塔アーカイブ

2013年10月号

座談会「結社にふたたび出会う」
 
澤村斉美・吉田恭大・安達洸介・大森静佳・藪内亮輔(司会)
 
■河野裕子から引き継ぐべきもの
 
藪内 では座談会「結社にふたたび出会う」を始めます。隔年で行われている十代二十代歌人特集の延長線上として、若手のひとつの意見を出せたら面白いかなと思っています。第Ⅰ部として、僕たちが一度も会ったことがない、もしくはほとんど会ったことがない歌人について語ってみたいかなと思います。一人目は河野裕子さん。僕の中の印象では、岡井隆あたりと比較してしまうっていうのがどうしてもありますね。つまり、ヒューマニズムって感じなんですよね、河野裕子は。前衛時代はともかく、ポスト前衛の時代に入ってくると、一人一人が自分の〈私〉っていうものを源泉として語らざるを得なくなったのではないかと僕は思うんですけれど。

吉田 それは歌壇の全体として?

藪内 歌壇の全体的にもそう。そこで岡井隆は〈私〉をレトリックで纏っていくっていう形で〈私〉というものを出していった。〈私〉は、岡井の場合は光源だと思うんですけれども、河野裕子の場合は、〈私〉を掘り下げていく、〈私〉の深層部分にある身体性みたいなところとか、普遍的なところを掘り下げていくような、そういう戦術に舵を切ったというイメージがあるんです。まあ、もちろん初期は違うんですけど。

安達 作風が変わった、つまり後半になってからそういうヒューマニズムの方向にどんどん傾斜していったっていう話を聞きますけど、いつ頃からですか。

大森 『紅』あたりじゃないかな。

藪内 最初の歌集と『ひるがほ』、それから『桜森』あたりまではけっこうレトリカルな歌とか前衛に染まった感じの歌も作ってますし、美を追求していたって感じがしますよね。まあ、そういう見方をすれば、美の嘘くささをそのあたりで自覚して。

吉田 『はやりを』あたりから家族詠を中心に詠われる内容が広くなっている気がします。

澤村 『ひるがほ』あたりから家族という素材の芽が出てきて、『はやりを』から家族に真正面から向き合っていますね。それ以後、詠う内容はそんなに広くはならなくて、家族、身めぐり、結局自分を掘っていくということなのかな。あとは定型の捉え方がどんどん変化していくのが面白い。最後の方はものすごい破調でしょう。喋っているみたいに作っている。私が河野裕子に出会ったのは第十一歌集の『季の栞』のころだったけど、そのころはすでに柔らかい詠いぶりです。だから、そこから第一、第二、第三歌集を読むとあまりに違っていてびっくりしました。第八歌集の『家』あたりから定型が伸び縮みしたというか、五七五七七を自在にデッサンする方に向かったという印象です。

大森 追悼号の座談会でも、河野さんの晩年の歌で字余りが増える点について、「塔」の人でも一般的にも年をとると字余りが増えていくことが指摘されていますね。「塔」では特に後期の河野さんの歌がすごく影響力を持っていて、それで結果的に塔の年配の作者の間で字余りとか破調が多いのかなって思う。

吉田 逆に韻律のハードルというか可能性を河野さんが広げたということですね。

澤村 それをね、定型の緩みと見るのか肯定的に捉えるのか、どっちなんでしょうね。

藪内 河野さんの韻律はそこまで緩んでいないという印象です。「塔」の中だけではなくて、年をとると韻律自体がぼやーっと伸びてくるのは、たぶん土屋文明とかでもそうなんですかね。

吉田 小高賢さんの言う「老いらくの歌」ってやつでしょうか。

藪内 河野さんは最後には通常より七音か八音くらい多い歌も作ってましたけど、そこまで強烈な印象じゃなくて、今までの韻律をある程度きっちりと意識しながら外しているという感じを僕は受けています。例えば、河野さんって四・四韻律の使い方がうまいんですよね。例えば、有名になった「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」は「あなたとあなたに」っていうところでリフレインを効かせながら四・四でどこかあったかい感じの韻律を作っていく。

澤村 『はやりを』のころから「語らずなほも語らずそのひとの寡黙の舳先にわれは夜の海」とか、けっこういろんな定型の外し方をやっていて、河野さんの場合はその延長線上での後期の破調なんだと思います。確かに、定型が自由自在になってからの河野さんの歌の影響は「塔」の中で多く見ますね。ちょっと話が変わりますが、初期の影響はどうでしょうか。あまり見ないような気がしますが。歌風もなんですが、評論「いのちを見つめる」の母性から歌を考えるっていう論はどうなるのかと。河野さん自身がいつからか論じなくなりましたよね。河野さんの言いたかったこととはずれるかもしれないけど、私はこの評論ではやっぱり山田あきを高く評価していることが印象深いです。山田あきの「子を負える埴輪のおんなあたたかしかくおろかにていのち生みつぐ」とかね。「かくおろかにて」と自分や女というものを突き放して見ているでしょう。その後の河野さんの歌に通じるところもあるんですよね。『ひるがほ』に「秋の日の鏡の奥処ひいやりと閉ぢひらきする瞳孔が見ゆ」という歌があって、鏡の中に自分の瞳孔を見つめて内面と対話するというか、静かな目で自分を見ています。同じく『ひるがほ』からなんですが「もの暗きわれの在処(ありど)よ月光の半ば及べる湯に膝を抱く」では、「我の在り処」を見つめる。河野さんって情念だとか言われることもあるけど、こういう風にちょっと〈我〉を突き放しているところがある。河野さんは「母性」というキーワードで山田あきに共感していたけれど、それ以外のところで山田あきを摂取している面もあって。そういう意味でも「いのちを見つめる」に立ち返りたい。

安達 〈我〉を突き放すっておっしゃいましたが、その評論自体はすごく我が強いというか、いわゆる客観性とか説得力を持たせて書かれたタイプの評論ではなくて。評論という形はとっていますけど、自分の短歌観について語っている本っていう風に思いました。客観的な妥当性については、齋藤史などの必ずしも女性性という点から河野裕子と一致しないものまで、一部の短歌だけを引いて自分の短歌観に沿うように作り上げちゃってる気がして。河野裕子の女性観で女性歌人が皆やってるとも思えないんですよ。

澤村 うん、そうなんですよね。最後のほうの齋藤史、馬場あき子など引用してるあたりはちょっと性急かなって感じはするんだけど、評論の読み方として、河野裕子の作品を考えるときの補助線にはなりますよね。

安達 なりますね、すごく。時代性とかはあったんですかね、フェミニズムとか。なんか怒ってるじゃないですか、河野さん。たぶんその当時のフェミニズムの極端な人だと、女性性っていうものは男性社会から押しつけられたもので、そういうものをぶっ壊して自由にやっていこうみたいな。でも河野さんは、そういうことを言い過ぎるのもよくないんじゃないかって言ってるようにも読めるんですよね。女性性を否定するような主張、何かそういう短歌が最近出てきてるけど私は賛同しないみたいなことを書いてますよね。

澤村 これ読んでて感じるのは、ここまで男に負けたくないんだっていうこと。佐佐木幸綱の歌を引きながら、男っていうのは一回性の生でもってその存在を完結するしかないと。それに対して女っていうのは産み育ててきたんだと。

