人関係、家族詠は特に色濃く表れるんですけど、様々な葛藤があって、最終的にこの境地に至ったっていうのは編年として辿っていくとすごくいいなって思う。徳だと思うんですよね。

藤田 苦労もあったと思うんですよね。

吉田 やめたいっていう話とかあったし。

藤田 うん。支えてくれる人がおられたから高安さんの人生そのものも豊かになったし、途中でやめなくてこの境地にいかれるまで続けられて、本当に高安さんにとっても短歌はなくてはならないものだったんだろうなというふうには思いますね。

永田 高安短歌を読み初めた頃は前衛が色濃いところの歌にやっぱり飛びつくわけですよ。そこはさっき言ったようにあまりおもしろくないなというのが正直あって、今は『夜の青葉に』あたりにひかれてる。この辺は一番自由に、例えば

さそり座に月かかりつつ音もなし青葉は少しづつ冷えゆかむ  『夜の青葉に』

さそり座に月がかかっていて、これが多分表題歌になるのかな、『夜の青葉に』の。「青葉少しづつ冷えゆかむ」という、青葉が少しずつ冷えていく、何でもない静かな歌なんだけども、こういうところがやっぱり高安さんの一番の美質なのかなと思ったりしています。
あと結構好きな歌が

少女ひとり道に下ろして雪残る谷深くなお行くバスが見ゆ    (未刊歌篇)

これも何でもない歌なんだけども、女の子を一人道に下ろしていくバス、それが雪が残る谷深いところである、という歌。さっき吉田君が言ったように、他者に対するまなざしというのが開けてきているのはこの辺がそういう感じなのかなという気がしてて。

吉田 「なお行くバスが」の「なお」。

永田 さらにその先に行くバス。少女を一人下ろしたバスって、もうあんまり誰も乗ってないんでしょうね、恐らく。まだ春浅い頃の。これももう本当に亡くなる寸前の歌だと思うんですが。いろいろ変遷を経てきたけども、やっぱりこういう静かな、何も言わないところの歌というところが僕は今は好きですね。

藤田 淳さん、この生姜の歌は?ちょっと私怖いなと思ったんですけど。

永田
生姜 薔薇色に酢にひしめけり胎児らの墓を見たることなく 『朝から朝』

作り方としては塚本にそっくりなんですよ。けど塚本の場合、こういう作りだと社会に開けていく、社会批判とか。『日本人霊歌』に〈祖国 その惨澹として輝けることば、熱湯にしづむわがシャツ〉というのがあるんですけども、もうそっくりなんですね。「祖国」で一字空いてて、「その惨憺として輝ける言葉」の韻律と言うか。塚本はやっぱり社会性批判みたいなのをずっと展開するわけなんだけども、高安さんの場合はそういかないんですよね。
これ単純な歌なんですね。瓶に詰まってる生姜を見てたら、ホルマリン漬けのように思えて、そういうイメージで胎児に結びついていく。そこから墓に飛躍させていこうとしてるんだけども、もうひとつうまく言えてないと思ったんですね。
で、「見たることなく」っていうこの連体形の止め方も、どうなのかな、「見たることなし」だとすごいおさまるんだけど、それだと前衛的にならないので「見たることなく」という止め方になったと思うんですが、うまくいってるのか、いってないのかなというところで挙げてきた歌なんです。
まあやっぱり苦心の跡が見えるなあというか。何か読んでると痛々しいんですよね、その努力の仕方が。それがどうなんだろう。岡井隆に随分批判されてますよね。

山下 私は「高安国世を読む会」で担当したのが『新樹』だったので、最初はその中でさっき藤田さんの挙げた「重くゆるく」や、

かすかなれば雨よりも音ひそめつつ落葉を降らすからまつ林     『新樹』

などの自然が生き生きと美しく詠われているものに惹かれたんですけれど、この頃は静かな歌がいいなと思い始めまして。

舗道より見当つけてくだりゆくベンチにすでに近づく人あり   『朝から朝』

これは研究会ですごく盛り上がった歌なんですが、いいよねって皆さんおっしゃってて、そのよさがやっと最近わかるようになってきました。何でもない場面なんですね。道歩いてて、そろそろ休憩しよう、あのベンチいいなぁと思って下っていると、もう既にそのベンチをめがけて自分よりもっと近づいてる人がいるという。何気ない場面で、なかなかうまく歌にできないところを、事実だけを並べてユーモラスに作られています。他に、

