短歌時評

近世和歌と口語短歌 / 川本 千栄

2012年1月号

 去る十一月二十六日、同志社女子大学の公開講座に出かけてきた。演題は「加茂季鷹(かものすえたか)と和歌」、講師は盛田帝子氏。私は加茂季鷹の名を知らなかったのだが、江戸時代末期の歌人・国学者であり、香川景樹の同時代人ということだ。門人も多く、強い影響力を持っていたらしい。また、江戸末期の歌人には珍しく、和歌も狂歌も両方作ったらしい。ただ、まとまった歌論が無かったが故に、死後あまり取り上げられない存在となっている。

  軒ちかきかけひの水は音たえて軒に声あるよはの山里
  首長く口ばしながくあし長く齢もながくよく揃ひ鶴

 一首目は和歌で、山里の小屋にこもっていた時、夜に雪が降り出し、筧が埋れて水音が聞こえなくなった、そして雪が軒から落ちる音のみがした、という歌意である。雪と言わずに雪を表現した技巧的な歌である。二首目は狂歌で、自筆の鶴の戯画に添えられた画讃である。写真で見る限り、絵本のような体裁だ。こうしたイラストと歌の組み合わせは、文学というより工芸品の趣きがある。俳画などにも通じるものだろう。

 狂歌と言えば、昨年五月に行われた現代歌人集会春季大会「口語のちから、文語のチカラ」で安田純生が行った講演が思い出される。安田は昨今の口語短歌の隆盛に言及したあと、江戸時代においては和歌とは文語(雅語)で作られるものであり、口語(俗語)で作られるものは全て狂歌と捉えられていた、と説明した。この二つはジャンルが違ったのである。それをミックスしてもいい、と明言したのが正岡子規であり、新派和歌は伝統的な和歌に狂歌を取り込んだともいえる、というのが安田の説である。「現代歌人集会報」所載の安田の文章を一部引用する。

  いうまでもなく狂歌では、文語体表現と口語を交ぜたり、口語のみで一首を表現
 したりするのは一般的なことであった。したがって狂歌を視野に入れるならば、口
 語交じりの文語体短歌や口語短歌は、江戸時代から、ごく普通に存在していたこと
 になる。

 この説に強い刺激を受けるのは私だけだろうか。昨今「文語と口語」が話題になることが多いが、それは主に短歌の口語化に賛否両論があるからだろう。例えば昨年度の総合誌においても、「短歌研究」の現代短歌評論賞の課題が「短歌の口語化がもたらしたもの、その功罪」であり、四月号では「口語と文語、新仮名と旧仮名」という特集が組まれている。また角川「短歌」では三・四月号の特集で「文語口語」を扱い、五・七月号では「文語文法」を、同じ七月号の別の特集では「口語」を取り上げている。主だった特集だけでなく、新人賞選考座談会や河野裕子・俵万智の特集などでも口語化が話題として挙がっている。

 そんな風潮の中、安田の説はこれまでにない観点を与えてくれる。この説に従えば、近代短歌は元々その成立過程において、口語化を前提条件として含んでいたことになる。そう考えると、総合誌上を賑わす文語・口語の論も随分違ったものになるのではないか。だが、近代短歌の成立に関して、狂歌を視野に入れた文章を読んだ憶えはほとんどない。吉岡生夫の『狂歌逍遥』(二〇一〇・星雲社)ぐらいだろうか。

 子規の革新により、近世和歌と近代短歌には大きな断絶があるように思っていたのだが、実はもっと地続きなのではないか。忘れられた歌人・加茂季鷹を含め、私たちは近世和歌や狂歌についてもっと知ろうとしてもいい。そこから短歌の口語化を考えてみるのも、発想の転換の一助として、有益なのではないだろうか。

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