安達 その対比は要らなかったんじゃないかと思うんですけどね。

澤村 そこはたぶん時代の要請だったと思う。何か、第一歌集って男を丸ごとのみこんでやろうみたいな気迫と包容するような優しさの両方があってぐちゃぐちゃじゃないですか。例えば「君の持つ得体の知れぬかなしきものパンを食ぶる時君は稚し」とかすごく優しい歌もあるんだけど、有名な「逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと」、これだと男というか少年だけれども、違う性を持つ相手と対等に対峙する歌ですよね。男と対峙する歌と優しく包み込むような歌とがあって、その混沌を抱え込んでいるところが評論にも表れているのかな。

吉田 『ひるがほ』に「女なればわれに生きながらの死を賜ひ手を汚さざる権力といふは」、「同性ゆゑ女帝の憎しみいやまさりわれに生きながらの死を賜ひたる」という歌があって、「手を汚さざる権力」も「生きながらの死」も、屈折した形での女性性の肯定を感じます。対峙するものとして「手を汚す権力」が男性の側にあること、それからやっぱり死を内包しているっていうのも一つの女性観、女性自身の女性観なのかなっていう気が強くします。先ほどあげられた山田あきの歌にも通じるものがあって、それがもっと露骨に表現として出ているのかなと。常に対峙するものとしての男性があるという意識は初期のほうが強くて、だんだんそれが自分の側になっていくっていうのが変化なのかな。

澤村 家族として自分に馴染んでいくに従って歌が柔らかくなって。

吉田 それが生活詠という形での広がりとして、確かに変わってますね。これまで緩い韻律=女性性みたいな、女性ならではの柔らかな韻律みたいな見方にあまり納得いかなかったんですけど、韻律自体にある種の女性性を見出すっていう視点がちょっとわかった気がしました。

澤村 河野さんがこの評論をはじめとして主張していたことを例えば同じ女性歌人として見たときどう思いますか。

大森 妊娠中の河野さんが出られた座談会で、「生と一緒に死というものもはらんでしまった」っていう有名な発言がありますけど、そのときその言葉がアンチテーゼになり得たというか、衝撃だったということの意味が私にはよくわからないんですよ。『ひるがほ』の「まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す」なんかの命の見つめ方もそうですけど、私は何か素朴すぎるという気がしてしまって。だからその時代の他の女性歌人が感じていたことは私の感じ方とは随分違うんだろうな。河野さんの歌では、女とは、男とは、などと大きく詠った歌よりも、痛みをもって自分の内部をひっそり見つめる歌のほうが好きですね。

澤村 私が心打たれるのはやっぱりさっきの山田あきの評価なんですよね。河野裕子が山田あきの摂取をして、我の在り処を自分の内面に見つめて詩にするというか。これは私の好きな歌なんですけど山田あきの「連の花にとどろくむなぞこに浄く不断のわが泉あり」。自分の胸の底に浄く不断の泉を見つめて、自分の思いっていうのはこの泉なんだという言挙げでもあります。これに比べてみるのは『桜森』の「わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ」、これも自分の胸の内に詩的な情景を見ている訳ですよね。河野さんは山田あきよりは情緒に流れてて「桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ」とリフレインで感情を押し出しているんだけど、我の在処を読者にも共有させるような情景に落ち着ける、そういうところがいいなと思いますね。今「塔」で普通にやってることなんですかね、ちょっとそれはわからないけど。

吉田 身体の、物質的なところに一回寄せて詠むっていうのは作風としてあるのかな。同じ『桜森』で「肉が肉押しわけてゐる雑踏にどつどかなしきわが乳房なる」とか、一回身体に説明させると説得力が上がるようなところがあると思うんですけれど、どうだろう、具体的に今使われていますかね。

安達 河野裕子さんはすごいって「塔」の人たち皆おっしゃいますけど、どう楽しんでいるのか、作品について具体的に言及されることはあまりなくて。人間性とかあのときこうおっしゃったみたいな話はよく聞くけど。例えば僕の立場からするとこの人生観とか人間観とかに単純に全く共感ができなくて入っていけないんですけど、好きな人はやっぱり共感っていうところから入っていくんですかね。

澤村 人生観への共感とか家族のドラマから入る人もいるでしょうね。私は逆に分からないところだらけで、共感できる点も少ないです。でも、歌もだけど、エッセイに感銘を受けたり、歌の読み方に頷かされたりで、ピンポイントで深くささることがある。だから、かえって興味深く思っているんですけど。例えば、結社史や短歌史で河野裕子のどこを書くか。家族の物語とか、幅広く共感を得ているところはまあ私たちがやらなくても残る気がする。短歌史として記述するときにはやっぱり「いのちを見つめる」に戻らなきゃいけないんじゃないかなあ。「いのちを見つめる」の前半なんかだと、河野さん以前の戦後の女性歌人総決算みたいなところもあるんですよね。追悼号の米川千嘉子さんの論にきっちり書かれているけど、五島美代子や中城ふみ子や山田あきからの河野さんの摂取の仕方、そこに返ってどう残していくかを考えたいです。

吉田 故人を語る時、エピソードばっかり出てくるという状況に端的に表れていると思うんですけど、「塔」の中にいると、「塔」の人たちにとって河野さんがまだ近過ぎる存在だというのが大きい気がします。この間の高安国世の座談会や「歌壇」の近藤芳美特集について、大辻隆弘さんが新聞の評で、時代が経ったから喋れることがあるということを指摘されていて、そういう距離の取り方を考えていかないと分析しにくくなってくる。

澤村 「京大短歌」十八号で大辻さん、藪内さん、大森さんが座談会をしてましたよね。あの中で大辻さんは、河野裕子の追悼に関しては外から見ていると「塔」の人はわりと冷静だねって言ってませんでした? ああ、そういう風に見えるんだって思いました。

安達 でも逆に「塔」の人たちは追悼しすぎなんじゃないかって言っている人もたくさんいますよね。永田さんが朝日歌壇の投稿欄を追悼歌で埋めたのは、あれはもう暴走ではないかとか。

藪内 補足になりますが、「塔」二〇一三年六月号に作品連載の木村輝子さんが河野裕子さんへの挽歌連作を載せていて、この「花の色」がすごいいいんですよね。「山側から雨の降り出すこの街の雨にこもりて『葦舟』を読む」の素晴らしい上句、二度「雨」って言っているのがとても丁寧ですよね。「水底の水のつそりと脱ぎながら浮き上がり来る鯉に陽がさす」とか、相対化がとれていてよく物が描写されているんだけど、「塔」的な実存遊び的なところにいくんじゃなくって、「ちる、ちるり、ちいほ、ちいるりコイカルは梢に遠き死者を呼びをり」とかちょっと幻視チックなところまでいきます。河野追悼の歌はあんまり良いと思ったことがなかたんですけどこれはいい。距離がそろそろ取れてきたのかな、作品の面では。批評はわかんないですけど。

安達 批評には批判的な観点がほしいというか、河野さんは偉大とか別格とかよく表現されますけど、基本的には今の段階でそういう前提があるわけではないので、どう偉大なのかということをちゃんと説明するような批評を書いてほしい。短歌界では、例えば岡井隆さんのような、客観的な批評がほとんど失われているような歌人もいますよね。結社内で別格扱いされていて、やっぱり批評で扱いにくいんですかね。