Coffeeのe一つ剥げし壁面に向いて長く待たされている       『街上』

待つということ自体ちょっと間の抜けた行為なんですけども、わざわざeが剥げている壁面を向いて、何で自分は待ってるんだろうみたいな。こういう瞬間を切り取られてるときにすごくおもしろい。待つ歌では他にもこんな歌があります。

時刻表にありて来ぬバスひとり待つすでに待つのみの姿勢となりて  『虚像の鳩』

人の間の抜けた感じというか、おかしさみたいな部分をうまく掬い取られている歌に、この頃惹かれるようになりました。

藤田 山下さんも最初は『虚像の鳩』とか中期の頃が好きだったのですか。

山下 『虚像の鳩』も有名な歌よりも、さっきのコーヒーの歌とか、あと、

ためらいの心に似たり冬一日風に押さるる半開きの扉(と)      『虚像の鳩』
雨空をうつすガラスが風に振れはかなき光ひらひらとせり    『虚像の鳩』

などの、静かめで美しい歌が好きでした。

かなかなや一声遠き森昏れて母と我との生まれ月来る       『光の春』

この歌は最後の歌集にあるんですが、自分が母の亡くなった年齢に近づくことで、一筋の蝉の声を通してあの世とこの世の境目がなくなるような、そういうふうな思いの到り方というのも惹かれるものがありますね。今はそんな感じです。

吉田 ミニマルな視点の上手さとか、後期の視野の広さももちろん魅力的ですけれど、やっ
ぱり中期に注目しますね。高らかな絶唱、歌い上げることのできる量って人生で割と限られてる気がして。一人の歌人でも結構一時期で、特に若書きの頃の歌集に多いんですけれども、そういう歌が初期じゃなくって中期にあるのが特徴だと思います。

感情の起伏の如く来ては去る雨といえども暖き雨      『朝から朝』
疾走し過ぎゆくものをただ朝とただ夏として寂しみており  『朝から朝』

こうやってリフレインをかけて概念を歌い上げていく、テンションの高さはとても惹かれます。見た目が派手なんですけども、やっぱり重要なポジションだと思うんですよね。

永田 重要なポジションというのは。

吉田 これが後期につながっている。特に観念詠が存在として大きい気がして、キーワード挙げるとしたら「都市」と「観念」だと思うんですけども、観念の部分がわりと振り切った形で出ているのはこの一時だけで、それがだんだん後期になると徳の高いほうにいくのがおもしろい。あと個人的にこういう歌が読みたいなっていう、憧れもあります。格好よく決まったときにすごくカタルシスがある気がして。こういうのばっかりだとやっぱり飽きるんですけれど。

藤田 あと鉄橋の歌ってありましたよね。

たえまなきまばたきのごと鉄橋は過ぎつつありて遠き夕映    『一瞬の夏』

これは吉川さんも五十周年の記念号で挙げられていた歌なんですけども、「まばたきのごと」っていうね、あの鉄橋過ぎるときの光、影、光、影ってずうっと来るでしょ、スピードがあって。それをどう表すかいうときに、「たえまなきまばたきのごと鉄橋は」というのはすごいなあと私も思ったんですよね。吉川さん後に「トランプの切らるる迅さ鉄橋のすきますきまに冬の海輝る」という歌を作られていますけど、そういうベースがあるんだなって。
高安さんの歌を全部、みんなが読んでいるとは思いませんけど、やっぱり読んでこられた人はそれも取り入れながら自分の歌に生かしてられるかなというふうに思いますね。

永田 そうですね、一時期何か鳩ばっかり何か気になってる時期とかっていうのもありますよね。羽ばたく鳩というのは僕の中でも何か一つのあるイメージとしてありますね。

藤田 やっぱり詩の心がないと詠めない歌みたいなのがあって、それが何か自分だけが見た一瞬というか、自然との一つの交差点に立つというような一瞬をすっと捉えるという。それはうまいなあというふうに思います。

