短歌時評

震災を詠うこと / 荻原 伸

2011年5月号

 被災によって街が壊れること。ひとの死。多くのひとびとが亡くなったのに、亡くなったひとびととほぼ同じところにいて、なぜ自分は死ななかったのか。それにいったいどのような意味があるのか。一九九五年一月一七日に神戸市灘区に暮らしていた私は、このことがずっと解決できないままでいる。

 『短歌研究』一九九五年三月号を読み直してみると、特集は「戦後五十年忘れられない日々への手紙」。関西に住む米田律子は震災直前に便利な居住環境へ引っ越した個人的事情にふれながら、「このところ妙に、敗戦直後の、殆ど原始生活に近い火や水との関わりが思い出されるのである」と、大きな震災と戦争を重ねて語っている。

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 田中槐(「朝日新聞」二〇一一年三月二八日)は、短歌において〈類型〉や〈既視感〉が批判され、嫌われるのは、〈類型〉に「無防備であるからだ」とする。そして、「かけがえのない私」の「かけがえのない経験」というようなものが「そうそう起こりえない」ものであり、また、言葉には「先人の手垢」がついていると自覚できるかで「〈類型〉は変わる」と言う。その上で、「今、その『かけがえのなさ』をうたうべき(・・)だとは思えない」、「体験を歌にすることで恐怖心を昇華させたり、慰藉できる力が短歌にはある。しかしそれらの多くがただの〈類型〉作品の群になることは、短歌にとり最上とは思えない」とも言う。「かけがえのなさをうたうべき」ではない、ということと〈類型〉を自覚することで〈類型〉が変わるというあたり、もう少し詳しくきいてみたい。同時にこれは「今、何を、どううたうか」を田中自身が迷いながら真摯に考えているということでもあろう。

 この「今、何を、どううたうのか」は、短歌にかかわりのある誰にとっても重くて根源的な問題だ。短歌という詩型を信頼し、ことばにこだわり、ことばの力を信じている自分が、いまどんな歌を詠めばいいのか。詠みたいのか。どんな歌がひとに届くのか。

 「東北にいるのに、東北の声が聞こえない。その悲鳴が、叫び声が、届いてこない」という大口玲子(「毎日新聞」二〇一一年三月二八日)の文章には、引き裂かれを感じ、また歌に向き合う立ち位置を問われる思いがした。「何かが大きく壊れてしまったのだ。その『何か』を、今の時点では短歌にすることができない。もどかしさと無力感にさいなまれ」ながらも、大口は語る。

  避難所で生活する方、愛する人を亡くした方からみれば、私の短歌もそらぞらしいのかもしれない。でもとにかく眼前の現実を見つめ、歌いたい。/また今後、拙作以外にも、震災をきっかけに詠まれた多くの短歌作品が発表されるだろう。その一首一首を、生まれ変わった気持ちで大切に読んでゆきたい。

 被災地のこと。原発のこと。ひとびとをおもうこと。いま自分に何ができるのか。どうすべきなのか。なぜできないのか、といったなかなか容易ではないざらりとしたものがあの日からずっと離れないである。いったいこのざらりとしたものをどうすればいいのか。このざらりとしたものを、実は、私はいますぐ劇的に解消したい、あるいは、解消できると思っているのではないか。「眼前の現実を見つめ、歌いたい」、「一首一首を、生まれ変わった気持ちで大切に読んでゆきたい」という大口のことばを読んで、いまさらながら、気づいた。この解消しにくいざらりとしたものを、むしろずっとずっと抱えつづけるべきなのだと。そうして、だからこそ、歌を詠むのだと。

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