吉田 神格化はあんまりないんじゃないかな。

藪内 むしろ高安国世とかは自分が主宰していたときに「塔」の人たちにボロクソに書かれすぎて、機嫌悪くしちゃうことが結構あったっていうのを聞いたりした。だからそこまで強くはないと思うけど、感傷的だとは思います。

澤村 皆でその一人の歌人について語ることで、何か現状や歴史が見えてくることってあるじゃないですか。そういう指標となる歌人ですよ。神格とか別格というとちょっと違う。河野さんの歌を指標として、「女性性」という軸でも、「口語」という軸でも現代短歌を語れると思う。

大森 まだきちんと評論で語られていないっていうのは強く思いますし、そのわりに「塔」の人たちの作歌に及ぼしている影響が強い。私は『ひるがほ』や『桜森』のあたりが一番好きなんですけど、今、河野さんの後期の作風だけが受け継がれているように見えて違和感があります。例えば「ユウコさーん」とか「君江さん」みたいに、家族の人名を詠み込むっていうのが今「塔」で多いですよね。

吉田 公共性のない形で固有名を出して来るっていうのは結構見ますよね。

安達 生活詠ですよね。やっぱり河野さんくらい生活のスケールが大きいと面白いけど、普通の人の生活を覗いてもつまんないっていうのが「塔」を詠んでいていつも感じます。

大森 それは生活のスケールの問題なの?

吉田 病気の歌とかそんないっぱい読んでも。

安達 一般性とか普遍性、純粋な美の追求とか、そういう観点は「塔」にはあまり無いのでしょうか。

藪内 ないことはないと思うけど、本当にイレギュラー。

安達 生活を素直に詠んでそこに詩情を出すっていう立場なんですかね? 「塔」的には。

吉田 その「「塔」的には」っていうことをそもそも言いにくい構造が「塔」なのかなっていう気がするんですけど。でも大多数としては当然生活をベースに詠むんですけど、例えば選者によっても立場が違うじゃないですか。共有されているものが何なのかがちょっとわかりにくい。

藪内 僕は「小さな生活者が作る歌」っていう風に定義してますけど。評価される歌ってそういうのが多いですよね。小さなアイテムとか小さな生活者の〈私〉みたいなのを逆に武器にしていくというか、そういう歌が「塔」は主流だと思いますけどね。

吉田 身体もそこに入るかなという気がするけど。

藪内 うーん、清原日出夫とか読んでると身体っていう感じは全然なくて、少なくとも河野裕子以前はあんまりなかったんじゃないかと思うんですが。
 
■坂田・清原論争と「塔」の現在
 
藪内 では、このまま坂田博義、清原日出夫の話に移ります。清原は細かいアイテムと細かい〈私〉の使い方が非常に上手い人だと思う。「中庸を説きて誤字多き母の手紙むしろ励ましとしてデモにゆく」、この「誤字」とかマイナスなもの、細かいものを逆に魅力にしていくというのが非常に上手い。岡井・塚本らがやっている前衛のやり方とは結構違いますよね。農村の貧しさみたいなリアリティが彼の社会詠の背景にあったらしいんですけど、それって学生運動とかの竹槍的な方法で、岡井・塚本は「キシヲタオ…しその後(のち)来んもの思えば夏曙のerectio penis」とか、もっとガチな、批評性の強い、収録していいかわからない言い方をすると清原の竹槍的なものに対して地下鉄サリン的というか。ポーズじゃなくて本気で倒しにいこうとしている感じがするんですけどね。

吉田 倒そうとしてたのか? 歌によって社会を変革せしめんとす、みたいなそういうことじゃないと思う。その詠いぶりの中で思想を直接詠み込むか、生活の中でアイテムから一つのシーンを引き出すのかの違いで。

澤村 清原のほうが、真っ只中にいて苦しんでるっていう感じはします。それがその小さな生活者の小さな感慨と言われればそれまでなんだけど。岡井さんの歌はハイスペックというか、有象無象を突き抜けたところから詠っている。「キシヲタオ」の歌は、岸を倒そうとしていたんじゃなくて、「岸を倒せ」と言っている運動の後にくるものを思った時の憂愁だったり批判なんでしょう。運動のただなかの苦しみをメタ的に見るには、こういう鮮烈なイメージの力が必要だったのかもしれない。

吉田 全共闘の、例えば福島泰樹さんだと時代性自体が一種のノスタルジーの中に飲み込まれるのでまた見方が変わってくるんですけど、同時代的にはこう細部を詠むことで共感を得ていたのかしらっていうのがちょっとわからない。

澤村 時代がこれを読ませたというか、あの時代の中でこれを読むと共感する読者がたくさんいたそうですね。でもその時代からはるか離れて読んでどうかと言うと、私は清原はそんなに……なんですよね。その時代の中にいたら感動したのかもしれないけれど。

吉田 そもそも六十年代への警戒みたいなものが個人的にはあって、歌材としてのれない部分もあります。

大森 現場の観察、記録としてすごく伝わってくるものはあるけど、歌としての面白みがあるのかどうかはちょっとわかりませんね、文体もやたら「て」が続いて説明的だし。坂田さんの歌はすごくいいと思ったけれど。

吉田 坂田・清原で一番の違い、それと論争にもなっている部分っていうのは要するに何を詠うかよりもいかに詠うかってところじゃないかな。坂田の場合は、物に寄せていくやり方とかももちろん魅力なんですけど、わりと抽象度が高くて同時代性がなくても安心して読めるっていうのが一つの担保になっている気がしますね。

澤村 坂田は本当に表現主義的ですよね。「薄雪の降りし街路にアセチレンなげきのごとく灯し蟹売る」とかすごく好きです。で、藪内君は坂田はやっぱり好きなんですか?

藪内 いやー、好きなはずなんですけどね、いくつか歌を読んだときに何か記憶に残る歌がないんです。それより清原のほうが、嫌いなのに記憶には残るんですよ。

大森 坂田は言葉の方向が揃っていて、ちょっと印象が淡いですもんね。

藪内 そうそう、淡い。一つに、覚えられない歌は駄目だということを堂園昌彦さんとかがよく言ってますけど。

大森 私が坂田さんで注目したのは、「人工授精されにし牛の目のなかの葡萄色の牧場静かに暮れる」など、生殖に関する歌がずっとあるんですよね。妻の出産の場面も結構はっきり詠ってて、あとウニの精子がどうとか無精卵がどうのこうのとたくさん詠っていて、そういうのがこの時代の男性歌人の歌として新鮮でした。生殖ということとの距離の取り方、距離の詰め方がいい。淡くてきれいな自然詠よりもこういうところがいいなと思った。

吉田 浜田康敬さんの「成人通知」が一九六一年なんですね、「豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている」。

澤村 何を詠うか・いかに詠うかに関する、いわゆる坂田・清原論争って、どこかの座談会で「塔」最大の論争って言われてるけど、どうなんだろうか。

安達 普通にどっちも大事じゃないですか。でも今の「塔」ではやっぱり何を詠うか重視なんですかね?