山下 詩の翻訳をされたりしてますし、その経験からいい言葉を選んでくるとか、自分の言葉に置き換えるとか、そういう作業は先生のなかに自然にあったかもしれませんね。

★影響力について

藤田 それでは、最後になにか言っておくことありますか。

吉田 高安国世がその後も含めどういうふうに「塔」の人たちに影響を与えているのか、お聞きしたいです。どう思われますか。

永田 難しいな、それ、めちゃくちゃに。どう思われますか、藤田さんは。

藤田 影響というかね、一緒の時間を過ごされた人からお話を伺うと、歌との向き合い方とか、添削はされず、自分で学ぶ、そこら辺のスタンスというのは、「塔」のやり方なのかなと思いますね。師弟といってもわりとフラットな関係で、高安さんの歌も平気で皆批判されたそうですし。歌会に出された歌で、意見が出たときに、そのときは黙って聞いておられても、歌集になったらちゃんと直ってるとかね、そういう柔軟な姿勢というのがやっぱり高安さんなのかな。そこは別の角度から見ると押し通せない弱さでもあるかもしれないですけど。
でも、新しい人にも発言権が同等にあるという感じは今もそうだし、受け継がれているのかなと思うのと、いろんなスタンスの人が集まってきて一つの結社の中にいていいんだというような意識はずうっと「塔」にあって、そこが支えになっているように私は思うんですけどね。淳さんはどうですか。

永田 わかんないです。高安さんの影響ってリアルタイムでそこにいないとわからないんだろうなというとこありますね。

吉田 作品で見る限り、あまり影響が分からないんですよね。

永田 師風継承みたいなところが全然ない。

吉田 そうなんですよね。「塔」を始めた人だって歴史的には分かるんですが、あまり実感が湧かなくて、だからアンソロジーが出るまで読んでこなかったのかもしれませんが。

永田 けど、みんなが知ってる歌というのがやっぱり何首もあるわけで、そういう歌を知ってるのが大事なのかなとは思うんです。
例えば河野裕子をみんなが真似てる時期ってあったじゃないですか。そういうのはやっぱりリアルに感じるけど。ただ、やっぱり歌を知ってることが大事かな。

吉田 歌を共有できるということですね。

藤田 歌の影響というよりも、考え方の影響はあるのかなと思いますね。
高安さんの『短歌への希求』を最近読んだんですけど、「たとえ自分の肉体は滅びても滅びないものがあるということを瞑想していくうちに力が湧いてくる。自分は滅びない。結局形がないものだから全ての植物も動物も同じような形の存在であって、自分と彼らが自由に交流し合う」といろんな講演などでの言葉が人の心の中に沁みたり、私たちもこうして読む機会があれば触れられるという意味では影響を与えてられるのかなと思うんですけど、山下さんどうですか。

山下 私も歌会のやり方みたいなところに一番色濃くあらわれてるのかなって。例えば、作者とは違う解釈が出ても、作者が後でいや、あれは実はこうなんだとは言わず、黙って済ませたり。あと歌会が好きっていうことも。

藤田 歌会が好きっていうのは大切なことかもしれませんね。参加者の一員として歌会を楽しむということは、自ずから歌会そのものを盛り上げてゆくことに繋がりますからね。ほかに言い残したこととか、今日の印象とかありますか。

永田 やっぱり何度も読み直したいですよね。
今回、久しぶりにもう一回読んだんですけども。正直言うと、ああ、こんなだめな歌もあるんだ、とかね。あんまり神格化せずに高安国世という歌人を通して読むっていうのが大事だと思う。その人の思想とか、志向するものとかの変遷を読んだり。
今回あんまり社会詠の話は出なかったんですけども、内灘闘争の現場に行った歌とかね、あと清原日出夫と北海道に行ったときの歌とか、坂田博義が死んだときの歌とか。高安短歌が塔の共通財産としてあることがありがたいのかな。「塔」って師風を継承するようなことがあまりない。ちょっとは高安短歌を読んでおいて話が出れば「あの歌ね」ぐらいの会話はできるようになりたい。せっかく一緒の集団に集まってるんだから。いい機会でしたね、もう一回読み返したのは。

藤田 山下さんはどうですか。

山下 懐の深い歌人でいらっしゃるなあと思って。ずっと詠風が揺れ続けたということもあるんですけど、いろんな歌集があっていろんな歌があるので、どんな人にも、あ、これだっていう自分だけの一首が多分見つけやすいんじゃないかな。いろんな人を取り込んでゆけるいうか、そういう魅力のある方じゃないかなというふうに思いました。

吉田 僕は今回お話を聞いて、ようやく高安国世の全体像が分かってきた気がして、それがよかったです。あとは本当に通読することの重要性を痛感して、歌集単位じゃなくて、全体を読み込んで見えてくるものが沢山あるなと思いました。

藤田 私は人によって好きな歌が全然違っていたり、自分も一緒に時間を経過するにつれて好きな歌が変わっていくというのがおもしろいなというふうに改めて思いました。きょうはどうもありがとうございました。

(二〇一三年二月十六日、於塔短歌会事務所)

ページトップへ