大森 いや、いかに詠うかでしょう。

澤村 うん、歌会なんかでは特にそう。

吉田 みんな似たような素材で技術によって趣向を凝らすみたいな、そういう勝負なのかな。「塔」に限らず、現在で使えるレトリックはすごく多いと思うんですよね。だから、さっきの河野さんの話にもちょっとなりますけれど、あえて不遜な言い方をするなら、今それらをどう使えるかが問題。

澤村 「塔」がその発足の始めから抱え込んだことの象徴のような気はしますけどね。創刊の頃の高安さんってすごく表現主義的なことを言っていて、そういう考えに共鳴する人もいれば、アララギから来て小さな生活っていうところから歌を作ることを信条とした人もいて、そういうなかなか折り合いがつかないものを「塔」は発足当時から抱え込んでいた。その後いろんな入り混じり合いがあってここまで来ているわけだけど。それが顕著に出たのが坂田・清原論争だったのかな。

藪内 坂田側の人ってそんなにいますかね? 結構清原的なことを言っている人が多いイメージで。高安さんももともとは表現主義的な思考の持ち主だとは思うんですけど。

安達 何を詠うかが重要っていうのはどういうことなんですか。

澤村 このときはやっぱり社会状況だよね。

安達 例えばそれは別に短歌で表明しなくても散文で表明できるじゃないですか。

大森 清原が言っていたのは、何を詠うかが大事だっていうそんな単純なことじゃなくて、何を詠うかを選ぶ苦しみなしにいかに詠うかにばかり執心するのは意味がないっていうこと。この意見には結構納得しますよね。

安達 詠う主題って皆苦心しているものなんですか? 僕は詠みたいものを詠んでいるだけなんですけど。

吉田 だからそれを能動的に選択することなしには表現が成立しないっていうことですよね。

藪内 それで言うと今の「塔」は何を詠うかを能動的に探していくような力がちょっと乏しいような気がしますけどね。自分の身の周りのことを受動的にだらだらっと詠っているような歌が多くて。

吉田 歌誌によって全然違いますよね。

藪内 うん、例えば「未来」だと生活があるなって感じはあまりしない。

安達 でもあれは加藤治郎さんの欄とか岡井さんの欄とか分けてあるから際立っているだけで、「塔」みたいに区別なしに並んでたら、「塔」と似たような感じになると思うんですけど。

藪内 いや、「未来」もそりゃ生活中心の欄もあるけどやっぱり濃度的に違いますよね。

安達 まあそれは違いますよね。

吉田 「未来」の人が中心の歌会とかに出ても、リアリズムから読めない歌が結構あって。

安達 「塔」は大体現実ベースで、普通に意味が通る歌がほとんどですもんね。

吉田 「未来」とか「早稲田短歌会」では「何考えているんだろうな、この人は」っていうのを先に補足しないと読めないような歌が多くあるんですね。現実に即しているかどうかっていうのは、まずその次元で読みが共有できるかに大きく影響を与えると思うんですよね。現実だったら皆そこからの延長で想像できるけど、フィクションベースの場合はその前提をまず探らないといけない。

藪内 そうですね、自然主義リアリズムとデータベース的リアリズムってことを東浩紀とかが言ってて、例えばフィクションだとしてもこういうパターンがあるみたいなのがある程度事前にデータベースとしてあるとそこにリアリティが生まれると。リアリティというのは異化作用のある共感みたいなところがあって、逆に言えば、データベース的共感によってリアリティが生まれるんですよね。「塔」はその共感を自然主義的なところ、自分が人間として生きて来たところに求めている。

吉田 共有されるポエジーの前提があればそれを使ってリアリティは発生する。世代を超えると途端に通じなくなるのはそういう前提の問題なのかなっていう気がしますよね。
 
■田中栄と結社的〈読み〉
 
澤村 私のおすすめは田中栄さんです。二〇〇三年八月の東京の全国大会で名誉会員に推挙されるということで田中さんが登壇されたんです。挨拶で、私はアララギでやって来て……という話をされるわけです、結構体が大きくて。土屋文明の歌会がすごく厳しかったこととかを楽しそうに語られて、私は結社に入って初めてそのとき生で短歌史に触れた気がした。結社に入ることの一つの驚きというか未知との遭遇というか、全然自分が知らない短歌史を生きてきた人がいるっていう、その出会いが大きいですよね。『岬』っていう第一歌集の一首目の「冬田の上に落穂をひろう鶏(とり)の群日のある方へ移りつつあり」のように絵がぱっと浮かぶような写生の歌とか、職場詠も良くて、これは若いときの歌だと思いますが「指導工に辨当かくされて職習いし頃の物怖じが今に支配す」。ちょっとずつ引っかかる韻律ですよね。若い頃に自分の中に植え付けられたコンプレックスや暗い思いが今の自分の人格をも支配しているっていうことだと思うんですけど、説明的にずっと詠ってきて最後の「今に支配す」に重みがある。心情を韻律に託しながら克明に描写する、こういうのができるのがアララギなんだと学ばせてもらった気がします。本人とお話ししたことはないけど。

吉田 この「に」ってすごいですね。「今を支配す」じゃなくて「今に支配す」。

澤村 今になってとか今になってもなおっていう意味が含まれていると思う。遺歌集『海峡の光』ではちょっと無造作な詠いぶりも出てきて、「当てもなく終点までバスに乗り居れば冬木の影がしげく通過す」。上句では散文的に入っておきながら下句はやっぱり描写の力だと思うんですよね。こういう歌もあります。「妻よりも早く逝くことの安心や田の畔に炎(も)ゆる曼珠沙華の朱」、最後は長く闘病生活をされていて死がわかっているという状況で、自分が妻よりも早く死ぬことを安心だと言っているんですけれど、でも下句はやっぱり不穏ですよね。胸の裡を重ね合わせて読める。こういうアララギの流れはどうなんでしょう。「塔」に今後もどこか引き継がれていくのかな。皆さんはこれを読んで抵抗感ありますか? 生活だとか自然主義すぎるとか。

藪内 この歌を読んでいる限りではあまり生活主義っていう感じはしないよね。

安達 まあこの歌はそうですね。

藪内 「岸壁の草は波かぶり暮れながらはがねの如きひかり残りぬ」の「はがねの如き」っていう比喩は素人では出せない。非常に洗練された歌だと思いました。

澤村 さっきの「今に支配す」とか「はがねの如き」もそうだけど、こういうのいいなあと思うんですよね。私自身の歌の始まりはここからは遠いから、まさしく結社の中で再び結社の中にあるものと出会ったという感じ。「塔」のもともとにあったのはアララギなんだけれども、最近はそんなに多くは見ないですね。さっきの妻との心の葛藤を詠う歌や第三歌集『冬の道』の「不吉なる予告のありて井戸の底竿に探ればああ母がある」というお母さんの自死を詠った歌を挙げて、吉川宏志さんが田中栄さんには「中上健次的なところがある」って指摘しているんです。風土の暗さがあるって。田中さんって大阪の泉南郡の出身ですぐ南が和歌山で海に面していて、中上健次的な暗さがあって、もしかしたら本人もそれを意識してフィクション的なものを混ぜてやれっていう意識が働いているんじゃないかっていう読みが、田中栄追悼座談会で出ているんです。面白いですよね。生活即短歌の自然主義で読めそうな短歌が結社の中で時間を経ていくうちにフィクションが混ぜられていたのではないかっていう読みも出てくる。だからアララギはアララギで歌風としてあるんだけど、今度は結社の中での読者の問題で、読者がどう生かしていくか、読者によって作品が変わるんですよ。

吉田 読者の中で作者性っていうのが共有されていって、それが逆に作者自身の主体性にも影響を及ぼし得るっていうことにもなるのかな。田中さんの中にどこまでフィクション性があったのかはわからないけれど、そういうことも結社の中で継続的に作品を読んでいる読者がいるから成立する話ですよね。

澤村 それは結社の中での一つの醍醐味だと思いますよね。田中栄さんは全国的な、いわゆる歌壇にはそんなにたくさん発表されていなかったようなんですが、私はほんと、結社内で出会って読めてよかったと思う。

吉田 いろんな結社にこういう方がいるんでしょうね。

澤村 いますよね。だからそれを結社の中に閉じこもっていてつまらないとするような考え方には私は反対。結社だからこそできる読みっていうのがあって、それが総合誌で行われている読みを凌駕することが多々あるわけで。結社だからこそできる読みっていうのがあるんです。この田中さんを例にとっても分かるとおり。

吉田 同時代的に読者が共有していくのもそうだし、その後で歴史として何度でも発見し直せるっていうところはやっぱり結社だからこそですよね。

澤村 そう。その時間の縦の流れを外したら結社に何が残るんだろう。

藪内 やっぱり寿命の長さが結社のメリットとしてありますよね。同人誌ではそんなに長いのは「かばん」くらいだし。グループを持続させるためには「ヒエラルキー」と「会員の多さ」が必要なようにも思います。

吉田 学生短歌は構造上無理だしね。

澤村 同人誌はたぶん寿命が長くなくてもよくて。

吉田 そういうのをどれだけ財産として共有できるかっていうのが縦の軸を続ける意味にもなっていくでしょうね。
 
■近代の結社、現代の結社
 
藪内 第Ⅱ部は、結社についてもうちょっとシステム的なところとか外部に対してアピールポイントが少ないんじゃないかとか、そういうところについても話したいと思います。結社って言うのは、アララギとかあのへんから始まって、近代合理主義やシステムみたいなものとわりと一緒に出てきた。佐佐木幸綱さんが言うには結社は「短歌大衆化のために考案されたシステムだったのだ。開かれた場、自由な場こそが結社の目標であった」と。つまり、短歌を作ってぱっとみんなの目に晒すということで、きわめて利用しやすいというか。

吉田 その論が出たのは何年?

藪内 昭和六十三年に出た『作歌の現場』に入ってます。

澤村 今年って、短歌結社ができて一二〇周年って知ってました?

全員 へー(感嘆)

澤村 一八九三年に落合直文たちの「浅香社」ができて、あれが結社の初めって言われていますよね。間もなくして「明星」ができたり「アララギ」もできたり、「心の花」も。佐佐木さんが言っていたその短歌大衆化システムっていうのは本当は近代の結社の始まりのことを言っていると思うんですよね。指導者が文学的理念を唱えて、それを共有する大衆というか同人たちが集まってくるという。ただ、文学的理念とシステムの機能が一致していた幸福な時代っていうのは、本当はもう近代、戦前で終わったんじゃないかな。今回結社のことを話すってことで色々結社のことを読んでいて思ったのが、結社誕生一二〇年だけれども何か全然感動しないんですよね。本当に一二〇年かって。当時の結社の理念そのまま今まできているかっていうとそんなわけ全く無くて、間違いなく戦後でいったん切れているんです。結社という名前と、指導者がいて選歌体制があって機関誌を出すっていう基本的な形は残ったけれど、性質なんかは戦後結社として始め直しているのね。で、「塔」は来年で六〇周年でしょう。明治以来の結社の歴史の半分、戦後結社の歴史の丸ごとを「塔」は生きてきたわけで、それなりに結社論を語れるくらいの材料は備えているんじゃないかな、結社のモデルとして。「塔」の出自なんですが、「塔」の創刊は一九五四年四月で、「アララギ」の土屋文明選歌欄が母体なんですよね。「関西アララギ」という地方紙で高安国世が選歌欄を持っていて、そこから出発したと。当時の他の状況はどうだったかっていうと、「塔」ができる前の五一年に塚本邦雄の『水葬物語』が出ていて。五四年に「乳房喪失」があって、寺山修司の「チェホフ祭」がでて。だから「塔」が生まれた頃って言うのは前衛短歌運動と並行していた。色々読んでいると、これまでの短歌に対する否定論とかが出て、近代に活躍してきた大歌人が次々に死んでいくわけですよね。それを受けて、戦後の危機的状況っていうのを共有してたんだと思う、当時の歌人たちっていうのは。だからそこから前衛短歌運動も出てきたし、「アララギ」から分かれるっていう形で「塔」もそういう危機的状況を受けた中で生まれたんじゃないかと思います。で、近代のはじめの結社と「塔」がどうちがうのかなと思ったときに、高安の発足の言葉を読んでも理念が正直わかんないんですよね。「僕たちは短歌を愛して集まった」ってそこだけはわかるんですけど。「塔に理念がない」っていうのは後々も批判されていたみたいだけど、やっぱり今見ても「塔」の理念っていうのはよくわかんなくて。理念がはっきりしないからいろんな人が入ってくる、っていう。理念を共有しない結社として始まったから今日まで続いてきたところはあると思う。だから、結社の批判っていろいろあるけど、ヒエラルキー制度があって人々の作風を押さえつけてるだとかは、近代の結社のイメージに対する批判であって、現代の結社の実態への批判ではないな、と思います。

大森 小池光が三十周年記念号の「「塔」のみな様、こんにちは」という文章で面白い結社論を書いていますね。

澤村 はいはい、あれ、面白いよね!

大森 昔は理念と人格が結社の本質で、そこへの抵抗、悪っていう言葉を使ってるんですけど、理念と人格への悪をエネルギーとして歌を作っていられたけれど、現在は結社が雰囲気化している、ということを言っていて、なるほどと思いました。

澤村 小池さんの論は、雰囲気化の前に、昔は結社の指導者の文学的理念のもとに集まったけれど、次に人格の元に集まるんだ、っていう。これを「塔」に当てはめていくと、人格の時代って高安さんの時代じゃないかなと思って。だって、高安さんの文学的理念を共有していた人ってそんなにいるようには見えない。けど、高安さんの面倒見がよかったり、若者の歌を詠んだり研究会したりって言う人格の元に人が集まっている気がして。で、小池さんの論だと人格の時代の後に雰囲気の時代が来るんですよね。みんなが集まり易い、あつまってのびのびといろんなことをしやすい雰囲気を作るのが結社の指導者だ、今はそういう時代だって。

大森 永田さんと河野さんの時期は、人格の時代とはまた違うんですか。

澤村 ちょっと引きずっているかもしれないけど、小池さんと永田さんは同世代ですよね。で、その論文で言うと永田さんは強烈なヒエラルキーにあこがれていたっていうんだよね。小池さんが永田さんとの雑談を引っ張ってるんだけど、上の者を悪として表現や評論でそれをエネルギーの源として上を超えていく、それが懐かしいって。

吉田 「かつてのような巨大なカリスマが君臨して断固としたヒエラルキーを確立し、そこに反抗へのエネルギーを醸成してくれるような結社への憧れ」とありますね。

澤村 そうそう。けれど、小池さんはもう俺達にはそれはできないって言っているわけですね。それは多分永田さんも結構共有している感情なんじゃないかなと思いますね。だっていま、永田さんの文学理念って言えます? 共有していないでしょう。

藪内 たぶん今の塔の「結社のシステム」としての理念はあって、僕はそこに惹かれて「塔」に入りましたね。

澤村 その理念っていうのは?

藪内 言葉で言いにくいんですけど、極論すれば永田さんが好きなのかなあ。文学的理念に惹かれたってわけでは全然なくて。永田さん、結構結社について語られるじゃないですか。それが風通しがよさそうだったっていうのはあって。

安達 雰囲気が良くて、歌会を一緒にできるし、毎月選者に選してもらったりできるし、一般に短歌をやってる人たちにとって結社って言うのは非常に強い場所ですよね。僕が気になるのは、短歌結社が現代短歌においても中心に位置付けられていることですよね。もともとはその性格からして、結社に力のある歌人が集まっているいう保証はないんですよね、基本的に。けど沢山数がいれば、歌会とかでも会ってるし人間関係も出来てくるし、結社が短歌界の中心になってくる。いま歌人として注目されるってことを考えれば、穂村弘さんや枡野浩一さんみたいな特殊なルートを除けば短歌賞じゃないですか。その短歌賞の選者を結社の人たちがやっているというのは作風の固定化という点で重要な問題があるような気がするんですよね。

澤村 でもそれって、結社の人だから選者をやっているってわけじゃないんじゃないですかね。永田さんにしろ、馬場あき子さんにしろ、色々なところで発言している人はいますよね。一歌人として色々歌ったりいろいろ見てきたり論じたり、実績を重ねてきてってことなんじゃないですかね。少なくとも、あなたは結社の頂点にいるから選者をお願いしましょう、みたいなことじゃないと思いますが。

安達 そうとしか見えないんですけどねえ。

藪内 どちらかというと結社のトップにいるから選者になることよりも、なって、結社の中の空気を選者として出していくというか、結社の空気が漏れ出していっているほうが問題な感じがするんですけど。「歩道」の人が選者だったら「歩道」の人ばっかりが受賞する、みたいな。そういうのって明らかにありますよね。永田さんが「塔」っぽいのばかり選んじゃうってのはもちろんあると思う。

吉田 でもそれは仕方ないんじゃないですかね。己の審美眼に基づいて選ぶわけだから。安達君が言いたいのは、歌壇の構造と結社の構造が被って見えるのが不健康だ、ってことだよね。

安達 そうですね。

澤村 じゃあ、結社外の人が自分の理念に合う作品を賞に選ぶのはいいわけ? それはおかしくない?

安達 何ていうんですかね、選者の選歌能力ってどこで評価されてるのかってことなんですよね。たくさん結社とか新聞歌壇とかで選をしているから当然選歌能力があるはずだっていうのは全く自明ではないわけで。例えば小説の場合だったらある程度読者の評価が分かり易く見えてくるけど、短歌の場合はまず見えてこないわけで。

澤村 小説でも石原慎太郎とかとんでもない選者いたよね。

一同 (笑)

安達 でも、一応売れていることは売れているわけじゃないですか。

澤村 売れていることが至上なの?

安達 そういうことでは決してないんですけど、ある程度わかりやすい指針なんじゃないかなと思うんですよね。読者からの評価って言うのは売れているかどうかは別としても、創作物に関して一番重要なことだと思うんですよ。短歌はその点が著しく欠如していて、読者が非常に少なくて実作者ばっかりなので、例えば結社の人間関係が強みになっていくってところはあるんですよね。だから正確な評価っていうのが非常に難しくて。
 
■選者輪番制と誌面について
 
澤村 結社での選歌について言えば、選者というのは読みができる人のことだと私は考えているんですね。自分と価値観が違っても、たくさんの歌を読んできて選者の中にしっかりと価値観が立っていて、その一つの基準から歌を読んでくれる。だから、選者の選が絶対ではない。自分の歌を落とされてがっかりしないと言えばうそになるけれど。私がよくやっていたのは選者のものまねです。花山さんならきっとこう読んだだろう、真中さんなら、吉川さんなら、みたいな。たぶん、それが結社の一つの教育機能で、選者を通すことによって自分の中にいくつもの評価軸、批評軸ができてくる。それが良いことなのかどうかはさておき。

吉田 チャンネルが相対化される。

澤村 そう。自分がどう歌を読んでいくかとか、どういう批評者、読者になっていくかという働きが選歌欄にはあるんじゃないかな。「塔」の選歌がランダム制になったのが一九九九年四月からで、私は二〇〇〇年二月に入会しているので、このランダム制しか知らないんですよ。でも、実は不満に思ったことがなくて。結局、読みの教育というか、訓練だったんだろうなと納得しています。

安達 ただ、ランダム制の問題として、雑雑誌が面白くなくなるというのがありますね。

吉田 色が出ないっていうこと。

安達 色が出なくて、全体がフラットになる。力のある歌人がぽんぽんぽんと散在しているので、非常に読み物として面白くなくなる。まだ「未来」とかはそこそこ読めるんですよね。「塔」は本当に全部読もうとするときつい。

藪内 それでも月集欄とかはだいじょうぶなんですよ。ある程度クオリティがあって、人も固定しているんで、今日はこの人を読もうって気軽に読めるんですけど、作品1、作品2となると茫々と広がっている砂漠っていうイメージで、いい人探すのも大変ですよね。

安達 注目している人がいたとしてもどこにいるのか。

澤村 それは探せばいいんじゃないの。編集の問題ってこと?一応五十音順に並んでるし。

大森 安達君は、なんで「塔」に入ったの。

安達 短歌を始めた直後に、結社っていうやばいものがあるらしいって知って、ちょっと入ってみた。

大森 ランダム制っていうのは知ってた?

安達 ランダム制は最初はいいなと思って。でも、なんか……「未来」と比べるとランダム制って…。

藪内 ランダムも一回一回選者が替わって、選び方にもけっこう色があるので、面白いはずなんですけどね。

安達 個人的に誰かに学びたいと思っている人には、選者が固定している方が師弟関係になるわけで、そういうのを求めている人にはきついかもしれないです。まあ、何回かに一回は同じ人に当たるけど。

吉田 師事できない分、好き勝手できるっていう気楽さはあるんですよね。

藪内 でも、好き勝手してますか。

吉田 僕は、わりと。

藪内 ああ、吉田さんはそうかもしれないですね。

吉田 載らなかったら載らなかったで、まあ載らなかったよって。ああそうか、選ばれなくて悔しいとか、あまりそういうのもないのかな。

大森 落とされた歌を、なんで落とされたかを考えろみたいなことを言われますけど。

吉田 ああ言われますね。

大森 ランダム制だと、いちいち考えてますか。

吉田 この人にはここまでは読んでもらえたな、みたいなのはある。

澤村 この選者はこう読んだんだろうなっていう推測はしますね。その選者ならそれは落とすよねっていう考え方かな。

吉田 選者固定制だとそれをもっと密にできる。それで、選ばれた歌と選ばれなかった歌を比べて、載るように努力すると、だんだん選者の価値基準によって、その中ではどんどん歌がうまくなっていくっていう。結社の教育システムってそういうものなのかなっていう。だから、結社に何を期待するかっていう話にもなるのかな。最終的には。その付き合い方のバリエーションとしては、輪番制の方がいろいろできるというか。

藪内 「未来」とかだと、自分の欄だけは見ようって言っている人もいますね。西巻真さんだったかな、彗星集だけは拾おうみたいな。

安達 僕、半年ぐらい全部読んで選評やっていましたけど、やっぱりしんどいですね。

藪内 吉田さん、大森さん、僕は合評をやっているんで、全部読むという経験はしてるんですけど。

安達 一般の読者を想定しないにしても、もうちょっと読みやすくなる工夫があるといろいろいいことがあると思うんですけどね。

吉田 特集が、ある程度ピックアップする機能になっているんじゃないかな、ある程度は。十代二十代特集や豊穣祭とか。それから、例えば「まひる野」のマチエール欄みたいなも面白そうだけど。

澤村 島田修三さんのところですね。

安達 「未来」なんか、若くても受賞した人は別の欄に。

藪内 「ニューアトランティス」。「未来賞」とった人とかが上がったりするんですけどね。

安達 「塔」は横一線。

藪内 七年たたないと、作品2から1に上がれない。

吉田 でも若葉集あるしな、っていう。

安達 若葉集は実績は関係ない。

藪内 若葉集自体はけっこう機能していると思いますね。あれってすごく同期関係を意識させるんですよ。

澤村 みんな若葉集の経験者ですか。

藪内 そうです。

澤村 私の時はなかったです。新しい制度ですよね。これはすごくいいと思う。

吉田 上澄眠さんとか吉岡実礼さんとか、個人的には勝手に同期意識がある。

澤村 皆が続けてたら豊穣祭で再会するわけでしょう。

藪内 若葉集だけはきっちり読んで、この人はっていう期待の人もいっぱいいたわけです。あ、この人やめちゃったか、とか。

吉田 そう、いなくなっちゃうんですよね。

藪内 かなしい。それはともかく、とてもよく機能している制度だと思います。

澤村 批評される機会がすごく多いように思うんですけど、これは分量としてはやはり必要な量なんですか。選歌欄評の。

藪内 僕の場合はですが、選歌欄評だけを頼りに出詠していた時期がありました。選者に僕はあまり選ばれなかったんですけど、けっこう選歌欄評で引かれるんですよね。コメントも長いし、最初にちょっと長めに引いてもらえたりすると嬉しい。一つの動機付けにはなってる。

澤村 作者の動機付けとして機能しているわけですね。私はちょっと量が多いなという気もするんですけどね。

吉田 そうでもしないと前号のフィードバックがない。出詠しっぱなしになってしまう気もしますが、手厚すぎるというのはあるのかもしれないですね。

澤村 手厚さと退屈さって表裏で。

吉田 そうそう。
 
■「塔」で注目する歌人
 
藪内 「塔」の中で注目している歌人はいますか。

吉田 東の相原かろさんと西の久保茂樹さん。東西並ぶと思うんですけど、あの軽さ。

澤村 諧謔味ありますね。かろみっていうか。

吉田 かろみ。文体がキャラとして立っていて、目を引きますね。ああいうのが面白がれる場だといいなという気がすごくします。

大森 私は、五月号、六月号と続けて新樹集だった島田瞳さん。

吉田 外大短歌にいた方でしたっけ。

大森 「帆をあげて言葉がわれらを往き来せりかなしいほどに白き帆とおもう」なんてすごくいい歌だと思います。この人は随分いろんな歌人を読みこんでいるんじゃないかな、文体ががっしりしている。「塔」では久しぶりにど真ん中の、王道の青春歌という感じで、内容の熱と文体の冷たさとのバランスがいい。

澤村 さっきの田中栄さんの話とのつながりでいくと、永田淳さん。塔の中のアララギの行方がどうなるのか、ということに興味があります。淳さんは昔、田中栄欄にいたことがあるそうです。例えば第二歌集の『湖をさがす』からなんですが、「酸(す)茎(ぐき)菜の厚らなる葉に雫ありひとつひとつの曲面に雲」「春土の湿りを帯びて黒々し機影の低く降りゆくが見ゆ」。ある時、「僕は叙景歌しか歌わない」みたいに宣言されたことがなかったですか。実際には家族の歌などもあるんですけど、叙景に力を入れられたことがあるんですよね。田中栄さんそのものではないのだけれど、なにか引き継ぐところがあるのかな、と。

吉田 アララギ的な文脈が。

澤村 見て書く、観察して書くというところ。この行方がどうなるのか。

藪内 僕も永田淳さんの歌好きですね。キャラクターがかっこいい。

澤村 釣りの歌もすごくいいですね。湖に船で一人いて、お尻に波を感じてる、みたいなね。第一歌集で「ここは深き湖の上なり昼闌けて凪の琵琶湖の水面の力」という歌があるんですが、書かれていないんだけど、体感を感じさせるところが面白い。

藪内 これだけハードボイルドな歌を作っている人が、ほかにはあまりいない。
 
■結社との関わり方
 
藪内 でも、SNSはしばしば批評を腐らせるんですよね。ツイッターでも、ちょっと知り合いだと批判しにくくなっちゃって。そういう意味では結社も非常に難しいところを抱えているよね。他のところに何か書くときでも、挙げるのが「塔」の人ばかりになったりとか、どうしてもそれはしちゃうんで。

吉田 コミュニティーだからしょうがないんじゃないかなあ。

澤村 そんなに意識するんですかね。

藪内 いや、している人はしていると思いますけどね。僕は誰にでも噛みつきますが。「塔」の色眼鏡だなって思う時は、正直あります。

澤村 自分が何とも思わないものについては取り上げないっていうことが一つの答えなんですよね。それでいいんじゃないかな。自分が本当にいいと思うものを取り上げていけば。批評はそうあってほしいと思いますけど。それに躊躇し始めたら批評は終わっちゃうから。

吉田 距離のとりかたって、最終的にはリテラシーの話になるから、おのおのが意識するしかないのかな。評とか絶対的な評価が超越的なところから降ってくるものではないですから。小説とか詩だったらそれがある程度成立するんだけれども、短歌の場合はそれが近いっていうのが、たぶんある種の気持ち悪さにもなると思うんですよね。ときどきそういうのがしんどくなったりもしますね。

安達 歌人ではない批評者がでてくると面白いんですけど。東郷雄二さんの文章とか、すごく面白い。

吉田 今は結社外にもいろいろやれる場はあるから。昔の結社って劇団みたいなもので、一人の主宰がいて、一つのヒエラルキーがあって、その下にみんな活動してっていうのだったと思うんですけど、戦後経てからは、さっき雰囲気って言葉が出たんですけど、プロデュース公演に近くて、明確な政治性だったり批評性だったりというのを共有していなくても何となく連帯できる。弱さでもあるけれども、そこが気楽さ、魅力だと思う。その中で尖ったことをやりたければ、その都度ユニット組んで公演すればいいんじゃないかなあ。同人誌を作ったりとか勉強会をしたりとか、他の場で発表したりとか、そういう外側での活動を各々がしやすい環境であるのは、ある意味恵まれていると思うんですけど。

澤村 同人誌は最近、テーマを持って集まるっていうのが面白いですね。「中東短歌」とか「塔」の中で震災後に『99日目』から始まった試みとか。ああいうやり方が今一番面白い。同人誌でもいろいろあって、漫然と同世代で集まってそこでいろいろ揉まれて出てくるものもあるけど。テーマ一つ決めて、集まって、何かするっていうのは印象に残りますね。

吉田 そういうそれぞれの出来事があると、なんとなく全体も盛り上がってくる。それが例えば、震災という文脈から外側の読者を引っぱってくるポテンシャルがもしかしたら、あるかもしれないとか。

安達 同人誌は入手しにくいですよね。それにひきかえ総合誌はせっかく全国の書店に置かれているのに内容がもう少し……。

吉田 もっと尖った企画があればってこと?

安達 別に、総合誌全部使わなくてもいいんですよ。一欄でもあれば。例えば、朝日新聞の「あるきだす言葉たち」って、あれって一つしかない欄ですけど、総合誌一冊に匹敵するわけですよ。編集意識がきちんと働いていれば、面白い欄は、ごく少数の欄でも作れるんですよ。

吉田 「NHK短歌」の「ジセダイタンカ」のページって、天野慶さんがずっと編集されてますけど、ああいうところとかね。あれがうまくいってるかは別として。

藪内 「うたらば」とかも注目しています。

吉田 ああネット系の。

藪内 結社とはまた違う感じ。今まではネット系で結社みたいなことをやろうとして失敗して、例えば加藤治郎さんとかは選者として普通に結社で弟子を育てるみたいな感じになっちゃいましたけど。

安達 「うたらば」は、田中ましろさんの編集基準がすごく明確にあるんですよね。

藪内 コピーライト的な、ブログの端にちょっと映るとかっこいい歌っていう。

吉田 しかもブログツールなんかにして配布していく。

藪内 ある意味結社なんですかね。

安達 結社だよ。理念がちゃんとある。。

吉田 いや、結社じゃなくていいプロデューサーだっていうことじゃないかなあ。それで、より良いコピーライター的な短歌を作れるように教育しようとかそういう方向じゃない。

大森 「うたらば」って投稿したら全部載るの?

藪内 いや、選があって。

澤村 誰が選をするの?

藪内 田中ましろさんが一人でやっています。

安達 それは反発もすぐ予想されるわけじゃないですか。誰かがこういう短歌をぽんと出すと、反対する人が出てくるっていう面白いことになるんじゃないかと。

吉田 発表する機会、場としては機能してるけれども、指導はないよね。やっぱり、教えられたことに乗るも乗らないも指導だから、形はそういうのがあった方がやりやすいのかなあ。反発しがいもないじゃないですか、同じ地平だと。

藪内 選は反発するから面白いんですよね。

吉田 ネットの相対化されたところで、評が作用しにくいのは結局そういうところがある。
 
■これからの「塔」
 
藪内 やっぱり「塔」の作風ってかたまりすぎている気が、僕はするんですけどね。

安達 それは絶対ある。読んでて感じる。

藪内 けっこう皆がそっちに寄せちゃうところがあるのかなと思って。例えば吉川さんは第一歌集『青蝉』でかなりの歌を落としているわけじゃないですか。で、どういう歌を落としているかっていうと、青春性のあるきらきらとした歌を落としているんですよね。妻と妊娠の歌を自分の方法としてかなり意識的に残していると思うんですけど、その方向ばっかりだとちょっといやなんです。あまりにも同じ歌ばっかり。

澤村 結社に入る入り口の段階でまず一回選別がありますよね。これなら自分にも詠えそうとか。自分の好きな世界というので、入ってきている人はいっぱいいると思う。

吉田 その後出詠して、選を受けることで再強化されていくサイクルは、しょうがないっていえばしょうがないのかな。

大森 ここにいる五人は偶然、「塔」だけじゃなくてその他の活動もしているけど、大多数の人は「塔」だけを読んで歌をやっている。やっぱり、その作風にいきますよね。

安達 一緒にやっていると似てくるってありますよね。やっぱり。

澤村 内向きには充実していますよね、「塔」は。そこへ外部から持ち込むものをどうするか。一つ思うのは、歌論をあまり見ないですよね。自分はこういう短歌を作るとか、こういう短歌をいいと思っているとか。それを書いて載せてみてはどうだろうか。

安達 かなり大胆なことを言ってもいいんじゃないかと。

澤村 作品だと、今、なかなか埋もれてしまって見つけにくいわけでしょ。だから歌論で一つの、こういうものの見方もあるんだよっていうのを示すとか。

吉田 言挙げすることによって立場が明確になるというか。

大森 「かりん」とかだと米川さんくらいの方も頻繁に歌論を書いているみたいですけど、「塔」では選者の本格的な評論というのはなかなか見ないですよね。

澤村 「塔」は歴史的な研究とか、高安国世を読むとかはすごく充実しているけど。

大森 調べ物はね。

吉田 所信表明みたいなのはあまりないですよね。

澤村 自分がいまこう考えているとか、塔の中でこういう傾向の歌がいいと思うというようなことだけでいいと思うんだけど。

吉田 そうすると、似たような選歌基準でも、考えていることが実は違ったりするはず。

藪内 それでは今日の座談会を踏まえての感想や、これからの「塔」で僕たちが目指すことなど、自由にひとことずつお願いします。
僕は、意外と一人一人の「塔」イメージが食い違っているのが面白かったです。吉田さんは「塔」の内部をわりあいやわらかく捉えにくいものとみているのかな。私にとっては、「塔」はちょっと偏っているんですよ。ベースとする抒情が似ているのかな。繊細な問題だと思いますが。それに対して、少しだけ別の抒情を僕が付け加えたいという野望があります。

大森 痛切に思うのは、視野を広くとることの大切さです。短歌史全体の流れから客観的に「塔」の歌や河野裕子の歌を考えること。評論を書きたい。普段の自主投稿評論ももっとあっていいし、まずは年末〆切の六〇周年記念評論賞ですよね。たくさん応募があるといいなと思います。

安達 結社というものは歌人が集まって短歌を発表し合う楽しい場ですが、その楽しさと、短歌の批評や評価は区別されなければならず、現在の短歌界ではそれが出来ていないと思います。結社に所属されている方々に、この点について御一考頂けたらと。

吉田 それぞれにとって丁度いい、結社との関わり方って難しいですね。個人的には最近ようやく「塔」への所属意識が出てきたところなのですが、引き続き「野塔」として塔の内外に跨って色々活動したいと思っています。

澤村 話し足りないような気もしますが、やはり何をどう残していくか。同時代を見ながらも、時間の縦軸の意識、歴史の「史」の意識は持っていたいと思います。SNSという言葉も出たけど、SNS化し過ぎてしまうとなんだかやりにくいなあという気もするんです。「史」を紡ぐというのは、いまの結社の誇れる機能の一つではないでしょうか。

藪内 本日はありがとうございました。

(二〇一三年六月二十五日 於「塔」事務所)

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